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貔貅乱舞  作者: Xib
其ノ弐 栄華の淵
16/74

炎明、苦悩を嘲笑う

烏巣の兵糧は、淳于瓊という者が守っていると、許攸からは聞いていた。

その他にも、趙叡、呂威璜などの武将が揃っているという。しかし、警備体制には穴があり、そこを突けば忽ちの内に壊滅するだろう、と許攸は言っていた。

淳于瓊の噂は、曹操も聞いている。真実は定かでは無いが、優秀な武将であると言う事も、少し酒癖が悪いと言う事も聞いた事があった。

だが、何にせよ気を引き締める必要がある。袁紹とて、兵糧の重要さを知らない筈は無い。そこに配置する程ならば、並の武将ではないだろう、と曹操は思った。

夜も更け、周りの味方の姿すら視界に捉えられなくなってくる。周りの足音に合わせ、曹操も馬を進めるが、何せ周りは袁紹兵に偽装した兵である。

闇夜に紛れ、袁紹軍に襲撃されてすり替えられても、恐らく曹操は気付かない。その為、少しでも異音が無いか、耳を欹てて警戒していた。

間もなく、遠方に松明らしき炎の灯りが見え始めた。

全ての兵が、口を結んだまま歩く。緊迫した雰囲気が、曹操軍を包み込んでいる。

「そこの者、誰だ」

突然、警戒心を露わにした声が、闇夜に響いた。先頭にいる楽進は、許攸に言われていた通り、「蔣奇だ。烏巣の援護に参った」と答えた。

その声たるや、堂々としており、微塵の恐怖も感じさせないものである。最初に散々真似を断っていたくせに、思い切りは良いのだな、と曹操は感心していた。

「何、蔣奇殿か。早かったな」

「曹操の奇襲が、今夜辺りとの報告であった故、急遽参っただけの事。時は刻一刻と迫っており、曹操の動いた今や、一刻の猶予も無し。整い次第警備に当たり、曹操を迎え撃つ」

堂々とした楽進の発言に、闇夜の兵も曹操軍の迫りに焦りを感じたか、それ以上楽進の歩みを止めはしなかった。

普段の楽進なら、間違えてもあの様な物言いはしない。普段とは打って変わって真面目な物言いをする楽進の声に、曹操は内心笑ってはいたが、同時に、その様な事をする楽進に僅かな不信感を抱いた。だが、今ここで信頼を揺るがす訳には行かないと、自身でその邪念を振り払う。

「何者か」

「蔣奇である。この歩み、止めてくれるな」

呼び止められる度、楽進はその声を振り払い、進む。後には夏侯淵が続き、旗を持ったままの張遼が続いていた。

流石は烏巣、兵糧庫と呼ばれるだけあるか。

炎に照らされて見えるものは、兵糧庫であった。何人かの兵が槍を片手に見廻っており、目を鋭く光らせている。

休んでいる兵もいるように見受けられるが、基本、兵は目を光らせたまま立っていた。

「これは、簡単には落とせないやもしれんな」

曹操が思わず呟くと、前にいた夏侯淵が手で黙る様に指示してきた。今は、敵の陣中である。もし気付かれる様な事があれば、只では済まない。

「さて、我々は、外を見回るとしよう。一部の兵は此処に置いておく。指示は既にしてあるので、命令は不要だ」

楽進がそう言うと、背後の兵等は頷く代わりに槍を軽く上げた。

「すまぬ。中はまだ手薄でな」

一人の兵が答える。目の前の兵士は、兵卒よりは立派で、将軍よりは質素な鎧を着ている為、少部隊か何かの隊長かと思われた。

「では、早速手筈通りに」

楽進の合図で、事前に命令されていた兵が足並みを揃えて、兵糧庫の方へと歩いてゆく。男はその姿に安堵したのか、顔を緩ませると、楽進に対し一礼を施した。

楽進も礼を返すと、夏侯淵、曹操を連れて反対方向へと馬を進めた。

少し離れたところで、楽進は気怠げに溜息をついた。

「俺、やっぱりこういうの向いてないです」

「そんな事は無い。良い演技であったぞ」

この言葉は、上面のものでは無い。一種の感心と恐怖を覚えた程なのだ、これは本心から発するものだ、と曹操は言おうとしたが、恐怖、という言葉に胸糞の悪くなる様な威圧感を覚え、口には出さなかった。

