勇ある者、若気を恐る
「凌統は放っておけ。まだ若いのだ、心の整理もつかんのだろう」
そう言ったのは黄蓋であった。包帯を巻き直しながら、凌統を気にする太史慈を宥める。
凌統はあのまま、凌操の遺体の側にいる。震えていた凌統の内に、危険な感情が燻りつつある事を太史慈は察したが、黙ってその場を離れた。それでも、やはり燻る念が気になってはいた。もしかしたら、と。
「しかし、あやつは何者だ。世にも奇妙な男であった」
黄蓋が目を細めた。あの後、黄蓋はなんとか戻って来たのだが、傷だらけになっており、本陣につくや否や膝をついた。
血痕が、点々と地についており、それが只ならぬ事態であると言うことに気付くことに、数秒もかからなかった。
「黄蓋殿」
既に戻っていた蒋欽が、慌てて黄蓋の身体を支えた。黄蓋はふらつきながらも何とか立ち上がったが、足も負傷したのか、歩く度に引き摺っては倒れそうになっていた。
抱えられ、寝かせられる最中、黄蓋は訝しげな顔をして呟いた。
「なんじゃ、あの男は。奇妙な言動をしておった。そのくせ、無駄に腕っ節が良いでは無いか。痛い目見たわ」
「あの男、ですか」
「恐らく、あの男が凌操を」
そこで黄蓋は口を噤んだ。凌統がこの場にはいないとはいえ、それを口に出す事は憚られたからだろう。今は、凌操の事は極力口に出さないでおこう、と言う事は、皆が等しく思っていたことだった。
勿論蒋欽も同じ様に思っている。だからこそ、黄蓋には何も聞かなかった。
血に汚れた包帯を部下に渡した後、太史慈は腰を低くし、蒋欽と黄蓋に耳を貸す様手振りで伝えた。その事を察した二人は、一つ頷くと太史慈へと顔を寄せる。
太史慈は声を低くし、顔を寄せる二人へと話す。
「凌操は、最後に甘寧、と言い残した。鈴の甘寧、と。その男が、恐らく彼を討った相手と思うのだが」
「鈴」
確認する様に言葉を発したのは黄蓋だ。
「儂が戦った奇妙な男も、鈴をつけておった」
黄蓋の発言に、二人は黄蓋を見つめた。黄蓋は二人の反応を気にする素振りも見せずに続ける。
「鈴、派手な髪飾りに男とは思えん言動であった。今思えば、あの風貌に騙されたのやもしれぬ。ただの荒くれ者かと舐めて掛かった儂が馬鹿じゃった」
今になって思い出したのか、黄蓋は悔しげに歯軋りをした。
「しっかし、黄祖め。あやつ、学を重んじる男かと思いきや、まさかあんな奴を引き入れておったとはの」
そうだな、と太史慈も頷く。黄祖は文を重んじる男だと言う事は、太史慈の周りでは既に有名な話であった。故に、武人である甘寧を優遇するとは思えない。
不遇な環境で我慢しているのか、それとも学問も優秀なのか。何にせよ、不明な事であり、呉にとっては想像外の厄介事であった。
三人共に首を捻っていると、俄に外が慌ただしくなった。早足で誰かが此方へと近付いてくる。耳をそばだてていると、突然、幕が乱暴に捲られた。
「おいお前等。そこでこそこそと話しているお前等だよ」
周瑜だった。今にも出陣せんとばかりに、武装している。
「なんじゃ病人がいるというに、お主その程度も分からんのか」
眉を顰める黄蓋に、周瑜はあっさりと答えた。
「黄蓋殿だからこうしたまでだ。それより凌統は何処に行った」
周瑜の問に、三人は顔を見合わせた。凌操なら、隣室にいる筈だ。ここに来る途中、見逃したと言うのだろうか。まさか、と嫌な予感がした。
確認の目的で、太史慈は問う。
「凌操の側にいた筈だが。まさか、おらんのか」
「まさかだ。いない」
蒋欽が太史慈へと目配せをする。太史慈も黙って蒋欽を見た。察していることは、恐らく同じだ。
「馬鹿者めが」
黄蓋が吐き捨てる様に言った。それが怒りの表現とも、呆れとも取れた。
「お察しだな」
既に武装していた蒋欽が歩き出す。時は一刻を争う。太史慈は歩き出す蒋欽の肩を掴み、乱暴に押し返す。
「蒋欽は待機。行くのは私だ」
そのまま蒋欽を黄蓋の方へと引くと、大勢を崩した蒋欽の背をすり抜けて太史慈は走り出した。周瑜が何かを言おうとしていたが、敢えて聞かずに走る。
外には馬がいた。のんびりと草を食んでいる馬の背に乗り、駆け出す。慌てて部下が馬に乗っているのを、横目で見つつ駆ける。
復讐。
若気の至りか、と思った。
背後、隠れる様にして一人、反対方向に駆ける諸葛瑾には、気付かなかった。




