7月 1日(木) 柊的にはどっちの方が可愛いのかな?
翌日も教室は遠足どこ行こう、といった話題で持ちきりだった。あまりに雑然とした雰囲気に、試験なんてないんじゃないかと錯覚させられる。実際、多くの高校1年生にとって、テストの9日前というのは、試験前にカウントされないのかもしれない。
とはいえよく見れば単語帳を広げているもの、予備校のテキストとおぼしき教材を目の色を変えて解いているものなど、試験勉強を始めているものもちらほらいた。昂輝は椿の様子を見れば、何やら楽しそうに話している。意外とこの2人は良い感じなんじゃないか、という考えがふと浮かんだ。
邪魔をしても悪いと思い、2人の後ろを無言で抜けていこうとするが、あえなく椿に捕獲されてしまう。
「柊、おはよー!」
「お、おう。おはよう、椿。昂輝も」
「おう、おはよ」
突然の名前呼びに一瞬挙動不審になるが、考えてみれば柊は椿のことを名前で呼んでいるのだから、別におかしいことでもない。
「そろそろ7月7日だね」
にやつきながら椿が話しかけてくる。
「七夕だな」
「他にもあるでしょ? 分かってるくせに」
「……姫川の誕生日だろ」
彼女が七夕生まれなのは有名で、「かぐや姫」の異称の由来の一つでもあった。もちろん、七夕はかぐや姫ではなく織姫様なのだが、そんな細かいことを気にする生徒は桜高にはいない。
「まあ流石に試験前だし、本格的なお祝いは試験終わってからで良いと思うんだけど、プレゼントくらいは何か用意するんだよね?」
「した方がいいかな? 友だちに誕生日プレゼントなんて買ったことないんだけど」
「当たり前でしょ。他の男子からは一切受け取らないだろうけど、柊からなら喜ぶよ」
「そうかなぁ」
「てことで、日曜日14時に駅集合で。それまでに何買うか候補考えておくこと」
「え、一緒に買いに行くの?」
「当然。柊に任せたら物理の参考書とか実験器具とかにしそうで怖いもん」
「いや、俺は一体なんだと思われてるの?」
「何って、物理オタクでしょ? あ、先生きたね! また放課後!」
話す勢いが嵐のようなら、去り際も嵐そのもので、後にはくたびれた男子が2人残るだけだった。
「お前も大変だな」
隣に座る昂輝に声をかけられる。
「そういうお前も心なしかぐったりしてるけど」
「そりゃあ朝入ってくるなり『遠足は動物園行くから! あと写真係は武井に決まったから、よろ!』って宣告してお前の方に話しに行っちゃうんだもん」
「あのエネルギーどこから来るんだろうな」
「若いって良いよな」
「ほんと。さすが早生まれ」
「関係あるのかそれ」
「あんじゃね」
高校生になって、めっきり歳を感じることが増えた。そんな若者らしからぬことを考えながら、担任がホームルームを行うのをぼんやりと眺めていた。
今日の放課後は、いつもの3人の他にもう1人、村田という男子が残っていた。
「浅宮、数学問題集の答えに書いてある日本語が俺の知ってる日本語じゃない。翻訳してくんね?」
「ああ、これね」
以前昂輝に質問されたところだったのですらすらと説明ができる。柊が説明すると村田も得心がいったような表情になる。
「ところでさ」
教室に残る女子2人の方を見ながら怪訝な顔で尋ねる村田。
「あの2人なんで教室残ってるの?」
「勉強するためだろ」
「いや、それは分かるんだけどさ。クラスの男子の人気ツートップと一緒に勉強してんの?」
「え、姫川はともかく椿って人気あんの?」
「お前、あれだけ仲よさそうなのに知らないのかよ。顔良いし、かぐや姫より話しやすいし、最近は下手したら姫川よりも人気高いかも知れないぞ」
村田からもたらされた意外な情報に戸惑いを覚える。確かに、くりっとした瞳と少し丸みを帯びた頬は、低めの身長も相まって小動物的な憎めなさを醸している。とはいえ、中身をよく知っている柊としては、あまり同意し難かった。
「まあそれで勘違いして告白して玉砕するやつが続出してるんだけどな」
一層声を落とし、顔を近づけて続ける。
