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貔貅乱舞  作者: Xib
其の壱 虎と龍
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伏龍、小覇王を呑む

時を同じくして、呉にも異変が起こっていた。

突然、霧が付近の森を包んだのだった。一部の者が様子を見に行ったが、それきり戻っては来なかった。

周瑜は窓から、その霧を見つめていた。窓は閉めてある。開けると、嫌な風が全身を刺激し、鳥肌が立つからだ。

「黄巾の残党でもいるのか」

周瑜の独り言に、背後に控えていた周泰が首を振る。

「黄巾党の奴等の呪術は誤魔化しであったが、今ある霧は違う。余りにも禍々しい。孫策も、戻って来ない」

「やはり、お前もそう感じるか」

周泰は無表情のまま、頷いた。

「策を、迎えに行くべきだろうか。策に万一の事があっては、この孫呉は」

呟く度、周瑜の心に不安が募っていく。孫策に万一の事があった時、弟の孫権が全てを引き継ぐ手筈ではある。だが、孫権は、主君の器としてはまだ、未完成と言っても違和感の無いものであった。更には、孫呉の武将は孫策の覇気に従っているのであって、孫権に従っているのではない。

今、孫策に何かあれば、兵までもが離れていく事が、明らかであった。

下手をすれば、孫呉は滅びる。その危機感は、周瑜の身体を刺し、焦らせる。

「悪いが、私は行く。周泰、お前はどうする」

周瑜が身を翻すまでも無く、周泰は「お供致します」と即座に答えた。

剣を佩いて外に出ると、孫権が駆け寄ってきた。孫策の不在に、不安の色を隠し切れず、顔にも不安が滲み出ている。

「周瑜、何処に行くのだ」

「策を探しに。心配するな、直ぐに策を連れて戻って来る」

「私も」

「貴方は駄目だ。何かあった時、この国を支えるのは他でも無く、貴方なのだから」

「なら、代理で俺が行く」

突然声がした。孫権の後ろの扉が開き、武装した朱然が姿を現す。

「森には行くが、放火はしないぞ」

「おい周瑜、俺はそこかしこで放火するような人間じゃないぞ」

「どうだか。では、孫権、留守を頼む」

周瑜に言われ、孫権は不安ながらも小さく頷いた。


「相変わらず生意気な奴だな、お前」

朱然はぶつくさ言いながらも、走る周瑜の後を付いて行く。

「なら来るな」

「それはお断わりだ。俺だって孫策が心配なんだ、それに何処ぞの軍師は見てないと無茶しそうだからな。若気の至りで」

「お前も生意気」

「続きは、孫策殿を連れ戻してからやって下され」

周泰の一喝で、二人の言い合いは止まった。確かに、その様な事をしている場合では無い。

馬に鞭を打ち、疾駆させる。

森に近づく度、刺すような空気が周瑜等の肌を刺激した。鎧を着ていても、空気は隙間から入り込み、寒気を誘う。やはり、只の霧では無い。

「嫌な空気だ。離れるなよ」

周瑜の言葉に、背後の二人は黙って頷いた。

そのまま、森に突入する。踏み入れた途端、霧が一気に濃くなった。一寸先も見えない程の、濃い霧である。

「何だこれは。迷いそうだな」

朱然が顔を曇らせる。こんな事は一度も無かったのに、と呟くと周囲を見渡した。

「だが、此処の何処かに、孫策がいる。探さねばなるまい」

「手分けするか」

「いや、この霧だ。固まった方が得策かもしれん」

その時だった。周泰が目を鋭く右に向け、周瑜と朱然に手で黙る様に伝えて来る。

「どうした、周泰」

朱然が聞くと、周泰は首を振り、右を睨めつける。

やがて、周瑜の耳にも聞こえてきた。周泰の視線の先から僅かに、剣戟の音が聞こえてくるのだ。

「策、なのか」

孫策。無意識の内に、周瑜は駆け出していた。慌てて二人が追いかけて来るが、周瑜には既に、二人の蹄の音など聞こえていなかった。

どれ程駆けたか。少しの時間であろうとも、周瑜には一刻ほどにも感じられた。いつの間にか剣戟の音は止み、蹄の音だけが静寂を破っていた。

「策、何処にいる。返事しろ」

姿が見えない事に耐え切れず、周瑜は叫ぶが、返答は来ない。

しかし、代わりに見知らぬ者の笑い声が聞こえてきた。

「ふ、呉の者が一人。命知らずの者が、参った様ですね」

