稽古場から聞こえてくる声
僕は子供の頃から役者に憧れを持っていた。
なので、遅くだが20歳になって劇団に所属することになった。
やることと言えば発声練習から台本通りの舞台練習といった様なことかな。
毎週一回、劇団が所有する場所で稽古が続いた。
そんなある日、たまたま早く練習会場に着いた僕は鍵がかかっているはずの部屋の中から人の声の様なものを聞いた。
【ユルサナイ。】
そう聞こえた気がしたが、この建物、そもそもが防音がしっかりとした部屋がほとんどで、練習中の叫び声など漏れたこともない。
頭をひねるがわからない。
ドアノブを触るがガチャガチャ言うだけで開きそうもない。じゃあ、あの声の主は一体?
初めて1人でいることに恐怖した。
誰か来ないかなぁ〜と待ってはみたが、こういう時に限ってなかなか誰もこない。
弱り切った僕は建物内の同じフロアーにある喫茶店に入って誰か出入りするのを待った。
ウエイトレスが注文を聞いてきたのでとりあえずアイスコーヒーを頼んで出入り口の様子を伺う。でも誰もこない。
そんなはずは?だって今日は練習日のはずじゃ?僕はわからなくなってしまった。
小一時間ほど経っても誰もこなかったら帰ろうと腕時計の時間をチェックする。
今はまだここにきてから30分も経っていない。じゃあ、後30分はここにいなきゃいけないかな。などと1人考えながらゆったりと流れる音楽を聴きながら練習生が来るのを待った。するとようやく2人がやってきた。僕は慌てて勘定を済ませると教室へ向かった。
2人は知り合いらしく仲良く喋りながらドアの前で待っていた。
そこで僕に気づいた様だ。ようやく中に入れると勘違いした様だ。
「あなたも練習生?」「ああ、そうだよ。」「君たちもだよね。」「ええ、そうよ。」「ここの鍵って持って…ないわよね。」「うん、持ってない。」「はぁ〜、じゃあ、もうちょっと待つかぁ。」
簡単な喋りも終わり、僕は黙って待つことにした。彼女達は喋りながら待つ様だ。話が尽きない。
よくもそんなに話すことがあるなと不思議でならなかった。
そうこうしているうちに先生と思しき年配の男性が数人鍵を開けて入っていった。
僕たちも続いて入っていく。
荷物をロッカーに入れ、必要な台本を手に部屋を移動する。
その時かすかに何かの音が聞こえた気がした。それが何なのかははっきりしない。ただ聞こえたのは間違いない。他の2人も同じ様に周りをキョロキョロ見回していたから。
その後ぞろぞろと人がたくさん入ってきて途端に賑やかになった。
さっきの音は一体何だったのか…練習しているうちにそんなことは忘れ去っていた。
練習が終わったのはお昼を回った頃だった。
「あっち〜!」とか「喉乾いたね〜。」などと呑気に喋っている。皆緊張感がないなぁ〜などと思っていたが、ふと突然周りをキョロキョロしてしまった。
他にも何人かが同じ様にキョロキョロしている。何か音か何か聞こえた様な気がしたのだ。けれどもそれが何なのかわからない。
キョロキョロしてた子達に何気無く風を装い聞いてみた。すると1人だけ明らかに違う反応をする子がいた。その子は昔から霊感があり、霊を見たこともあると言っていた。その彼女がキョロキョロして固まったのだ。何かあるとしか思えない。
「どうかしたの?」
「うん、さっきからね、誰かに見られてる気がするんだ。それが何なのかわかんなくてちょっとやなんだけど。」そう言って彼女はその場から離れていった。
僕も気にはなっていたが、今ここにいる大勢を巻き込みたくはなかった。けどそれも無理と気づくのはすぐだった。
1人の耳に聞こえたそれはうめき声だった。
それは連鎖し、次々と悲鳴が起こる。
「な、何だ?どうした?」
「今なんか聞こえたよ。あれは絶対に人の声だよ。」
「本当か?これだけ人がいるんだ。誰かがいたずらでやったかも…。」「それはないよ。だって私の耳のすぐそばで聞こえたんだもの。」
「ま、まさか?…マジ⁇」
「マジマジ。」
途端にシーンとする室内。
人が大勢いるのに寒く感じる。
その時また何か聞こえた気がした。
【ユルサナイ。ゼッタイニ。】
皆それぞれが周りを見ている。自分のすぐそばで聞こえたという人の周りは特に誰それの顔を見ていた。しかし、口元を見てもわからない。皆それぞれがみんなの顔を見ているからだ。
「だ、誰だよ。止めろよ。冗談じゃねーよ。」とは言ってみたが、誰も反応しない。
誰が犯人だ?
分からない。
台本に書かれているセリフかと思いページをめくる人もいた。しかし、そんな言葉どこにも書かれていない。台本は3〜4ぺージと短いのでさっと見終わってしまう。
講義を教える先生達も固まっていた。中でも1人ひきつけでも起こしそうなくらい真っ青な先生がいた。
「先生、大丈夫ですかぁ〜?」そう言って肩を触ろうとした時ビクッとして手を叩かれた。
「やめたまえ。私ならば大丈夫だ。皆稽古に戻りましょう。」そうは言われてもついさっきの言葉が頭にあって集中できない。
監督担当のADが手を叩いて初めの合図を出す。初めは落ち着かず棒読みになっていたセリフだったが、徐々に雰囲気が出てきた。
その時、
【ユルサナイイイイ。ゼッタイニニニニィ。】
と突然大きか声がスタジオ中に響き渡る。
「きゃー!」とか「やべーよ、マジで。」とか色々な声が囁き出され、もう練習どころではなかった。
「今日の練習は。。。ここまでに、しときましょう。来週からは体全体を使った稽古になりますよ。しっかりしてくださいね。」そう言ってその場から立ち去ろうとした先生に1人の生徒が問いた。「さっきのはなんだったのかと。」途端に先生は引きつり始め黙り込んでしまった。顔は真っ青だ。
黙って立ち去ろうとしたが、手にしている教材をその場に落としてしまい、拾い始めると何やらブツブツと言い始める。
「あの子はもういない、いないんだ〜。」
あの子とは一体?
