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貔貅乱舞  作者: Xib
其ノ弐 栄華の淵
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人は、人を染める

「郭嘉の言った通りであったなあ」

曹操は深く頷きながら、書簡を読んでいた。

「あの者は人を軽視し、処理を行わない。覇気はあれど、真に人民の心を掴もうとしない。程度の知れた虎でした」

頭を垂れながら、冷めきった声で告げるのは、曹操の軍師、郭嘉であった。

「儂も二の舞にならぬ様にせねばな」

曹操は書簡を閉じ、側にあった籠に放り投げた。書簡が鈍い音を立て、籠を転がる。それを見ながら、郭嘉が再び、口を開く。

「袁紹は、どうなさいますか」

「今が期であろうか。郭嘉、お前はどう思う」

「同様に」

曹操は郭嘉を見つめる。相変わらず、答えに微塵の揺らぎも無い。常に、表情も態度も崩さず、大地の如く堂々と構えている。

それでいながら清流の様な清々しさも備えており、魅力を持ちつつも己を隠蔽しているかの様に感じる事が、曹操には度々あった。

今も、感じている。だが、それを持って尚、信頼に足る、とも思っていた。

曹操の視線をどう捉えたか、目を合わせながら郭嘉が語り出す。

「呂布、袁術共に滅び、呉が勢いを失った今が好機かと。兵は圧倒的に袁紹軍の方が多いですが、袁紹は権力こそ大きかれ、器は小さい。統率者として、君臨するだけの器が無いのです。此処で貴方様が討たねば、近々他の者が袁紹の首を討とうとするでしょう」

曹操の思考には、最後の言葉に引っ掛かりがあった。袁紹の首を討つ者が他に。あの大軍を潰せる者が他にいる、郭嘉はそう言っている。

「呉かね」

「いいえ」

「ならば、蜀か」

「いいえ」

「公孫瓚かね。それとも、異民族」

「違います」

郭嘉は全て、即答した。曹操の疑問を、言わずとも郭嘉は即座に察していた。曹操は考え込む振りをしつつ、思い当たる名を口に出す。

「陶謙、孔融、馬騰」

「全て、違います」

「まあ、それもそうか。奴等如きが袁紹を潰すなど、百の奇跡と百の偶然が無ければ、到底有り得ぬ」

曹操は薄ら笑みを浮かべた。彼等では無い事など、曹操には言わずと知れた事であった。

残る勢力。曹操は敢えて口に出していなかった。

口に出せば、恐怖が具現化しそうな程の恐れが、内心にあった。勿論、勢いは此方が勝っている。軍も、国も、全て安定している此方に向く。

一方、かの勢力は国も無く、曹操の力で容易く潰せそうな程の兵力しか無い。潰そうと思えば、何時でも潰せると思わざるを得ない程の勢力だ。

その軍が袁紹に挑んだとて、壊滅は免れない。勝てる筈が無い。

──普通に、見るならば。

曹操は一つ唸り、天井を見る。


黄巾党がまだ各地にいた頃、曹操は男に会った。

一目見た時、異様なまでの威圧を感じた。相手は只の兵卒だったにも関わらず、その男は周囲を萎縮させる程の覇気を放っていた。

只の兵卒とは思えないその男に、曹操は興味を惹かれ、声を掛けようとした。だが男は曹操の手から逃げる様に、兵等に混じり、去ってしまった。

「公孫瓚殿の兵だそうだ。あまり、近寄るな」

背後から声を掛けてきたのは、夏侯淵である。矢を片手に、曹操と馬を並べた。

「いや、しかし」

曹操の特徴でもあり、欠点なのは惚れ込みやすい質にあった。良い武将に対する欲が、己に迷いを産むのだ。

その性格もあり、曹操は男に惹かれ、欲を持った。その時、別の男が曹操の側を通った。

その男の髭、余りにも雄々しい姿に目を奪われた曹操は、「お前」と男に声を掛けた。男は振り向く。

「何用か」

見た目の雄々しさからは想像もつかない程、繊細な声であった。気味の悪さを感じつつ、曹操は問う。

「名を、何と言う」

「関羽。字を雲長と申す者。それ以上に申す程の地位は無し」

「関羽か。覚えておく。して、先程通った者は何者か」

「我等が兄者、劉備玄徳殿にござる」

「劉備、と言うのか」

劉備。あれが劉備か、と口の中で繰り返している内、関羽は兵の中に紛れ、その姿を消してしまった。目で探すものの、兵の中に紛れてしまい、その姿を見つける事が出来ない。

「戻ろう、曹操。公孫瓚にどやされたら厄介だ」

夏侯淵が隣から声を掛け、曹操の馬の手綱を引く。ふと背後を見ると、一際豪華な鎧を身に着けた公孫瓚らしき男が此方を睨んでいた。不審者とでも思われたのだろう。

これ以上いてはまずいと思い、曹操は大人しくその場を去った。

だが、劉備という名前だけは、何時までも頭に残っていた。

そして、劉備が普通の者とは違う、と言う事も直感で感じていた。味方にすれば強いが、いつかは牙を向く。それは曹操であっても只では済まない。

それを、何時までも恐れていた。


「どうなさいましたか、天井など見て」

郭嘉の声に、我に返る。

「いや、大した事ではないよ」

劉備なら、袁紹を討ちかねない。勿論、兵力も国も、劉備には殆ど無い。だが、恐らく討てる。常識を覆す程の器を備えた人物なのだ。

孫策も、袁術も、その刃に滅ぼされた。

底知れぬ恐れが、曹操の胸の内を支配していた。いずれは自分も狙われる。

「郭嘉よ」

「はい」

「劉備かね」

「その通りです」

劉備なら、袁紹を討てる。

曹操はそれ以上、考える事を止めた。何も考えてはならない、そう確信したのだった。



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