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6月24日(木) ねえ、連絡先教えてよ

 昨日のことをきっかけに、姫川との距離が少し縮まったんじゃないか。そんな期待を胸に登校した柊だったが、それが裏切られるのは早かった。

 まず、すれ違っても目が合わない。そもそも柊の存在すら気付く様子がなく、ただ周りの女子と楽しそうに談笑している。かぐや姫様の平常運転ぶりを目にして、思わず苦笑いがこぼれてしまう。


「なあ、柊」


 ふと呼びかけられて我に返る。


「ん?」


 我ながら雑な返事だが、相手も気にした様子はない。


「なんか上の空だったけど大丈夫か?」


 心配そうに、というよりも怪訝そうに聞いてきたのは、隣の席に座る武井昂輝(こうき)。気になる女子を目で追いかけていた、と話すわけにもいかないので、そうかな、と言いながら頭をかいてごまかす。


「まあ、別にいいや。それよりさ、今日って6月24日じゃん?」


「そうだな。お前の出席番号だな」


「それな」


 数Iを担当する大原先生は、やたらと日付で生徒を当てたがる。そのため、32番以降の人たちは当たりづらく、クラスでも不満に思っている人間は多い。


「ついては、浅宮先生にお願いがございまして」


「はいはい。どれが分からないの?」


 昂輝が柊に敬語を使うのは、勉強を教えてほしいときだけだ。


「話が早くて助かる。ここの証明問題なんだけどさ」


「あ、それは左辺から右辺引き算して因数分解しちゃえば楽勝だよ」


「ちょ、ちょい待ち。左辺から右辺を引くってことはこうだよね」


「おい、そこかっこ外すときに符号変えないと」


「あ、そか」


 手のかかる教え子の世話をするうち、担任が入ってきてホームルームが始まる。


「ここまで来たらあとは1人でできるだろ」


「え、ここで突き放す?」


「頑張れ」


 ニヤリ、と笑みを浮かべて柊は友を見捨て、担任の方へと体を向けるのだった。






 放課後、柊はいつものように問題集を広げ、自習を始める。ちらりと姫川の方を横目で窺ってみると、ちょうど教室を出て行く後ろ姿が目に入り、淡い期待はいとも簡単に砕け散った。

 教室に1人ぽつんと残るのはいつもことなのに、今日は寂しく感じる。


「よし、今日は集中して進められそうだ」


 自分に言い聞かせるように独り言を口にする。しかし、問題集を解き進める間も彼女のことがなかなか頭から離れなかった。一工夫必要な問題や、ひっかかりやすいポイントに突き当たると、質問されたらどう答えよう、とつい考えてしまう。


 とはいえ、それで能率が落ちるというわけではない。むしろ普段と違う見方で勉強を進められたとも言える。思うところはありつつも、チャイムの音が完全下校時刻を告げるまで、1人で勉強を続けるのだった。





「どんだけ好きなんだよ、俺」


 結局姫川の顔を脳裏から消すことはできなかった。自分にツッコミを入れつつ、昇降口を出る。すると、柊の視界に8人ほどの集団の姿が入った。正しく言えば、彼の視線はその中の一人の後ろ姿に吸い込まれていた。


 腰の辺りまで伸びる、(つや)やかな黒髪。身長は高くもないが、姿勢が良いため、すらりとした印象を受ける。誰を間違えようと、彼女だけは見間違いようがない。柊の先を歩くのは、1日中柊の視線と気持ちの先にいた少女に他ならなかった。


 思わぬ偶然に気分を高揚させつつ、周りをとりまく集団に視線を移す。部活帰りだろうか、男子5人、女子3人の集団で歩いているが、よく見ると男子の視線が全て姫川に向いているのが分かる。


 後ろから姫川を眺めるうちに、面白くない気持ちが後から湧いてくる。柊は挨拶すらしてもらえないのに、部活の男子が馴れ馴れしくしているのが気にくわない。先ほどの高揚感はいつの間にか、綺麗に霧散していた。


 表情を殺し、騒がしい集団を早足で抜き去る。気にしていないことをアピールするため、所在なげにスマホを取り出していじってみる。だが、通知も何もない画面を見ると、虚しさが余計に募って惨めになった。


 何より、彼女は元より柊に関心を持っていないのだ。今だって存在に気づいているかすら怪しい。そんな相手に無関心を装おうとすること自体、自意識過剰に過ぎない。それを自覚していることが、彼の内心を一層傷つけていた。






 口を真一文字に引き結び、歩き慣れた通学路をずんずん進む。昨日は一瞬だった帰り道が、今日は遠く感じて仕方がない。ようやくたどり着いた駅でポケットに手を突っ込み、そして気づく。


