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7月 9日(金) Love is ill-defined

 昨日は告白された衝撃で寝られないんじゃないか、と思っていたが、気づけば眠りに落ちていた。精神的な動揺もあり、思っていたよりも疲れていたようだ。


 今も、それほどの動揺は残っていなかった。ただ、少しだけ、自分の気持ちに自信が持てなくなってしまったのだ。


――自分は誰が好きなのか?


 そんな疑問が、柊の心にまとわりついて離れない。


――そもそも自分は本当に薫子が好きなのか?


 梨紗の真っ直ぐな告白を聞いた後では、それすらも自信が無い。


――どうして、彼女のどこが、好きなんだろうか


 かつて梨紗の問いかけをごまかし、蓋をしていた疑問が再び頭をもたげる。何より、一番分からなかったのは、


――「好き」って、何だっけ?


 ということだった。昨日までなら自信を持って「薫子が好き」と言えたのに、その自信は、いとも簡単に突き崩されてしまった。今や彼は、「好き」という感情の定義すら見失ってしまった。


 今の状態では告白なんてとてもできやしない。どうすれば良いのか分からず、柊は完全に袋小路に迷い込んでしまった。





「おはよう、柊くん!」


「ああ、薫子。おはよう」


 今日も教室に入ると、薫子が声をかけてくる。彼女の笑顔はいつものように眩しく、美しい。朝から声をかけてもらえる柊は紛れもなく果報者であり、本来なら天にも昇る気持ちであるべきだろう――いや、昨日までなら実際に昇天していたとしても、おかしくなかった。


