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第2話「femina(女)」

「本当に大丈夫ですか?」

闇無が顔をのぞき込んでくる。

「大丈夫だって。もう落ち着いてる」

少し笑ってみたものの、どうかな。自分でもよくわからない。

時刻は六時半を過ぎて、空はだんだん薄暗くなってきている。

俺たちは今、市内のとあるマンションの4階にいる。階段の二段目に並んで腰を下ろし、二人でコンクリートの床を見つめている。

あの後。

佐野さんの遺体はいつもの大学病院へ司法解剖に回された。顔はグチャグチャだったし、よく調べたら佐野さんじゃなかったって可能性もあるんじゃないか。明日になったら「おいーす」って、いつも通り出勤してくるんじゃないか。

今でもそう願う。でも俺は自分の目で見たんだ。あの死体は佐野さんだった。

署に戻った俺たちを待っていたのは、狼狽している様子のうちの署長と県警本部の新しい捜査課長だった。確か板東って名だ。二人とも階級は同じだが、署長は五十代後半で、板東課長は三十代後半の若さ。

背が高く、俳優にもなれるような整った顔立ちに眼鏡をかけている。いかにも切れ者といった感じだ。直接話したことなど一度も無い。

なのでいきなり、

「君が灰川か。ちょっとこっちへ」

と名指しで呼ばれ時はついびびってしまった。しかも普段は物置代わりに使われている第二会議室に連れられたのだ。

「私、やっぱり納得いきません。あの板東って人のやり方」

闇無がまだ怒っている。

「俺もちょっとカチンと来たけどさ、あっちも仕事だから仕方ないよ」

「でも、あんなのあんまりです。相棒があんな目にあった部下に、いきなり」

「まあまあ」

何で俺がなだめないといけないのか。疑問を感じつつも俺はつい先ほどの出来事を思い出す。


「単刀直入に聞く。佐野が何か不正行為を働いていたフシは無いか」

「は?」

俺は思わず耳を疑った。

「何ですか、いきなり」

「だから単刀直入と言った」

積み上げられたダンボールの間。細長いテーブルをはさんで正面に座り、板東課長は言った。

俺は大きな声を我慢して答えた。

「佐野さんはそんな人じゃありません。そりゃ、スケベだし、だらしないし、何度も禁煙失敗してるし、尊敬できないところは多々ありましたけど。でも仕事に対してだけは真面目でした」

「なるほど。ではここ最近、何か変わった行動は無かったか?」

「ありません」

「最近急に、金遣いが荒くなったり、気前が良くなったりしたことは?」

「ありません」

「彼には奥さんがいたが、浮気していた可能性は?」

「ありません!」

大きな声が出た。やばい。

しかし板東課長は顔色一つ変えず、

「わかった。後からマスコミにあれこれほじくられないように、確認しておく必要があった。相棒の君がそう言うのなら、信じよう」

と言って立ち上がった。

「あ、あの」

俺も立ち上がり、坂東課長を呼び止める。

「何だ」

「あの死体は……本当に佐野さんなんですか?」

「君がそう言ったんだろう。明日には歯型の照合ができるから、そこではっきりする」

「……そうですよね」

もう一度、イスに座り込む。

「灰川」

「は、はい」

「君に仕事がある」


「仮にも同じ刑事仲間ですよ!?お悔やみの言葉もなしで、いきなりそんなこと聞きますか?普通」

「もういいって」

会議室を出た後、闇無に一応話の内容を報告した。仮の相棒なのでいちいち報告する義務も無いのだけど、顔全体で知りたがっていたので、突き放す気にもなれなかった。

それからずっと、彼女は板東課長に怒っている。佐野さんの自宅に電話して、留守を確認して、今自宅マンションに直接出向いてきた。

その間も、ずっと。

板東課長に支持された仕事は、

「君が奥さんに伝えろ」

というシンプルなものだった。

相棒が死体で発見されたんだから、俺が家族に報告に行くのは筋が通っている。闇無はそれにも「無神経です!イヤな仕事を押し付けられただけですよ!」と怒っていたが、むしろ相棒だった俺が行く方が自然だ。気が重いのは避けられないけど。