もう1人の先生がポツリポツリと話し始めた。それを制止しようとしたが、生徒達の前で醜態を晒すわけには行かず、黙って立っていた。
「かつて一人の生徒があなた達と同じように役者を目指して頑張ってたんだけどね、バイトの掛け持ちと練習の無理がたたって仕事が入った時にミスをしてしまってね、…何度もセリフを間違えてしまってね、監督から「入らないから出てけ!」って言われてね。相当こたえたみたいでね。見ててこっちが心配になっちゃったんだけど、代わりを急遽用意しなければならなくなったものだからそっちに気が行っちゃって…。気が付いたらいなかったんだ。
翌日、撮影現場で首を吊って死んでたんだけどね。怒りの形相のまま死んでたって話だ。
相当恨んでたんじゃないかな。その後しばらくして監督が事故にあったって言ってたし…。担当マネジャーも、事故にあったし。
一部では呪いじゃないかって騒がれてたよ。それからだよ、ここでも不可解なことが起こり始めたのは。
その生徒が通っていた稽古場だし…。
「ウッソー!ここで稽古してたの?」
「やっだ〜!じゃあモノホンじゃない。」
「やべーよ。やべーよ。」ザワザワとしだしたみんなに今日は直ぐに帰るようにと言って部屋から出ようとしたが、生徒に捕まった。
「先生もその子知ってるんですか?」
「いや、私は聞いただけだからな。よくは知らないんだ。さぁ、そんなことよりも早く帰りなさい。」
「はーい。」そう言って皆帰り支度を始めた。最後にならないようにと皆慌ててカバンに詰め込んでいる。そしてバタバタと慌てて帰りだした。
先生も皆の様子を見てから自分のカバンを取りに行った。
そして帰ろうとして戸締りをしていた時、遠くでカタッと音が聞こえた。
生徒達はもう帰ったはず。
今日の体験はトラウマにならなければいいのだが…。そう思いながら、残っている生徒がいないかチェックし始めた。
一方、隠れて残っている生徒が5人いた。
皆、信じていない生徒達ばかりだ。
「なぁ、いると思うか?霊。」
「さっきのはたまたまだろ?」
「ったく…お前らには夢は無いのか?」
「無いですよ無い無いと。」
そう言いながら先生達が帰るのをジッと待っていた。程なくして鍵をかける音がして足音が遠くなって行く。
「さてと、見回るか。」
そう言いながら歩き始めた。
部屋の電気はつけていない。
いることがバレると問題だからだ。
1つづつ部屋を見て回るが特に何か変わったところは今の所…ない。
そして昼間皆がいた稽古場へと足を入れる。
空気がひんやりするのは気のせいか?僕は一人そう感じていた。他の奴らはどうか知らないが…。誰かいる。人影らしきものがぼんやりと見える。僕ら以外にも怖いもの知らずがいたんだなとちょっとホッとした。が、それは影ではなく真っ青な顔をした青年だった。
仲間の一人が声をかけてみた。
「なぁ、お前も霊とか信じないくちか?俺らもそうなん…だ…けど…、ひー?!」
さっきまでいた青年がいた場所には誰もいない。代わりに顔のすぐ隣に顔がある。しかも真っ青の。
怖いどころじゃなかった。
恐怖しかない。
慌てて逃げ出すも足がもつれて転んでしまった仲間がいた。
その側に走っていこうとしたが、僕らよりも早く真っ青な青年が転んだ仲間の片足をつかんで引っ張る。それも物凄いスピードで。
「ギャ〜!た、助けて〜く〜れ〜〜。」そう叫びながら真っ暗な中に消えていった。
僕らも怖くて動けなかった。ただ見ているしかなかった。
ハッと動き出すと慌てて消えていった方へと走り出す。仲間も皆同じだった。消えていった仲間を助ける為、走り出す。
程なくして見つけることができたが、本人は何か様子が変だった。ひとりブツブツと何か喋っている。
聞き耳を立てようと近寄った仲間の耳に…噛み付いた。しかも突然のことで何が何だか分からず、ただただ悲鳴をあげるだけだった。
仲間は耳に噛みつかれ痛みで泣いていた。
他の仲間数人でおかしくなった仲間を取り押さえると、出血している仲間が言った。「こいつ、おかしいよ。」そう、確かにこんなことする奴じゃないのは皆知っている。でも、今のこの有様を見たら信じたくなくても信じるしかなくなってしまう。
そうこうしているうちに見回りの警備員がやってきて僕らは見つかり、こっぴどく叱られ仲間はそのまま病院に行った。
そんなことがあり僕らは怖くて練習場へと入ることができなくなり役者になる夢もやめてしまった。今ではこれで良かったと思っている。
きっと今でもあの場所、あの時間で誰かが来るのを待っているのだろう…。