 それなのに、今はそれがどこか醒めた目でしか見られないのだ。薫子は可愛い、ということを客観的には判断できるのに、それが心に響かない。

 むしろ心が求めているのは、月明かりに照らされた、真剣で寂しげな後輩の顔だった。


「おい、柊、姫川に話しかけられたのに挙動不審になってないぞ? どうかしたのか?」


 昂輝が心配そうな顔でこちらを見てくる。


「え、俺そういう認識されてたの?」


「むしろ自分ではどういう認識してたんだ?」


 そんなことで心配されるとは、と苦笑を禁じ得ない。


「別に大丈夫。たいしたことじゃないよ」


「ふーん。たいしたことじゃない『何か』はあるってことか」 


 いつも通りの鋭いツッコミを見せたのは、いつの間にか近くにいた椿。なんでも話せる友人ですら、今は鬱陶しい。


「何もないよ。言葉の綾だってば」


「ふーん」


 彼女は柊の目を覗き込んでから、


「まあいいや」


 と言葉を残して自らの席へ戻る。依然心配そうな目を向ける昂輝には


「あとで話す」


 とだけ言って、それ以上は顔を合わせなかった。





「明日から、ついにテストだねー!」


 2人で歩く下校路で、薫子が声をかけてくる。


「そうだな。薫子が忠見になる日ももうすぐだな」


「私は負けないし、死にません!」


「それ、何回目のプロポーズ?」


「いや、武田○矢じゃないから!」


 そんな昔のドラマのネタが良く通じたものだ、と自分のことを棚に上げて考える。


「でも、あんな素敵なプロポーズされてみたいなぁ」


 夢見心地に呟く薫子だが、彼もさすがにドラマの内容までは知らない。むしろどうして彼女は知っているのか。そもそも、


「誰に?」


 思いの外低い声で問いかけてしまった柊に、キョトンとした顔で答える。


「誰って、未来の旦那さん?」


「あ、具体的に誰か念頭にあるわけじゃないんだ」


「いや、結婚まではちょっとまだ考えられないでしょ」


 じゃあ結婚までいかなければ、と訊ねようとして、我に返る。気づけば薫子が複雑そうな顔でこちらを見ていた。気まずい沈黙を取り払うように、今度は薫子が訊ねる。


「逆に柊くんは誰か結婚したい人とかいるの?」


 からかうような言い方だが、目は鋭く、柊の反応を見逃すまいとしているようだった。


「俺も結婚とかはよく分かんないかな」


 そもそも、女子と付き合うということすら、柊にはよく分からなかった。ただ、


――いつまでも先輩の隣にいて、支えになりたいんです


 という梨紗の言葉が脳裏をよぎる。


「そうだよねぇ。白馬の王子様とか空から降ってこないかなぁ」


 好きかどうか分からない、なんて言っていても、薫子のその一言に、柊の心はズキリと痛む。何がしたいのか、どうしたいのか、彼の袋小路はますます混迷していた。





「で、何があったんだ」


 携帯のスピーカーから聞こえるのは、昂輝の声。帰宅後柊は、布団に寝転がって親友と電話をしていた。


「中学の後輩から告白された」


『なるほど』


 そう返す昂輝の声は、あまり驚いていないようだった。


『付き合ってくれって言われたのか?』


「うん。薫子に告って振られたらでいいからってさ」


『そ、それはまた……』


 今度こそ、息を呑むような音が聞こえる。一回大きく呼吸をしてから、再び問いかけてくる。


『それで、なんて返事したんだ?』


「それが、断る前に帰っちゃって」

 

『断るつもりなのか?』


「そりゃあまあ、うん」


『どうして?』


 受話器の向こうの親友は、訝しげな声だ。


「だって、俺は薫子が好きだから」


『姫川に告ってに振られたら付き合ってくれるって言ってるんだから、それでいいんじゃないのか。別にその子のこと嫌いじゃないんだろ?』


「いや、でもそれはどっちにも失礼だろ」


『失礼? 何が?』


 昂輝が少し苛立ちを帯びた声で聞き返す。


『姫川に告って上手くいけばその後輩にはお断りすれば良い。姫川には何も言わないんだから、傷つけることもない。もし駄目なら、後輩ちゃんと付き合えば良い。後輩ちゃんだって、振られるよりはそっちの方が良いんじゃねえの?』


「いや、でもそんなの保険扱いしてるみたいで申し訳ないだろ」


『それだよ。結局相手に失礼とか言いながら、自分が罪悪感感じたくないだけじゃんか。自分の勝手で振ろうとしてるのに、他人を言い訳にするなよ』


「悪いかよ!」


 あまりにずけずけとした昂輝の物言いに、さすがの柊も頭にくる。


「自分勝手じゃ、駄目なのかよ!」


 思わず大声が出てしまった。だが、それに対する昂輝の言い方は、予想外に落ち着いたものだった。


『別に、自分勝手が悪いなんて言ってねえよ。言い訳するなってこと。誰かに悪いからとか、失礼だからとかじゃなくてさ、お前のために結論を出せよ。告白した方だってさ、お前の幸せのためなら、諦めがつくんだよ』


 先ほどまでの興奮した様子とは打って変わって、しんみりと語る昂輝。


『だからさ、相手の気持ちとか考えなくて良いから、お前が幸せになれるような結論を出せ。誰かと付き合ってる訳じゃないんだから、お前のやりたいようにやればいい。それが、勇気を持って告白してくれた子への、最低限の礼儀だと思う』


 何を言われているか分からなくなって、何度も昂輝の言葉を反芻してみる。


「自分勝手で、いいのかな……」


『おう。自分勝手が、一番良いと思うぞ』


「クソ野郎みたいになっても?」


『人間、誰だって醜い部分は持ってるさ。俺もお前も聖人君子じゃない』


「相手を泣かせることになっても?」


『そうなったとしても、お前だけのせいじゃない。それに、お前だって辛い思いはすることになるんだから、それでチャラでいいだろ』


「そっか……」


『お前はどうしたいんだ?』


「分からない。『好き』って、どういうことなのかも、分からなくなっちゃって」


『じゃあ、それを探さなきゃな』


「うん」


『とりあずさ、後輩ちゃんには返事待ってもらえよ。そんな状態で返事したって後悔するし、向こうだって諦めつかないだろ』


「うん」


『いろいろと考えてみてさ、どうしたときの未来が一番幸せか、考えてみればいいさ』


「うん。ありがと」


 しんみりとした雰囲気のまま、電話を切る。


 梨紗の告白で、自分の気持ちがぐらついているのは、もはや疑いようがなかった。浅宮柊という人間は、自分で思っているほど一途でも善良でもないのかもしれない。存在しないと目を背けていた、自らの弱い部分、醜い部分と対峙しないことには、目の前の難題は解決しないようだった。

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