「誰だ」

「孫乾、お相手をなさい」

「孫乾、だと」

孫乾。劉備軍の者だ、と思った瞬間、天から無数の矢が降ってきた。

無意識に剣を抜き、咆哮しながら降ってくる矢を次々叩き落とす。矢は直ぐに止み、再び霧の中から先程の者の笑い声が聞こえて来た。

「見事見事」

「貴様、孫乾、と言っていたな。答えろ。お前は劉備軍の者か」

「そうで無ければ、何でしょうね」

「お前がこの霧を作ったのか。策を何処にやった」

「ふふ、そんな怒鳴らなくても、貴方の主君は居ますよ。私の足元に、ね」

言い終わるや否や、何かを振る音がした。途端に立ち籠めていた霧が、忽ち晴れて行く。

周瑜の目の前に、羽扇を持った、身の丈八尺の男がいた。顔は青白く、目は優しげながらも突き刺すように鋭い。長髪で右目は見えないが、見えていなくとも、此方を狙っていることは直ぐに分かった。

そして、その男の足元、孫策が血を流して蹲っていた。

「策」

周瑜は駆け寄るが、男は剣先で素早く孫策を拾い上げ、後退する。

「貴様、まさか貴様がやったのか」

今にも噛み付きそうな周瑜を、男はさも愉快げに見つめ、そして話し出す。

「止めを刺したのは私ですね。全く、この小覇王、随分と恨みを買っていた様で。お陰で、簡単に策が成りましたよ。哀れな末路ですねえ」

男が剣を揺らすと、引っ掛けられた孫策の身体は剣に合わせ、力無く揺れた。

「止めろ。策を離せ」

周瑜の怒りを露わにした声に対し、男は尚も優しげに告げた。

「そうは行きませんよ。呉の将、貴方も共に逝きなさい」

その言葉が合図になったかの様に、大量の兵が男の側から現れる。

「く、この者等は、一体」

周瑜は兵を見る。顔は知らないが、全員の目が異様な程に血走り、血を求めていた。

その様子を見ていた男が、周瑜を見ている内にああ、と声を上げる。

「貴方、周瑜ですね。丁度良い、冥土の土産に教えて差し上げましょう。この者等は、孫策の殺した于吉、と言う者の信者達で御座います。孫策を討つ、と触れを出したら、簡単に集まってくれました。言ったでしょう、小覇王は恨みを買っていたと」

「于吉。まさか、此処で」

于吉道士なら、周瑜の記憶にも新しい。民衆が于吉に礼拝していた事を間近に見た孫策が、周囲の静止を振り切り、于吉を殺したのだ。

その後暫くは何も起きなかったが、今、孫策を傷付けるという形で恨みが具現化した。

そして、周瑜も──。

兵等が剣を持ち、近付いてくる。周瑜は一歩引くが、孫策が目の前にいる以上、退く気は無かった。

「貴様、何者だ」

周瑜の問は、羽扇を持った男に向けられていた。それを察したか、男は周瑜を見つめる。

「私は、劉備軍の軍師、諸葛亮。またの名を、孔明」

「孔明。貴様、覚えておくぞ」

「ええ、冥土で、恨んでいて下さいね」

孔明が羽扇を振る。それを合図に、一斉に兵が襲い掛かってきた。

勝てるか。それは周瑜の賭けだ。叩き切ろうと一歩踏み出した途端、目の前に突然、赤い鎧の男が二人、現れる。

周泰と、朱然だった。

「周瑜。探したぞ」

朱然はそう言うや、目の前の兵を斬る。

「勝手に行くな」

周泰もそれだけ言うと、兵達へと斬り込んだ。直様、悲鳴が上がる。

「ふ、残念。一人であれば、周瑜の首も討てたのですがね。まあ、良いでしょう。孫乾」

孔明が声を上げる。同時に、孫策を離した。

「待て、何処に行く、孔明」

「生きていれば、また会いましょう。周瑜、公瑾」

孔明は手を小さく振ると、馬で駆けて行った。同時に、再び矢が降り始める。

しかし、明らかに違うものがあった。火矢である。

地に刺さった矢は忽ち燃え広がる。

「あの野郎、俺の特権を」

「そんな馬鹿な事言っている場合か、朱然。逃げるぞ」

森が火の粉を上げ、悲鳴を上げ始める。兵が混乱し始めた隙に、周瑜は孫策の身体を抱き上げた。

「策、しっかりしろ、策」

孫策を揺するが、孫策は身動き一つせず、力無く横たわっていた。手は、冷たくなっている。

まさか、と最悪の結末が周瑜の脳裏をよぎる。

「策──!」

無意識の内に、周瑜は天に向かって咆哮していた。


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