十
十万本の矢。
聞いた瞬間、魯粛の目が点になった。
近くにいた諸葛瑾の白い顔が、余計白くなっている。気絶するなよ、と目線で告げたが、諸葛瑾はこちらを見向きもしない。
「貴方程のお方だ、十日で十万本の矢を用意できるのでは無いのでしょうか」
周瑜はにこやかな顔で孔明にそう言っているが、明らかな圧があった。断らせはしない、断ったらこの場で斬る、とでも言わんばかりの圧だった。
が、孔明は羽扇をゆったりと煽がせ、普段どおりの表情のまま目を閉じている。
やはり、図太い。
「如何でしょうか」
「出来なかったら」
「軍令に従います」
則ち、斬首だ。
十日で十万本など無理に決まっている。が、それを孔明に課し失敗すればその場で斬るぞ、と周瑜は言っている。
無理だと分かっている。
斬る為の策だ。失敗にかこつけて孔明を斬ろうとしている、それは魯粛も諸葛瑾も、すぐに察することが出来た。
「十日、ですか」
「十日です」
「十日」
孔明が目を閉じ、軽く唸った。が、口元は僅かに緩んでいた。
「周瑜殿、流石にそれは」
たまらず魯粛が間に入った時、「魯粛殿、お下がり下さい」と孔明が口を開いた。
「十日。十日では遅すぎるでしょう。私なら三日で用意して差し上げますが、どうです」
これには周瑜も驚いたらしい。一瞬だけ目を見開き、異物でも見るかの様な顔をした。が、直ぐににこやかな笑みに戻ると、
「十万本を三日ですか。私は構いませんが、達成出来なかった場合どうなるか、ご存知の上で言っているのでしょうね」
と心配気な様子で言った。が、孔明はもう普段の表情に戻っている。
「ええ、私を斬るのでしょう。三日で十万本の矢を集める、失敗すれば斬る。それで全然構いませんよ」
「強気に出ましたね」
「これが普段の私なのですがね」
そう言うと、魯粛と諸葛瑾へと顔を向け、再び真顔に戻る。
「が、ただ作っていては職人がいくらいたとしても十万など到底不可能です。そこで、舟と兵を少々、用意頂けますでしょうか」
「兵数やら何艘やら、それにも寄るけれど出来ない事はないよ。他に望むものは無いのかい」
答えたのは諸葛瑾だった。やはり兄として弟を心配しているのか、珍しく積極的だ。
「そうですね、戻って少し計算してみましょう。まあ、そこまで大量に舟が欲しいわけではありませんから」
その話を聞きつつ、魯粛は魯粛なりに舟が必要な理由を少し、考えてみた。が、脱走ぐらいしか思いつかない。
ふと、周瑜に肩を叩かれた。振り向くと、周瑜の顔が眼前にあり、驚いた魯粛は僅かに仰け反り、距離をとった。
「魯粛、君は孔明を見張っているんだ。舟と兵など、逃げようとしてるとしか思えないところがある。もし、抜け出す様子があれば、即座にひっ捕らえて私の所に連れて来るのだ」
「は、はあ」
魯粛は頷いた。それって、私に見張れと言う事では、と言いかけて何とか飲み込んだ。




