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7月 7日(水) 誕生日、おめでとう

 一夜明けて、7月7日。世間的には七夕の日だが、柊にとっては別の意味を持つ日でもある。薫子の誕生日なのだ。


 何を忘れてもプレゼントだけは忘れぬよう、鞄の中身は昨日のうちに準備しておいた。今日に限って遅刻などするはずもなく、普段通りに教室へ入った柊はそこで大きな問題に直面した。


「薫子ちゃん、お誕生日おめでとー!」


「ありがとう」


 薫子の周りにはいつも以上に女子が群がっていたのだ。周りを取り巻く女子に笑顔で対応する薫子だが、心なしかその笑顔が強ばっている。だからといって、彼女たちを押しのけてプレゼントを渡しにいく、という選択肢は柊にはなかった。仕方なく、椿に交渉する。


「なあ椿、代わりにこれ渡してきてくれないか?」


「はぁ、ばかじゃないの?」


 柊としては至極まっとうな頼みのつもりなのだが、想定以上に邪険に扱われ思わずたじろいでしまう。微妙に何かの弐号機パイロットを彷彿とさせる物言いに、頬が弛みそうになるのをこらえて、なるべく真面目な声色で返す。


「いや、だって俺がお金出して買ってるんだから、最後に誰が渡すかなんて関係なくない?」


「関係あるから言ってるの。柊だったら、かおるんからはいこれどうぞって渡されるのと私から渡されるのどっちが嬉しい?」


「うーん。薫子と椿なら、どっちも同じくらい嬉しいよ」


「違うそうじゃなくて!」 


 聞かれたことに正直に答えているだけなのに、ああもう、と頭を抱えられるのは理不尽としか言いようがない。にも拘わらず、昂輝が隣で話を聞きながら唖然としているのを見ると、柊は気づかぬうちに変なことを言ってしまったのかも知れない。


「こんなに文脈とれないのに、私より現代文の成績いいのが許せないんだけど……。とりあえず、柊が直接渡すこと。おっけー?」


「あ、はい、分かりました」


 たとえ途中経過が納得できなくとも、椿が強い口調でものを言うとき、こちらは口をつぐむ以外の選択肢はない。いくら空気の読めない柊でも、それくらいのことは分かるのだった。





 結局その日は薫子と2人になる機会を掴めず、放課後もそのチャンスはなかった。試験も3日前に差し迫ったからか、残って勉強する人数がどんどん増えている。それが、身内のプライベートな世界を侵犯されたようで、柊は面白くなかった。


 椿はあっけらかんとしているが、薫子は柊に近い思いを抱いているようだ。薫子は、機嫌が悪くなると消しゴムを弄ぶことが多くなる、ということに気づいているのは、クラスでも柊だけだろう。


 因みに柊は機嫌が悪いとシャーペンの尻の部分で紙を叩く癖がある。周りの人間はさぞ迷惑していることだろうが、今日に限っては周囲に配慮するつもりはなかった。


 結局自習時間中も柊の苛立ちは単調増加を続けた。それが極大に達したのは帰る段になってからである。いつもどおりに鍵を返しに行こうとしたタイミングで、クラスの男子に話しかけられたのだ。


「いつも浅宮に任せてごめんな。今日は俺らが返しに行くから、他の奴らと一緒に帰れよ」


 柊たちがいつも自習後に鍵を返しに行っていることを気にしていたらしい。それが善意なのは分かっていても、その余計な気遣いが鬱陶しくてたまらない。


「別にいいよ。俺が先生に頼んで借りてるんだし、俺が返しにいく方が良いでしょ」


「まあまあ、こう言ってくれてるんだし、たまにはいいんじゃない?」


 突き放すような柊の拒絶は、何も分かっていない薫子によってあっさり翻無に帰した。柊以上に空気の読めないこの姫君が、現代文の点数は学年1位だというのだからテストなんて当てにならない。結局鍵はその男子が持っていってくれることになり、柊たちは他のクラスメイトたちと集団で帰ることになった。


 そうなれば、当然のように彼女に群がってくる男子がいる。いくら薫子でも、話しかけられたものを無視はしないので、2、3言の返事で済ませている。それだけのことで喜ぶ彼らの気が知れないが、とにかく彼らが柊の目的を阻んでいるのは間違いなかった。


 依然プレゼントは柊の鞄に入ったままだ。だと言うのに、話しかけるチャンスすらないまま、改札を抜ける。


「また明日」


 そう挨拶をかわし、ホームへ向かおうとした瞬間、誰かから尻を蹴られた。勢いで薫子の方へよろめいた柊は、なんとか体勢を立て直して声をかける。


「姫川」


 クラスメイトの目もあって、彼女のことを久しぶりに名字で呼ぶ。


「ちょっといいか」


 姫川は軽く目を合わると、その場で踵を返し柊の方へやってきた。周りのクラスメイトが興味深そうにこちらを見つめる中、鞄から1つの紙袋をとりだす。


「誕生日、おめでとう」


 はっ、と仰け反る仕草を見せる姫川は、果たして自分の誕生日を失念していたのか、それとも単に柊からのプレゼントを予期していなかったのか。見つめるクラスメイトたちの目は、どうせ受け取ってもらえまいと高をくくった、冷めた目だった。


「ありがとう」


 薫子はそう口にしてニコリと笑う。その可憐な笑顔は、他の全てを柊の視界から消し去る。止まった時の流れの中で、自らの鼓動だけが耳障りに響いていた。


「じゃあまた明日」


 そう声をかけられてようやく、時間が再び動き出した。周りをみれば、一様に口をポカンとあけるクラスの男子。薫子に見とれていたか、それともプレゼントを受け取ったのがよほど意外だったか。


「うん、また明日」


 なんとか挨拶を絞り出して、今度こそ別れる。


「頑張ったじゃん」


 エスカレーターを降りながら、椿がそういって掌を合わせてくる。無駄に勢いを付いてきたので、良い音は鳴ったが痛かった。






 最寄りの改札を出て椿とも別れ、家路につく。ふと気になって東の空をみると、ベガが一際明るく輝いていたが、アルタイルはまだだった。


 なんだか悔しくて、アルタイルが出てくるまで外で粘ろう、と公園のベンチに腰かけ空を眺めることにした。東の空を見つめること十分ほどたっただろうか、ポケットの中でスマホが震えだした。


『もしもし、柊くん! プレゼントありがとう!』


「どういたしまして。気に入ってもらえた――」


『――それはもう!』


 若干食い気味に返事が来る。彼女の様子と現在時刻から察するに、姫川は家につくなりプレゼントを開け、中身を確認してそのまま電話をくれたようだった。


「それは何より」


 日曜日の勉強時間と、天利家のバイトで得た臨時収入を総動員した甲斐があったというものだ。


『明日から使うね。ううん、今日から家で使う!』


 そう嬉しそうにはしゃぐ姫川の声を聞いていると、心が落ち着いてくる。


「ぜひそうしてくれ」


 そう言って電話を切る。まだアルタイルは出ていない。そう思ったのだが、突然風が吹いて、雲の切れ間からわし座の1等星が顔を出す。あんなところにあったのか、と呟くと、満足げな顔で2つの星を眺め、それから自分の家へと帰っていった。

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