「そう思うんなら報酬増やしてください」

「それは断る」

「ですよね」

楽進はあっさりと諦めた。それには答えず、曹操は兵糧庫の方を向く。

後は、手筈通りに。

此処から先は、張遼の合図を待てばいい。闇夜に紛れ、曹操は烏巣の周囲に自軍の兵を配置していく。

やがて、兵糧庫の方から騒ぐ様な声がし始めた。同時に、煙らしきものが上がる。

「夏侯淵、楽進、行け。兵達よ、烏巣を攻め落とせ」

曹操の号令が響くや、袁紹軍の旗が次々と倒れ、代わりに曹操軍の旗が高々とあげられた。

「奇襲。奇襲だっ」

烏巣では、袁紹の兵が叫んでいる。

所詮は烏合の衆か。戦う者もいるが、大体の兵は奇襲に恐れをなし、我先にと闇夜へと駆け出していった。

「逃がすな。斬れ」

曹操の命令が、響き渡る。逃げた兵とて、袁紹の者に変わりはない。芽は摘むものだ。曹操の命を受けた兵が、逃げる兵を追いかける。

闇夜から、悲鳴が響き渡る。剣戟が、大喝が、嘆きが、全て闇と混ざり合っている。

そうだ、これだ戦場だ。この感覚は、何時になっても新しい。

「やはり来たか、曹操」

突然、誰かの大喝が聞こえた。声のする方を見ると、一人の武将が張遼と鍔迫り合いをしている。急ぎ楽進が援護に回ったが、男は二人の剣を一本の槍で受け止めた。

「何だあの男は」

近くで見てみると、烏巣で見たどの兵よりも豪華な鎧を身に着けており、顔には何処と無く気品があった。

「その男、淳于瓊だ。気を付けろ張遼」

夏侯淵が叫ぶ。夏侯淵が矢を淳于瓊に向けた時、曹操の視界の隅に一つの影が映る。

「趙叡、参る。曹操、覚悟」

趙叡、と名乗った男は、叫ぶや否や夏侯淵目掛けて槍を突き出した。気付くのに遅れた夏侯淵の腕を掠めたのを、曹操は見た。

「我が名は呂威璜。曹操は俺が討つ」

突然の声に曹操も驚き、声のする方へ無意識に剣を向けた。途端、槍がぶつかる音がした。

呂威璜は、先程の、曹操が少部隊か何かの隊長ではないか、と思った男であった。抜き放った剣で襲い来る槍を弾くが、如何せん、武術は相手の方が上手に思える。

まずいか。敵を侮っていたやもしれぬ。曹操は心で悔いたが、今更どうにもなるものではない。それに、曹操にはもう、時間も無いのだ。

淳于瓊は張遼と楽進、趙叡は夏侯淵に任せ、曹操自身は呂威璜と対峙した。呂威璜の憤怒は瞳に黒黒と映り、曹操に噛み付こうとしている。

呂威璜が剣を抜き、動いた。それに合わせ、曹操も動く。

剣戟が響く。剣は一瞬交錯し、再び離れた。

視界の隅では、張遼が淳于瓊と互角の戦いを繰り広げている。暫く、勝負はつきそうに無い。

「楽進。楽進。兵に指示を出せ」

今淳于瓊に斬りかかろうとしていた楽進は、曹操の命を聞くや慌てて回れ右をした。

「しかし」

「良いから行け」

曹操に再度命令された楽進は、渋々ながらも張遼と一瞬視線を交わし、そのまま駆け出していった。

「余所見をするかっ」

視線を外した隙に、呂威璜が斬りかかってきた。咄嗟に身を屈めた為に兜を掠めただけで済んだが、もし気付くのが遅れていたら間違いなく即死であった。

ここで死ぬ訳には行かない事は、分かっている。

だが、身体は都合良く出来ていない。死ぬ時は死ぬ。