「なんでも、断られる理由が、他に好……」「村田くん」
突然言葉を止めた村田の方を見ると、虚ろな眼で顔をこわばらせた村田の後ろには、般若面かと錯覚するような冷たい表情の椿。文字通り椿鬼○、なんて口にした日には視線だけで射殺されそうだった。
「あ、今日は親が体調崩してて、妹の面倒見るために早めに帰んなきゃ行けないんだわ。じゃあな」
目を見張る速さで荷物を片付けた村田は、妙に説明くさい台詞を残して教室を出て行った。
「ねえ、柊、村田くんから何か聞いた?」
椿は柊の近くまで寄ってきて、上目遣い気味に可愛らしく聞いてくる。しかしその後ろには般若面の幻影が依然として佇立していた。
「ううん、何も。雑談で、椿って可愛いよなっていう話をしてただけだよ」
「もう、柊ったら……」
会話だけ見れば仲睦まじげだが、実際には蛇と蛙の会話だ。1歩間違えれば食われる、その危機感に背中を冷や汗がいくつも流れ落ちる。
「そうだよね、椿ちゃん可愛いもんね」
拗ねたように姫川が乱入してきて、混沌はより深まる。どうやら蛇は2匹いたらしい、ということに今更になって気づいた。
「もちろん、姫川の話もしたぞ。2人とも可愛くて絵になるよなって話してたんだ」
それを聞いた椿は、面白い遊びを思いついた小学生のように、ぱっと笑みを浮かべる。
「へえ、因みに柊的にはどっちの方が可愛いのかな?」
ここだ。ここで間違えたら待つのは死のみ。曲がりなりにも学年トップの脳みそをフル回転してシミュレーションしてみる。
もしここで椿、と答えたら姫川は拗ねるだろう。嫌われるかもしれない。それはダメだ。では、姫川、と答えるか。それは、気持ち悪がられて嫌われるだろう。
結局どちらを答えても嫌われる、という結論にたどり着いた柊は、回避策をとることにした。
「いや、どっちも甲乙つけがたいくらい可愛いよ。それにほら、可愛さのベクトルが違うって言うか。椿は癒やし系の可愛さだけど、姫川は凜としてて、かっこよくて綺麗って感じだから、比較できないんだよ」
教室は冷房が効いているはずなのに、どうしてこんなに暑いのだろう。手で顔に触れてみると、びっくりするくらい熱を持っていた。これが知恵熱だろうか。
「柊顔真っ赤じゃん。そんなに無理して言わなくても良いのに」
柊の顔をみて破顔する椿は、もう機嫌を直しているようだった。一方、姫川は怒ったように振り返ると、早歩きで自分の席へ戻ってしまう。怒らせるようなことを言ったつもりはないが、何か気に障ることをしてしまったのだろうか。
「おい、椿のせいで姫川に嫌われたんだけど。どうしてくれんの?」
法的措置も辞さない勢いで椿に突っかかるが、逆に信じられないものを見るように、まじまじと見つめ返された。
「柊、もしかしてそれ本気で言ってる?」
「うん。割と本気で怒ってる」
「馬鹿じゃないの」
ちなみに柊は鈍感ではないので、後ろからちらりとみえた姫川の横顔少しだけ赤かったことに気づいていた。
やはりこの教室は暑いらしい。そう結論づけ、冷房の設定温度を1℃下げておくことにした。
その後は姫川も普段通りに接してくれた。それでも、嫌われたんじゃないかという考えを振り払えなくなった柊は、家に着いた後迷いに迷って姫川に連絡をする。
『さっきは変なこと言ってごめん。俺なんかに綺麗とか言われても不愉快だったよね』
2秒で既読がつく、女子高生の恐ろしさである。
『ううん。そんなことない。むしろ、柊くんにそんなふうに言ってもらえて、嬉しかったよ』
『そっか。それなら良かった。事実だけど、嫌な気分にしちゃったかなと思って、ちょっと心配だったから』
『そっか事実なんだ(笑)』
『あ、椿の方は言わされただけだけどね』
『何それひどい。椿ちゃんに告げ口しとく』
『やめて俺マジで殺される』
思ったほど怒っていない様子の姫川に安心した柊は、ほどほどのところで切り上げて、寝てしまうことにした。
今日はいつもより、寝付きが良かった。





