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貔貅乱舞  作者: Xib
其の肆 武の調律
30/74

猛虎と賢

直ぐに曹操軍が追撃に来るだろう。それは、劉備軍としては容易に想像できる事の筈だ。だからこそ、橋に張飛を配置したのだ。

橋は太くは無い。寧ろ吊橋で、武器を振るえる程とはいえ、細く、そして支える綱は頼りなく、風で不安定に揺れる度、綱が甲高い悲鳴を上げる。

そして、吊り橋の遥か下には激流の音を響かせる川がある。落ちたらまず、助からないだろう。よりによってあんなものが、と夏侯惇は舌打ちした。

勿論、迂回路が無い訳では無いのだが、大分道を反る必要がある上、舗装されていない為足元も悪く、更には樹木が好き放題に生えている為見通しも悪く、敵としては伏兵や落とし穴、火計等策を巡らすには理想的な場所であった。そんな敵軍を平らげるのに絶好の迂回路に、孔明が手出しもせずただ放置しているとは到底思えない事であった。

だとすると、不安定とはいえ張飛が仁王立ちしている吊り橋を使った方がいい、と言う訳だ。

なのだが。

夏侯惇、の目の前に、その吊り橋があった。崖特有の強風に、綱が例の悲鳴を上げる。そして、向かいには張飛が馬に乗って佇んでいる。一応先頭には曹操と曹仁がいるが、この吊り橋を進むつもりは無さそうだった。

「お前、お目付け役だろ。此処でのんびり突っ立ってて良いのかよ」

手に持っていた剣で夏侯淵の背を軽く叩く。夏侯淵はぼんやりと目の前の張飛を眺めていたが、夏侯惇の声で我に返ったか、肩を揺らした。

「寝ぼけてないで早く行け。曹仁が死んだらお前のせいだからな」

まだぼうっとしている夏侯淵の背を拳で軽く叩き、顎で指示を出す。夏侯淵は漸く頷くと、前にいる曹仁の元へと駆けていった。その背を見ているのが、普段よりも重々しく思えた。

「全く、郭嘉に続いて夏侯淵までもか。なんだ、気候か、風土か。俺はぼんやりしていないんだがな」

「風土って言うな」

珍しく郭嘉が、聞きたくない、と嫌悪感も露わに素振りで伝えて来た。

郭嘉は袁家の跡継ぎ討伐の際、柳城での風土病によって一時期生死の境を彷徨っていた。その状態は医師でさえ手を上げる程に酷く、曹操でさえ諦めた程だ。その後どういう訳か奇跡的に生還し、何とか戦に出れる程に回復したが、あれ以来風土という言葉には嫌悪感露わに、耳を塞ぐ。噂によると姿も妙な怪しい医師に救われたらしいが、真意は定かではない。

郭嘉が生きている、という報が伝わった時、あのまま死ねば良かったのに、と陳羣らしき男が呟いた事は皆、黙っている。

周囲には、恐らく劉備と共に逃げてきたであろう民の死骸が無残に転がっている。張飛に敗北し、逃げ帰るまで、戦は好調と聞いていた。その時に曹操軍によって討たれた民だろう。

向かいの張飛は、何も言わずに此方を見ている。此方の出方を待っているようだった。しかし、橋がこの通り耐久性に不安しかなく、迂闊には出られない。

それに張飛は関羽に並ぶ勇将である事は、武勇があれば誰でも知っている。そして、阿呆だと言う事も。

「奴の背後、随分と狼煙と旗が上がっていやがる。大群で出迎えてきやがったって訳かい」

許褚が手を額に当てながら、感心した声を上げた。それに対し、郭嘉はむっつりと黙ったまま何も言わない。

黙りこくっていた曹操が、漸く声を上げた。

「お前が、張飛か」

「おうよ、俺こそが張飛よ」

聞けば返る、敵ながらも清々しい返事だった。粗暴さを感じさせる口調に、雷の様な怒鳴り声である。逆立った虎髭は人間というより獣を彷彿とさせ、不思議な魅力があった。そのまま、張飛は罵声を曹操軍へと浴びせ始める。

「お前が曹操だな。それに兵共。てめえ等いつまでそこで屯していやがる、臆病風に吹かれたか。勇ある者はいねえのか」

「何が臆病風だこの野郎がっ」

張飛の簡単な挑発に、見事なまでに乗ったのは許褚だった。その体格を揺らし、今にも飛び出しそうな所を曹仁が力づくで止めている。が、流石は許褚である。曹仁を押しのけ、尚も飛び出そうとした。

その時、脇に控えていた夏侯淵、于禁が二人がかりで許褚を抑え込みに走った。その様子は宛ら猛獣を押さえつける男達の様であり、周りの者は皆、三人がかりで押さえつけられても尚ももがきにもがく許褚の様子に只々感心の目を向けていた。そんな中、「おお、凄い。猛獣の抑え方ってこうするんだな」と李典が一人、手を合わせながら関心の声を上げていた。

「感心する所が違う」

冷静に突っ込んだのは郭嘉である。

「好きにさせてやりゃあいいじゃねえか」

半ば呆れがちに言ったのは張飛だった。橋の向こうで起きている揉め合いを眺めている事にいい加減飽きたか、大きな欠伸を一つした。

「馬鹿言うな。許褚がこんな橋渡ろうもんなら忽ち橋は崩壊する」

「それ言ったら追尾できねえ、俺には罵声浴びせられっぱなしだ。大体劉備等大勢、この橋渡ってるんだ。早々崩れねえっていう発想はねえのかよ」

「お前が工作をしている可能性は否定できんだろう」

「其処までやる頭ねえよ。孔明の野郎なら思いつくかも知れねえけど」

遠回しに自身を阿呆と認めた発言には特に言葉も挟まず、曹操と夏侯惇は黙って張飛を見る。

曹操が遂に剣を掲げた。

「勇ある者、前に出よ。あの男を討て。見事討ち取った者には褒美を与える」

これが始まりになった。



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