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7月 5日(月) 1度くらい、転んでみろよ

 翌日は、朝から気持ちが晴れなかった。本音を言えば、学校に来ることすら憂鬱だった。彼女の姿が視界に入るだけで、椿の言葉を思い出してしまう。


 ――ほんとにそう、思ってる?


 ――リスクを背負う覚悟がないなら、私の友だちに手を出すのは許さない


 柊のことを気にかけるように、ちらちらと送られる薫子の視線には気づいていた。だが、彼女と目を合わせるには、勇気が足りなかった。


「なあ、浅宮、ここなんだけど」


「悪い、柊は今日は調子が悪いみたいだ。後にしてくれないか」


 柊に話しかけてくるクラスメイトが、なぜか昂輝によって追い払われている。


「昂輝、お前さ」


「なんだよ」


「察しが良すぎて怖いんだけど。俺何も話してないよね?」


「何も話されてはないな。けど、顔に大きく『誰とも話したくない。放っておいてくれ』って書いてあるぞ」


「まじかよ」


 恥ずかしくなって顔を伏せる。我が物顔で柊の机の端に座る昂輝の存在感が、少しだけ心強く感じた。





 結局その日は、教室に残って自習もせず、早々に家に帰ることにした。薫子が一緒に帰りたがる素振りを見せていたが、椿が何か声をかけて教室に引き留めていた。


『大丈夫? どこか具合悪いの?』


 薫子からの連絡には、未だ既読をつけていない。自分が薫子とどうしたいのか、どうなりたいのか、答えが出せるまで、既読をつけてはいけない気がした。


 誰かと話がしたい。そう思ってスマホに手を伸ばす。薫子と椿は論外。年下の梨紗に恋愛相談をするのはなんだかかっこ悪いし、何より彼女は明日からテストだ。悩んだ末に、昂輝のアカウントをタップする。


「昂輝、今暇?」


『試験勉強で忙しいといえば忙しいが、親友の悩みを聞いてやれるくらいには暇だな』


「……ありがとう」


 昂輝らしからぬイケメンめいた台詞を吐く親友(こうき)に、柊も珍しく茶化さずに感謝を伝える。


『素直な柊って気持ち悪いな。で、姫川との間に何があったんだ? 夫婦喧嘩か?』


「え、ちょっと、なんで薫子が出てくんのさ」


『いや、見てれば分かるっての。てか姫川のこと下の名前で呼んでんの? お前らマジで付き合ったりとか』


「してない!」


 あらぬ方向へと暴走していく昂輝の妄想を、慌てて止める。自分の顔が真っ赤になっていることは、鏡を見なくても分かった。


『はい、はい。で、柊くんの恋のお悩みを聞かせてもらおうか』


「実は俺姫川のことが好きでさ……」


『知ってる』


「なんでだよ」


 誰にも悟られないよう、必死に隠していたことが周知の事実のように扱われ、思わず苦笑をこぼす。


「まあいいや。それであいつさ、自分のことが好きな男子が苦手なんだと」


『それで、必死に隠してた訳だな』


「お前と椿にはばれてたけどな」


『で、椿に活をいれられたわけだ』


「だからなんで分かるんだよ」


 そこまで見透(みすか)されると、柊が話すことがなくなってしまう。


『だから、見てれば分かる』


「俺そんなに分かりやすいか?」


『びっくりするくらい分かりやすいね。陰薄いから目立ってないだけで、少し注目してたら誰でも分かるよ。分からないの、姫川くらいなんじゃねえの』


 淡々と告げられた事実は、柊の心を凹ませるのには十分だった。


『で、椿にはなんて言われたんだ?』


「『リスクを背負う覚悟が持てないなら、私の友だちに手を出すのは許さない』ってさ。俺はリスクを避けて逃げてるばかりの軟弱者なんだと」


『うわっ。らしいっちゃらしいけど、柊豆腐メンタルだしそれはまずいだろ』


「おい誰が豆腐メンタルだよ」


『現にメンタル崩壊して電話かけてきてんの誰だよ』


「……返す言葉もございません」


 言いくるめられてさらに仏頂面になった柊の耳に、ぽつりと昂輝の声が流れ込む。


『あのさ』


「何だよ」


『1度くらい、転んでみろよ』


 抽象的なたとえだが、昂輝の言いたいことは嫌と言うほど分かった。それだけに、返事ができなかった。それに構わず、昂輝は話し続ける。


『上から目線になっちゃうけどさ』


『転んだことがないなんて、大した自慢にならないぜ。生まれてこの方2度も転んだことのないやつと、1万回転んで一万回起き上がったやつだったらさ、俺なら後者の方がすごいと思う』


