謀略、混沌に紛れ
謀略だの、謀反だの。攻城だの、火計だの。天下だの──。
混沌の世に生まれた以上、避けようの無い鬱々とした人生。この世の混沌を掠める程の、どす黒く、悍ましい人間の意志。その世の中で、人々は当たり前の様に許容し、混沌に満足するのだから、大したものだ。
寧ろ秩序には、嫌悪感を示す。理想には、嫌悪感を露わにする。
口では望んでいる、くせに。
「諸葛瑾殿」
声をかけられ、我に返る。酒坏を持った男、蘇飛が諸葛瑾の顔色を伺う様に見つめていた。
「あ、申し訳ありません。少し、考え事を」
何かしら隠し事をする様な物言いに、蘇飛は探る様な目を向けたものの、聞くべきでは無いと判断したか直ぐに口に笑みを浮かべた。
「軍師殿も大変ですな。その目で常に状勢を見、その耳で真偽を判断し、その口で善悪を説かねばならぬ。無心など、ほんの一瞬にもあるまいに」
「それは蘇飛殿とて、同じ事でしょう」
諸葛瑾の返しに、蘇飛は笑って首を振った。
「貴方が来たという事は、私も近い内に使命を終える。その先は忘却の彼方、永遠に無心と共に」
「物騒な」
「いえいえ、物騒ではありませんよ。敗北し続けた者は、いずれ勝つ。勝利を掴んできた者は、何れ敗北し、首を失う」
蘇飛は笑っている。声も、清々しい。酒は飲んでいるが、蘇飛の顔は一向に赤くならなかった。故に先程の発言が酔によるものか本心か、それは不明だった。
「それで」
諸葛瑾は口を開いたが、何かを言う前に蘇飛が手を伸ばして遮った。そして一つ頷く。
「分かっておりますとも。甘寧の件でしょう」
「その通りです」
呉の武人、甘寧。黄祖の性格を調べる内、黄祖に嫌悪されそうな性格をした甘寧の存在に違和感を抱いた諸葛瑾は、太史慈や凌操等の軍に混じって視察を繰り返し、また部下等を放って黄祖軍の陣営、彼に縁のある者から甘寧の情報を片っ端から調べていた。
諸葛瑾の想像通り、甘寧自身、黄祖から軽んじられていたらしく、その為か自身でも拍子抜けする程に情報があっさりと集まった。
「実際の所」
諸葛瑾が話し出す前に、蘇飛が口を開いた。
「黄祖様が甘寧を軽蔑しているのは事実です。黄祖様は文を重んじる御方。甘寧は元海賊、部下も荒くれ者の集まりです。そりゃあ黄祖様が重用する訳無いでしょう。しかし、黄祖様は同時に、彼の武を認め、恐れており、甘寧が配下から離れる事も望んでおりません。故に、少しずつ食客を吸収し、彼自身の力を弱め、抑え込んでいる、それが現状となっております」
「成る程。だからそれで、甘寧は未だ黄祖の元に」
蘇飛は深く頷いた。蘇飛に刻まれた眉間の皺が、先程より深くなっている事に、諸葛瑾は気付いた。
「内心、黄祖様には愛想を尽かしておる事でしょう。このままでは、ともう少し甘寧を重用する様に諫言したのですが」
蘇飛はそこで言葉を切った。側にあった酒瓶を手に取り、酒杯に注ぐ。それ以上は語るつもりは無いらしい。
諸葛瑾が蘇飛の所へと来たのは、蘇飛は甘寧の味方をしている、と聞いたからだった。なら、その不遇に嘆いてるのかもしれない、と微かな希望を持って蘇飛の元に来たのだが、どうやら当たりだったらしい。この男、上手く行けば甘寧を呉に引き込むのに一役買ってくれるのかもしれない。
此処が、試し処か、と諸葛瑾は膝を乗り出した。
「貴方は、甘寧をこのまま黄祖の元に置いておこうとお思いですか」
「そんな訳ないでしょう。あの者は此処に居るべきではない、と思っております。その事で思案していた所、呉の者を部下が捕まえてきたのですよ」
「えっ」
「聞けば、貴方の放った者だったそうですね。ついでです、貴方かまた、別の文官が誘き寄せられるかもしれないと、甘寧、そして私の情報を、部下を通じて敢えて漏らしました」
諸葛瑾は黙っていた。まだ何か、言いたそうにしていたからだ。
「折り入って相談がございます。どうか、お聞き下され」
その話は一刻程続いた。が、悪い話では無く、諸葛瑾も聞き入っていた。
一通り打ち合わせた後、闇に紛れて諸葛瑾は外へと出た。門前で見送る蘇飛を一瞥した後、諸葛瑾はもと来た道を引き返していった。