俺は闇無に言った。

「悪かったな、ここまで付き合わせて。正式にコンビになったわけでもないのに」

闇無はぶんぶんと首を振った。

「いえ、そんなことありません。むしろ嬉しいです。ちゃんと仕事に参加している気がして」

「そっか」

「でも、あの、すみませんでした」

「何が?」

急に謝りだした彼女に、俺は聞いた。何だよ、しおらしい声出して。

「会議室で、現場に行けて嬉しいって、はしゃいじゃって。まさか被害者が、その」

俺は笑いをかみ殺して言った。

「そんなこと、気にしなくていい。現場に出たいのはみんな一緒だし、誰が被害者かなんて事前にわかりようがないんだから」

「でも」

闇無が言いかけた時、階段を昇ってくる足音が聞こえた。高いヒールの音だ。闇無と顔を見合わせ、立ち上がる。

「わっ!……びっくりしたー」

上がってきた女性が俺たちを見て声を上げる。

年は三十代半ばか。丸顔でロングヘアの、結構な美人さんだ。花柄の服に高いヒールをはいている。

「うちに、何か御用ですか?」

うさんくさげに俺たちをジロジロ見つめる。

「あ、ああ、すみません」

俺は内ポケットからバッジを取り出す。

「九十九署の灰川です。こっちは……同僚の闇無」

女性はパッと目を見開いた。

「ああ!あなたが主人の相棒の」

「はい。はじめまして」

「はじめましてー。佐野静香です。うちの人からよく聞いてますよー。まだ若いのに優秀だって」

「いえ、そんな」

胸がグッと詰まる。

「それで……何か」

奥さんがけげんな顔になる。

「その……中に入れていただけますか?大事な話があります」

イヤな仕事だ。絶対辞めてやる。


佐野さんの死を俺から聞いた後、静香さんは黙ってコーヒーカップを両手で包んだ。視線はカップの中に注がれている。

「……本当に、うちの人だったんですか?」

「はい。明日には報道される予定です」

「そうですか」

リビングで向かい合い、しばしの沈黙。視線の置き場に困り、それとなく部屋を見回す。

それほど新しくも広くもないマンション。結婚が遅かった佐野さんは「今さら子どもなんかいらない」と二人で暮らすことを望んだ。

野球とゴルフが好きだった佐野さんらしく、その分野の雑誌が何冊か部屋のすみに積んである。買うだけ買って読まないと、いつもケラケラ笑っていたっけ。

「あの、今こんなこと言う場合じゃないとは思うんですけど」

突然闇無が口を開いた。何を言うんだ。

「はい」

奥さんが顔を上げる。

「可愛いワンピースですね」

何を言うんだ。

奥さんは一瞬虚を突かれたようになり、そして力なく笑った。

「ありがとう。あなたも、刑事さんとは思えないくらい可愛い人ね」

「よく言われますー」

女二人でクスクス笑っている。おっさんの俺に出番は無い会話だ。急に居心地が悪くなった。

彼女は俺に向き直り、言った。

「うちの人は……殺されたんですか?」

「公式発表はまだですが、その可能性が高いです」

「誰がそんなこと……」

「まだわかりません。でも、犯人は必ず捕まえます。……県警の捜査一課が」

「そこは俺が、でしょう!?」

闇無が二の腕をパシンと叩く。

それを見た静香さんは、小さく肩を揺らし、そして笑いだした。

目に大粒の涙をためて。

「ごめんなさい。あんまり息の合ったコンビだから、つい」

「仮の急造コンビです」

「そう?すごくいいと思いますよ」

ちらりと闇無を見ると、まんざらでもない顔をしていた。

俺は話題をそらすように、部屋を見まわして言った。

「あ、佐野さん、タバコカートンで買い込んでたんですね。値上がりしたから禁煙するって言ってたのに」

静香さんがタバコの箱が積まれている一角を振り向く。

「そうなんですよ。あの人、段々本数も減らして禁煙に近づいてたのに、半年くらい前から急にまた吸い出して。禁煙するって言ってた人がカートンで買うなんて、開き直りすぎですよね」