どうしたものか。

生憎、曹操は武人ではあれど、戦場で死ぬ事を本望とは思っていない。故に、死への恐怖は大きい。この瞬間でさえ、心を武人にする事は出来ない。

全て、敗北の要因になる。

「兵は、曹操殿が。此処は俺が引き受けます」

明らかに曹操が押されているという状況を見かねた楽進が、割って入った。突然の楽進の割り込みに驚いたか、呂威璜は数歩距離を取る。

「兵も、苦戦している様です。此処は俺より曹操殿が指示を」

すまぬ、と曹操は返そうとしたが、それを遮り、楽進が告げる。

「俺は武人。武では曹操殿に勝てるやもしれませんが、指揮に関しては、俺は曹操殿の足元にも及びません。武人は武人なのです。意志も、姿勢も、貴方とは違う。臨む姿勢が全く違う。どうせ貴方は、この男と戦ってる最中も、頭の中は不安や恐怖にまみれて集中もへったくれも無かったでしょう。無闇矢鱈とその苦悩まみれの頭で戦おうとするからですよ。総大将がその辺に関しては只の馬鹿だった、なんて俺は嫌ですからね」

楽進に痛い所を突かれた様な気分になり、曹操は言葉を詰まらせた。

若気の至り、か。ふと、孫策を思い出す。孔明、于吉の信者に討たれた孫策も、若気の至りが仇をなしたからだ、と郭嘉は言っていた。

考えつつも、曹操は兵に次々指示を出す。想像以上に苦戦しているらしく、兵は乱れ、統率を取るのにも時間がかかった。混乱する兵を宥め、持ち直すのは楽進より曹操の方が上手ではある事を、改めて認識せざるを得なかった。

これが、軍のあるべき姿であった。改めて思い知った曹操は、大将は張遼等に任せ、自身は指示と兵卒の殲滅に専念することにした。

袁紹軍の兵の大半は、火が付くや、我先にと逃げ出している。その為、残った兵は僅かだ。だが、その僅かが手強い。

相手は全員、死兵なのだ。悪戯に攻撃しようものなら、此方が大損害を受ける。

「趙叡の首は貰った」

夏侯淵の声がした。返り血を浴びた夏侯淵の手に、武人の首がぶら下がっていた。

「張遼の援護に回れ。淳于瓊だ。淳于瓊を討つのだ」

言われなくとも、と言わんばかりに夏侯淵は淳于瓊へと突進して行く。今は、でも士気を削がねばならない。

やがて、呂威璜が倒れるのが見えた。楽進はその身体を引き上げ、一閃の元止めを刺した。

趙叡、呂威璜は死んだ。後は、淳于瓊が残っている。その淳于瓊はまだ、その足で踏ん張っており、張遼と夏侯淵の二人を相手に尚、闘志を漲らせていた。降伏する気は無いように見える。

が、更に楽進が追加されれば、流石の淳于瓊も限界であった。一瞬の隙をつかれ、張遼によって馬から引きずり降ろされる。尚も抵抗しようとする淳于瓊は、夏侯淵が抑えた。やがて、全身に縄をかけられ、捕虜として連れて行かれた。

この時には、死兵も大分数を減らしていた。が、此方の被害も尋常では無い。気付けば、数千人いた兵も、今や数百人という有様である。

「退け。急げ。兵糧庫が、櫓が、みんな崩れる」

誰かが叫んだ。見れば、全てが炎に包まれ、今にも崩れ落ちようとしていた。

これが、烏巣の最後になった。

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