「あれ……」


 右ポケットを探ってみるが、指に触れるものはスマホの冷たい背面ガラスのみ。慌てて体中のポケットをパンパンと叩く。しかし、いくら探せど捜し物はどこにも見つからない。


 ――どこかに定期券を落としてきたようだった。


 憔悴を抑え、今日1日の行動を冷静に振り返る。

 朝の時点では持っていたはずだ。学校だろうか。体育もなかったし、定期券を落とすような心当たりはないが、他の場所で落とす心当たりはもっとない。とはいえ、完全下校の時刻を過ぎている今、校舎に戻っても入れてもらえない。仕方なく切符を買うべく券売機へ向かう。


 そのとき、唐突に右肩に手が置かれた。


「何かお困りですか?」


 心臓がビクンと跳ねた。突然話しかけられたからではない。鈴を転がすような声に、心当たりがあったからだ。1度息を吐いてから、ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには悪戯っぽい笑みを浮かべた、片思い相手の少女が立っていた。


「あなたが落としたのは、この銀の定期券ですか?」


 その言葉とともに差し出されたのは、柊のPASMO定期券。どちらかといえばねずみ色だが、銀色に見えないこともない。


「うん、そう。落としたことに今気づいて困ってたんだ。ありがとう」


 受け取りながら触れてしまった姫川の手の平は柔らかく、一瞬の接触なのに手に感覚が残って仕方がない。


「これ、どこに落ちてたの?」


「落ちてたというか私の目の前で落としたんだけどね。浅宮くん私のこと抜かしたの気づいてなかったでしょ」


「あ……」


 思い浮かぶのは、先刻の無意味な無関心アピール。意味がないどころか、その際に定期券を落としてしまったようだ。やはり、無駄にひねくれて良いことはないらしい。後悔と羞恥に悶える柊の表情をどう解釈したのか、姫川があはは、と笑い声をあげる。


「浅宮君っていちいち面白いよね。見てて飽きないわ」


 恥ずかしくて姫川の顔から目を逸らすと、彼女の背後に佇む生徒たちと目が合った。興味深そうな視線を向ける女子は良いとして、男子が揃って射殺さんばかりの視線をこちらに向けている。自分の表情が冷水を浴びたように引き締まったことで、それまで頬が緩んでいたことを自覚する。


 姫川も柊の表情から何かを察したようで、うんざりしたように言葉をもらす。


「あいつら、まじで何なんだろね」


 ただでさえ涼しげな印象のある彼女の声色が、今は冷たさすら感じさせる。意外な姿に目を白黒させていると、困惑に追い打ちをかけるように姫川が微笑みかけてきた。


「ねえ、浅宮くん連絡先教えてよ」


「お、おう……」


「じゃあQR出すね」


 混乱が解けきらないうちに、気付けば柊の携帯には連絡先が1件追加されていた。アイコンは黒い大型犬の写真。つぶらな瞳が可愛らしくて、一瞬気分が和む。


「じゃあ、浅宮くん、また明日」


「うん、また明日」


 何事もなかったかのように彼女は改札へ向かう。本当に何事もなかったんじゃないか、と思い込もうとしたが、先ほどよりも明らかに殺気の増した視線は、それを許してくれなかった。


「はぁ」


 今日も今日とて、ため息なしに帰ることは許されないようだった。








 家にたどり着いた柊は、夕食をとると、そのままベッドに倒れ込んだ。不愉快と混乱と、他にもいろいろな感情を行き来したせいか、妙に疲れを覚えていた。下の階から聞こえる家族の声がだんだんと遠くなり、ふわふわ、ぐらぐらとした感覚が襲ってくる……



 ふと目を覚ますと、時間は23時になろうとしていた。いっそこのまま寝てしまおうかとスマホを見る。


「えっ?」


 眠気が一気に飛んでいく。念のためもう一度見てみるが、間違いはなさそうだ。


「やば……」


 不在着信、1件。あまりの失態に(ほぞ)を噛む。姫川から電話がかかってくるという、一生に1度かもしれないチャンスをふいにしてしまった。


 せめて折り返すかとも思ったが、いきなり電話をかけて良い時間でもない。仕方なく、チャットで返事をした。


『ごめん、寝てて気づかなかった…』

『何か用事あった?』


 そう連投して、返信を待つ。もちろん瞬時に既読が付くのは気持ち悪いだろうから、アプリの画面自体は閉じてある。とはいえ、スマホから離れる気にならず、ネット小説を読みあさっていると、気づけば1時間、2時間と経過していた。


「……寝るか」


 向こうももう寝てしまったのだろう。そう結論づけて、彼も寝る支度を始めることにした。

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