「それも含めて佐野さんらしいです」

夫が亡くなったことを伝えに来ただけなのに、すでに「故人をしのぶ会」みたいになっている。俺は何をやってるんだ。

「えっと、それじゃ、今日のところは帰ります」

俺は立ち上がった。闇無も慌てて続く。

「一応その、明日から県警本部の刑事が色々聞きに来ると思います。失礼なことも多々言われると思いますけど、がんばってください」

言うと、

「ありがとうございます。これでも刑事の妻ですから、覚悟はできています」

彼女は意外な気丈さを見せた。それがやせ我慢なのか何なのか、俺にはわからないが。

「……それと、ご遺体は今は見に来ない方がいいかもしれません」

顔がつぶされ、なぜか髪の毛は刈られていた。とても見せられない。

「いいですよ、もう。お気遣いありがとうございます」

言って、静香さんは頭を下げた。

「今日じゃなくても構いません。何か、ここ最近の佐野さんについて思い出したことがあれば、いつでも連絡して下さい」

言って、俺は名刺を渡した。彼女は受け取り、もう一度頭を下げた。


「可愛い人でしたね」

マンションを出た後、闇無がポツリと言った。空はすっかり暗くなっている。久々の大残業だ。

「そうだな。俺も写真でしか見たことなかった」

「あの奥さん、浮気してますね」

「え?」

思わず闇無の顔を見る。顔色一つ変えていない。

「そんな……何を根拠に」

「刑事という忙しい仕事で、子供のいない夫婦ですよ。休日なら普通は二人で出かけたりしますよね?なのにあの奥さんは思いっきりおしゃれして一人で外出してきたんですよ。変じゃないですか」

「別に変じゃないよ。夫婦だからって、休日いつも一緒にいるとは限らないだろう」

「そうですけど、あの服装は女友達とのお茶とか、そんな感じじゃなかったです。男のために着る服です」

「へー」

さっきまで女同士で談笑してたくせに、そんなことを考えてたのか。

「あ、本気で聞いてませんね?これでも勘や偏見で言ってるわけではなくて、心理学的な根拠があるんですよ」

「はいはい」

「灰川さん!」

「つけられてる」

「何です?急に話を……え?」

俺の言葉に、闇無が黙った。

今俺たちは、マンションの近くにある公園のそばを通りかかっている。マンションを出た時から、遠くの方でチラチラと人影が見えていたのだ。そして影は一定の距離を保ったまま、ずっと俺たちについてきた。

「どうするんですか?」

少しくっついて、闇無が声をひそめる。

「あの電柱のカドを曲がって、待ち伏せする」

「わかりました。それから?」


闇無を電柱のカゲに残して、俺はそのまま曲がった先を静かに走った。俺はたまたま尾行に気づいたが、隠れ方はうまかった。何者かは知らないが、ヘボじゃないことは確かだ。

俺がヘボじゃないと見込んだ相手は、実際ヘボではなかった。曲がり角の電柱で待ち伏せされている可能性を考え、曲がった先の道に反対側から先回りして様子を見にきていたのだ。

一つ想定と違ったとすれば、俺がヤツに向かって全力疾走していたことだ。

「おい、お前!」

俺の勢いに気づいた影は、一瞬ビクッとした後、慌てて来た道を戻ろうとした。ここで逃げられたら二度と確保できない。何としても。

「ほっ!」

闇無の声だ。そして、

「ぐえっ!」

と小動物を踏み潰したような声がした。男の声だ。

二つの影が重なっているところに走る。

「闇無!はあ、はあ、無事か?」

息を切らして駆け寄ると、街灯の光の下で、闇無が黒のジャージを来た男相手にマウントポジションを取っていた。男は必死に顔をガードしている。

角を曲がって影が見えなくなったと同時に、今度は闇無が影を逆に尾行したのだ。なかなか良いはさみうちができた。

「顔だけ隠してもムダですよ。絞めてあげましょうか?」

「ひいいっ!ごめんなさいいっ!」

俺は男のそばにしゃがみこみ、顔を隠している手をどかす。男は黒いニット帽をかぶっていた。

「……誰だ?」

見覚えのない男。年は四十過ぎだろうか。ヒゲは綺麗に剃っているものの、顔全体からくたびれた雰囲気が漂っている。何より目が濁っている。

「お、お前らこそ何もんだよ。急に襲い掛かってきやがって……ぐふっ、締まってる、締まってるって!兄さん、くぉ、この子止め、て……」

「こらこら、それ以上やると落ちるぞ。話が聞けなくなる」

闇無の肩をペシペシ叩くと、ようやく男は解放された。

さっきの声と人影の動き、そして今の体勢を見るに、闇無が男を柔道技か何かで投げ飛ばし、そのまま馬乗りになったんだろう。強いな。怒らせないようにしよう。

俺はポケットからバッジを取り出した。

「九十九署だ。お前の上に乗ってるのは同僚」

「相棒、です」

闇無が訂正する。再訂正は面倒なので放っておく。

「九十九署……警察!?あの野郎!公務員なんて白々しいこと言いやがって!」

警察と聞いた途端、男は口汚くののしり始めた。俺は闇無と顔を見合わせ、とりあえず彼女を男の上から下ろすことにした。

「話が見えない。お前の名前と職業を言え。ついでに俺たちをつけてた理由も。これは職務質問だ」

上半身を起こした男はぶすっとした顔でそっぽを向き、口を開いた。

「名前は、加東一かとう はじめ。職業は……探偵だ」


つづく

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