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7月16日(金) Amaryllis

 諦めよう。断ち切ろう。あの夜、白銀の月明かりを浴びながら梨紗はそう決意した。覚悟を決めて気持ちをぶつけ、できることは何でもやった。その末に振られれば、諦めもつくと思ったから。

 なのに、振られた今でも梨紗の心の中では、諦めの悪い憧憬と渇望が燻っていた。


――もしかしたら先輩は、私を選んでくれるんじゃないか

――一生懸命にアプローチしてたら、いつか先輩も絆されるんじゃないか


 万に一つもあり得ないと理解していても、一縷の望みを殺しきることができなかった。





 そんなわけで梨紗は、胸の裡を塗りつぶすような悲愴感と、起死回生の僅かな希望とを持て余しながら、手の中で震えるスマホを眺めていた。

 とはいえ、いつまでもそうしているわけにもいかない。一度深呼吸をすると、ゆっくりと液晶をなぞって通話を開始する。


「突然どうしましたか? 可愛い後輩の声が聞きたくなりました?」


『まあ、そんな感じ』


 梨紗の耳は、柊の声に覇気が無いことを瞬時に感じ取る。その瞬間、静かに心に広がったのは黒ずんだ歓喜。先ほどまで抱いていた一切の絶望は、刹那のうちに駆逐されていた。


「デート行きましょう!」


『部活ないの?』


「ありますけど、明日は突然腹痛が起きて休みます。今決まりました!」


 柊の傷心につけ込むように、一気呵成に話を進める。梨紗の勢いに押されるようにして、彼の口から『別にいいよ』という返事が飛び出した。


「ほんとですか!? やったー!」


 柊の気が変わる前に行き先と集合時間を決めてしまう。挨拶を交わして電話を切った後も、胸の鼓動は激しくなるばかりで、気がおかしくなってしまいそうだ。

 以前から柊と仲が良かった梨紗だが、あくまでそれは部活内でのことだけ。今回が正真正銘、初デートだ。胸の高鳴りを抑えろと言う方が無理な話だ。

 2人並んであるいて、一緒に笑って、昼食は少しずつ交換し合ったりして。そんな光景を想像すると楽しみな気持ちが抑えきれない。




「……私、なにやってんだろ」


 梨紗の興奮に水を差すように、口からそんな台詞が零れた。脳裏に蘇るのは、電話越しに聞いた柊の声。思い出すだけで心につっかえを感じて、吐き出すように何度も溜息をつく。


――『まあ、そんな感じ』


 付き合いの長い梨紗ですら初めて聞いた、気の抜けたような声。あんな風に柊を落ち込ませることが、梨紗にできるだろうか。そんな問いが頭を過る。答えは明らかだ。自分が何をしようと、彼はニコニコと見守ってくれるだけで、その感情を動かすことはない。


 その柊があれだけ狼狽していたのだ。彼の視界に映るお姫様が自分ではないのだということを、嫌でも理解してしまう。そんな彼に不毛な片想いを募らせる自分という存在は、いっそ滑稽にも思えてくる。

 それを自覚していてなお、明日を待ち遠しく感じてしまうこの気持ちは、一体どうすればよいのだろう。




――ねえ、私、どうしたら良いと思う?


 以前香奈に訊ねたときには、「諦めて他探したら?」と即答された。そういう器用なところが羨ましくてたまらない。

 そんなふうに割り切って生きられたら、どれだけ楽なことだろう。憧れと恋愛は別と割り切って、告白してくる男子の中から見繕って付き合って。そうして過ごす中学生活は、きっと楽しいことだろう。




 排水溝からポコン、ポコン、という音が部屋の中まで響いてきて、梨紗は我に返る。自分の世界に入っている間に、雨脚が強まっていたらしい。

 凝ってしまった身体を伸ばしつつ、明日に向けて必要な準備を考える。


 とりあえず服から決めようと、クローゼットを開けた。柊はどんな服装が好きなのだろうか、と思索しながら中を見渡す。部活外での付き合いは今までほぼなかったため、私服の趣味はまるで分からない。だが、以前会ったとき、あの人(姫川)は長めのきれいめなスカートだったはずだ。

 清楚風でいこう。去年買った白いワンピースがまだ着られるはずだ。だいたいの位置にあたりをつけ、手を伸ばす。



――ううん、違う。


 そう、違う。梨紗は、あの人にはなれない。なるつもりがない。

 目指しているのは、もっと別のものだったはずだ。



――あれ、私ってどうなりたかったんだっけ?


 そんな単純なことさえ分からなくなってしまい、ハンガーに伸ばした手は空を泳ぐ。梨紗の視線は、あてもなく周遊したのち、一点に引き寄せられて止まった。去年まで着ていた古いジャージ。2年間の思い出が染み込んだ、部活用のジャージだった。


 綺麗にたたまれたジャージをぎゅっと胸に抱えて、目を閉じてみる。そうすると、これを着ていた頃の自分が瞼の裏に見える気がした。恋を知ったばかりの自分は、ビー玉のような透き通った瞳で梨紗の悩みを聞くと、事も無げに(いら)えを寄越してきた。


――彼の心のよりどころになりたかった。決して裏切らない味方でいたかった。何でもかんでも背負いたがる彼に、赦しを与えたかった。


――彼を、愛したかった。


「あぁ、そっか……」


 恥ずかしげもなく言い切る、たった1年前の自分が眩しすぎて顔を背けたくなる。この純粋さを梨紗から奪ってしまったのは、何なのだろう。押しつけた愛を追認してもらおうなんて馬鹿げた感情は、いつから梨紗の心に居座っていたのだろう。

 恋を知ってからの1年間、僅かばかりの背丈の伸びと引き換えに、彼女は一番大切なものを見失ってしまったのかもしれない。


 大事なジャージに礼を述べつつたたみ直し、ゆっくりとクローゼットの扉を閉じる。


 このの想いは所詮自己満足。きっと永遠に、一方通行。そんなことは、諦めなければならない理由にはならない。

 自分は、自分。他人には当然なれないし、他人に譲ってやる気もさらさら無い。大事なのは、今も胸の奥で誰にも負けない愛が脈打っていること。そんな簡単な話だったと、ようやく思い出すことができた。


 ごろりと床に寝そべって、窓を打つ淡々とした雨音に耳を澄ます。この向こうに柊がいる。自分は彼と、同じ音を聞いている。それだけのことに、心が震える。

 しばらくその心地よさに身を委ねた後、おもむろに体を起こして明日の準備を始めた。


 明日が楽しみだ。やっと心から、そう思えた。

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