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貔貅乱舞  作者: Xib
其の壱 虎と龍
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者と物の誓い

呉の孫策、死せり。

それは、寿春にいた太史慈にも、直ぐに届いた。

その報を聞くや、太史慈は兵を纏め、即座に帰還する。

普段は活気のある江東が、今や喪の色に染まりきっていた。歩く人々も、沈湎とした様子である。

報は真だ、と太史慈は確信した。淡い期待を抱いて、急ぎ江東に帰還したのは事実である。だが、その期待も、今、見事なまでに打ちのめされた。

「どうなるんだい、この呉は」

「さあ。だが、于吉様を討った孫策の事だ、于吉様の呪いが呉を滅ぼすかもしれんな」

「このまま、死にたくねえなあ」

喪の風に混じり、民衆のそんな会話が太史慈の耳に届く。

その中を馬でひたすらに駆け、急ぎ、殿門を潜ると、階段の前に周瑜が一人、頭を垂れたまま力無く階段に座り込んでいた。

「周瑜」

太史慈が声を掛けると、周瑜は顔を上げる。その顔は悲痛に歪み、青白くなっていた。

「寿春で、聞いたぞ。孫策殿が」

「そうか」

周瑜はそれだけ言うと、太史慈の視線から逃れる様に顔を背け、扉を指差す。

「行け。朱然、周泰が詳細を知っている。孫権殿は、放っておいて、あげてくれ。今は」

その様子のおかしさに、再び声を掛けようとするが、周瑜はそれを手で制した。

「頼む、行ってくれ。今は放っておいて欲しい」

周瑜にも何かあったのか、と心配になりつつも馬を降り、急ぎ殿に入る。文官達も、何処と無く暗い表情で、それでも通常通りに業務を続けていた。

「ああ、太史慈。戻ったんだな、大分待ったぞ」

向かいの廊下から声がした。庭を挟んだ向こう、朱然が欄干から身を乗り出し、手を振っていた。太史慈が言う前に、朱然が手を振りながら、

「太史慈、此方に来れるか。急ぎだ。孫策殿の所まで俺が案内してやるから」

と大声で話し掛ける。

「直ぐに行く」

そう答え、太史慈は走り出す。反対側はどう行くんだったか、と走りながら思考を巡らせる。何度通っても、此処には慣れない。

それにしても孫策が、と思わざるを得なかった。かつて、太史慈がまだ劉繇に招かれただけの兵に過ぎなかった頃、孫策とは一騎討ちで互いの志を認め合った。

あの時は、この男こそが天下を取る、という確信が太史慈の中にあった。それだけ、孫策という男に興味を惹かれたのだ。

だが、今、その孫策は、いない。否定したいが、否定出来ない現実が、眼前に虚しく広がっていた。

「太史慈、此方だ」

遠く、朱然が手を振っている。いつの間にか、着いていたのだ。

「朱然」

「此方だよ」

そういうや朱然は太史慈に背を向け、歩き出す。歩きながら、「周瑜を見なかったか」と肩越しに振り返った。

「見た。門の前、階段に座り込んでいたぞ」

「そうか」

朱然は黙り込んだ。背後を歩いている為、顔は見えない。今は、察しようという気も起きなかった。

黙々と、冷めきった廊下を歩く。珍しく、人一人会わなかった。

「此処だよ」

朱然が口を開く。朱色に塗られた扉に、龍とも虎ともつかぬ獣が、雄々しく吠える様が金で描かれていた。

「孫策殿、太史慈が」

朱然が扉を開く。

なんの変哲も無い部屋の端に、室内には似合わない豪華絢爛たる几帳があった。其処から、物と化した者の影が、見え隠れしている。

「真に」

目の前の事実を受け止めながら、一歩ずつ近付く。

几帳を手で退かすと、其処に、元々小覇王であった者がいた。

肌は土色に染まり、者としての色を失っていた。かつての覇気は微塵も無かった。ただ、其処に、布を掛けられたまま固まっている。

者を失い、物と化した孫策は、余りにも小さかった。

太史慈の背後に、朱然が立つ。

「お前が寿春にいた頃、丁度此処では濃霧が発生してな。孫策殿が調査だと森に行って、そして見つけた時には」

「この座間だったのか」

「手当はした。したが、出血量が多過ぎた。部下に医者を呼びにやる前に、もう」

「それで、周瑜は」

朱然は虚しく首を横に振った。

「いや、それだけでは無い。あいつが言っていた、助けられなかった、と。俺達が来た時にはもう既に瀕死だったから真意は分からん。ただ」

「ただ、何だ」

「孫策殿の側に、孔明、とか言う男がいた。周瑜が叫んでいたから間違いない。服装から、恐らく劉備の者だ」

「劉備の」

そう言葉を発すると同時に、関羽を思い出す。もう一人の男の名は忘れたが、二人共に劉備の者であった。

遂に劉備が動き出したのだろう、と太史慈は結論付けた。だが、それでは済まされない、背筋が凍るほどの闇が背後にある、とも思った。

袁術と、孫策。

この二人を狙っていた事に、違和感が拭いきれないのだ。異様なまでの闇、弄んでいるかの様な虚しさを感じさせる。

ならば、と太史慈がやる事など目に見えていた。

「孫策殿」

声を掛けても、勿論、反応など無い。

既に周囲のものに溶け込んでいる孫策に、響く筈もない。

太史慈はその様を、黙って見つめていた。

いずれは太史慈も、同じ事になる。生きる限り人であるが、死ねば物になる。ただそれだけの事に過ぎない。

だが、物になれば無限の静寂を持つ。その時まで、何としても生き延びよと、孫策が身体で伝えている様な気がしていた。

「朱然、某はもう行く」

「ああ、分かったよ。でも、これからどうする」

「兵を纏める。孫権殿が立ち上がるその日まで」

太史慈は歩き出した。それが最期の別れである事を、身体が感じている。

「さらばだ、若き虎」

何れ、再び出会う事になるだろう。その時こそ、静寂の中で会える事を願いつつ、武官としての煩惱の一歩を、太史慈は踏み出した。


そろそろ一章...???

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