『転ぶ前はさ、怖くて怖くて、仕方が無いんだよ。でも、一度転んで立ち上がってみたら、なんであんなに怖かったんだろうって思うことだってある』


『それにさ、もし転んで擦りむいて、泣きたいほど痛かったら、こうやってまた話聞いてやる。友だちってそのためにいるんじゃないかと、俺は思ってる』


 一切の反応を返さない柊に淡々と話し続ける昂輝の声が、心に直接染み込んでくる。返事をしたくても、声を出したら泣いてしまいそうで、できなかった。


「ごめん、切る」


 それだけなんとか伝えると、電話を切った。一方的に相談を持ちかけて一方的に切ってしまう罪悪感を感じながら、ベッドに転がり込む。


「不在着信?」


 寝転がったままスマホを見ると、梨紗からの不在着信が入っていた。テスト前日のはずなのだが、何かあったのだろうか。そう思って急いで折り返す。


『もしもし』


「もしもし、こんばんは」


『こんばんは、突然電話してすみません』


「気にしなくて大丈夫だよ。それよりどうしたの?」


『あの、』


 少し言いづらそうに間を置く梨紗。


『明日からテストなので、先輩の声聞いたら気合い入る気がして』


 おかしなことを言う梨紗に、つい笑ってしまった。


「どういう理屈だそれ。まあ、梨紗がそれで頑張れるならそれでいいけど」


『気合い入りました、ありがとうございます!』


「お、おう、頑張れよ。それだけか?」


『あ、待って下さい』


「どうしたの?」


『先輩、また何か嫌なことありましたね?』


 急な梨紗の問いかけに絶句してしまう。なぜか柊の周りにはエスパーが多いように思う。


「いや、別にないよ」


 反射的にごまかそうとするが、こういうとき、梨紗相手にごまかしは通用しない。


『そうなんですかー』


 電話の向こうの梨紗がどんな顔をしているか、はっきり分かる。「そういうことにしておきましょう」という、微笑ましげな顔を想像して、少し腹が立った。


『先輩』


「なんだよ」


『先輩っていろいろと難しく考えすぎちゃうところ、ありますよね』


「そうかな」


『ありますよ』


 こうやって有無を言わさず断定されると、そうなのかな、と思ってしまう。


『先輩、世の中には真っ正面から立ち向かう以外の選択肢だってあるんですよ。どうすればいいか分からなくなったら、逃げ出すのも一つの手です』


「逃げるは恥だが、ってやつだな」


 真面目な雰囲気を振り払いたくて、少し前に流行ったドラマをネタにして茶化してみる。


『恥ですらないですよ。少なくとも私は、先輩が何かから逃げ出したって恥だとは思いません。先輩の生き方は、なんていうか、不器用すぎるんですよ』


「そ、そうか、ありがとう……」


『あの、全然褒めてないんですけど』


「分かってるよ。心配してくれてありがとうってこと」


 後輩が良い子すぎて、先ほど押しとどめた涙が再びせりあがってくる。


「だけどさ、」


 その涙をこらえ、はっきりと口に出す。


「まだ、逃げたくないんだ」


 一瞬の間が開く。それから梨紗の、面白がるような声が聞こえてくる。


『そうですか、なら、頑張って下さい! 逃げたくなったら、いつでも電話くれたら慰めますから。私は先輩の味方ですよ』


「分かった、そうするよ」


『絶対ですからね! じゃあ、切ります』


「うん、テスト頑張って」


『はあい。では』


「じゃあね」


 自分はなんて情けないんだろう。こうして、二人もの友人に背中を押してもらえなければ、自分の気持ちに正直になることすら、できないのだ。


 それでも、前に足を踏み出そう、という決意は固まった。


 アプリから、連絡先を探す。今日は電話をかけてばかりだ。苦笑いしながら画面をタップすると、1コールもしないうちに彼女が出た。


『もしもし、柊くん、どうしたの』


「ごめん、薫子、心配かけて。ほんとうに大したことじゃないんだよ」


『それなら良いんだけど。もう大丈夫なの?』


「うん、明日からはいつも通りだよ」


『よかったー。心配したんだからね』


「だからごめんってば。それでさ」


 大きく鼓動を刻む心臓に胸を当て、できる限りなんでもないことのように、薫子に問いかける。


「試験最終日さ、終わった後に会えないかな」


『いいよー。面子は?』


「そうじゃなくてさ、」


 息をのむ音が聞こえる。次の言葉を探すうちに、薫子に先に聞かれてしまう。


『2人でってこと?』


「うん」


『……分かった。最終日ね、空けておく』


「ありがとう」


『……じゃあ、また明日ね。テスト勉強、頑張ろうね』


「うん。今度も学年1位は譲らないからな」


『ふん、今回私は柊くんで物理をブーストしてるんだから、負けるわけないんだからね』


「言ってろ。あとで泣くなよ」


『成績発表の日が楽しみだね』


「じゃあ、また明日」


『また明日』


 通話の切れたスマホを床に放り投げ、天井を見上げる。成績発表は、当然だが試験最終日より後だ。それを楽しみにする気には、柊はなれない。


『覚悟、できたよ』


 それだけ椿に連絡をすると、柊は眠りについた。

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