華 其の弐
馬鹿野郎。それが太史慈の感想だった。馬で駆けるが、普段よりも遅く感じた。
まさか、一人で行ったのか。そういえば、凌操の部下も見ていない。復讐にはやり、淩統について行ったのだろうか。
武将に思慮深い者は多いが、凌操は直球型だった。その息子である淩統も、その部下達も、直球であっても頷ける。全く、短気な奴らだ、と一人舌打ちをする。
「待って下され、太史慈殿」
突然、目の前の脇道から二人の男が飛び出してきた。此方は馬で疾走しているだけに、危うく轢きかける。
「馬鹿者っ」
馬の手綱を慌てて引くと、馬が驚いたのか前脚を上げて嘶いた。馬上は激しく揺れ、危うく落馬しそうになるが、何とか体勢を保つ。
飛び出してきたのは、呂岱だった。潘璋に肩を貸している。
「呂岱、潘璋っ。何をしている」
この急いでいる時に、と太史慈は怒鳴る。が、改めて見ると、潘璋は傷だらけになっており、歩行もままならぬ状態だった。
「何があった」
太史慈の問いに、潘璋は無念とばかりに目を瞑った。そして唸る様に話し出す。
「淩統を止めに参ったのだが、力及ばず。挙句、伏兵には出会うわ馬は潰れるわで、散々な目に遭った。何とか生き延びれたが、ここまでかと思って自害しようとしていた所を呂岱が通りかかったのだ」
「淩統。やはり、通ったか」
「奴、仇を取る気だ。若者で且つ、初戦だというに、周りが見えておらぬ」
太史慈は一つ頷くと、背後で息を切らしている兵に潘璋を介抱するよう指示を出し、自らは更に駆ける。一層の焦りが、内にはあった。此処で無駄死にされては、凌操に申し訳が立たない。
馬鹿では無い。
この感情は、死を齎す事もある。それを知って尚、内は焦る。脳と心は別物だ、それが事実なのだ、と内は訴えてくる。
欝陶しいものだ、生きる証拠というものは。
「畜生」
太史慈は一人、呟く。馬の蹄に掻き消されて自身の耳にも雑音としてとしか聞こえなかったが、馬はそれを聞いていたのか更に速度を上げた。
次第に、剣戟らしき音が聞こえ始めた。音から察するに、激しく打ち合っている。
音のする方、する方へと一心不乱に駆ける。何時しか、淩統のものでは無い男の声が聞こえ始めた。
「邪魔だ、どけっ」
道に、人集りが出来ている。大喝し、勢いを止めず突っ込んでくる太史慈に、兵は慌てて道を開けた。数人馬の蹄にかけた様な気もするが、それは後回しだ、と思い直す。その先に、探していた者はいた。異様な風貌をした、知らない男と剣を交えている。
「淩統。下がれ、馬鹿者」
「た、太史慈殿?」
今まさに斬りかからんとしていた淩統は、突然の太史慈の声に驚いてその動作を止めた。振り向いて太史慈の姿を確認すると、何故、と言わんばかりの表情で此方を見る。
「お友達かしら」
剣を構えていた男は、突然の乱入者にも驚く素振り一つ見せず、口元に僅かな笑みを見せた。剣の構えを解くと、剣を肩に乗せ、顔を少し傾ける。その拍子に鈴の音が一面に響く。
鈴の音。と言う事は。
「お前だな、噂の甘寧とやらは」
「ご明答」
成程、異様な風貌だ、と太史慈は思う。雄々しい上半身を惜しげも無く曝け出しているその姿に、鎧など無いに等しい。それでいながら、荒々しい声にも関わらず、嫌に艶っぽい口調である。何とも矛盾した姿に、何だこいつは、と思わざるを得なかった。凌操や黄蓋もそう思ったに違い無い。
「凌操を討ったのも、お前か」
「そこの坊やから聞いている限りは、そうみたいね」
坊や、とは淩統の事だ。何度も言われたのか、「煩い」と淩統が怒鳴った。噛み付きそうな淩統を腕で制し、太史慈は剣を抜く。
「お前が凌操の仇なら、討つ相手に値する。我が名は太史慈、お前の首を討たせて貰うぞ」
「良い威圧ね。首にするのが勿体無い位よ」
何となく調子の狂うやつだな、と太史慈は思わざるを得なかった。研ぎ澄まそうとしている神経が、甘寧の発言のせいで削ぎ取られてゆく。
内心の乱れで動く事が出来ない数秒の間に、甘寧の方から斬りかかってきた。太史慈も剣の筋を定め、勢いそのままに甘寧へと斬りかかる。
剣は甲高い金属音を立てて空中で交錯し、激しい火花を散らす。一合目から鍔迫り合いとなった。想像以上の力である。太史慈の腕が見る間のうちに震え出した。この瞬間で、只者では無い事を悟るだけの価値はあった。
太史慈が歯を食いしばる一方、目の前にいる甘寧はまだ余裕そうだった。口元に笑みさえ浮かべている。
「ぐっ」
徐々に腕が痺れ始めた。押されている。
「太史慈殿」
淩統が叫び、援護をと、太史慈の元へと馬を走らせようとした。が、それを見て取った甘寧は左手で素早く鎖鎌を繰り出し、牽制するように淩統の足元へと鎌を突き刺す。その隙に太史慈は剣を押し返した。押し返しながら斬りかかるものの、呆気無く剣に止められて終わる。
「淩統、来るな。此奴はお前の敵う相手では無い」
剣を構え直す。痺れた腕の血管に、血が流れるのを感じる。甘寧も数歩下がり、再び構え直した。
互いが咆哮と共に相手へと斬りかかる。その都度、激しい剣戟の音が辺り一面を震わせていた。周りの者も、淩統も、呆気にとられた様子で二人の戦いを見ていた。その覇気は、他者を拒絶し、牙を向いていた。故に、誰一人として介入出来る者はいなかった。
「良い面してるわね。私の好みよ」
「言動はともかくとして、中々やるな。黄祖、良い男を引き入れたものだ」
黄祖、と言った瞬間、甘寧の表情に陰りが差した。持った剣が、揺れた心を表現するかの様に微かに動く。その変化を太史慈は疑問に感じたが、敢えて声には出さなかった。
再び剣が交わる。が、黄祖、という言葉に動揺したのか、甘寧の剣が僅かに揺らいだ。
何が起きた。心の内でそう思う。明らかな隙が出来ているのだが、太史慈は狙うことはせず、様子を窺う。
やがて、甘寧は諦めた様に剣を下ろした。先程の覇気は、もう何処にも無い。相手が戦意を失ったのを見て取った太史慈も、警戒しつつ静かに構えを解く。
「黄祖」
甘寧が小さく呟いた。
「黄祖が、何だ」
太史慈の問には答えず、甘寧は背を向けた。
「お、おい待て、勝負はまだ」
「興醒めよ。それじゃあね」
甘寧は肩越しに振り返る。頭の鈴が鳴った。それを最後に、去っていった。




