二・牧師服の男(1)
二・牧師服の男
夜も遅い時刻。勤務を終えた霧生は、帰宅するために私服に着替えている最中であった。
「よ! 化け物退治屋さん、今日は何を退治したんだい? はははは」
同じ更衣室で着替える他の課所属の同僚が、幽霊の真似か、手首を垂らした腕を霧生に突きだして囃し立てる。
抜鍼隊のその存在意義は一応警察内で周知はされているものの、うろんな目で見る者も少なくない。
通常、警察の仕事は『人』に対してものだが、抜鍼隊だけは『邪鬼』である。
そして『邪鬼』には普通の銃や剣はほとんど通用しない。今のところ判明している中で通じるものは、近い存在である妖怪かの力か、もしくは陰陽師の使う術、または鍼だけである。
だが陰陽師は生まれつきの資質が求められるために今の時代、形ばかりのもので、術を行使できる者は皆無と言っていい。
それに比べて鍼術は、先天的な資質を持たずとも修得が可能であり、対邪鬼の手段として注目されている。
だが邪鬼を駆除するには根源となる気の流れを断つ事が必要で、そのためには気を制御することが可能な鍼術の知識と技術、それらを取り入れた武術の技量までもが求められた。
いくら天賦の才を求められないとはいっても隊員に要求される能力、及び鍛錬が多く、発足から間がない隊の運用が暗中模索状態であることもあいまって、神奈川県内全体でも同様の抜鍼隊隊員はまだ指折り数えられるほどしか居なかった。
言ってみれば現状の抜鍼隊とは選りすぐられた者であるが、任務の対象が一般の巡査達では手出しすら出来ない、人ならざる者であるがゆえに、それに抗しうる抜鍼隊の者達を化け物と同列視する声も囁かれる。それどころか、この同僚のように面と向かって悪口を垂れる者まで居る始末だ。
横濱港周辺を取り締まる、ここ神奈川県警本部の抜鍼隊には、霧生と蒼木の二人しかいない。
前任者も二人いたが、一人は殉職、もう一人は依願退職をしていた。
本部内でも浮いた存在でありながら、化け物との戦いを強いられる。しかも唯一の相棒は人間ではないとくれば、まともな神経の持ち主であれば辞めたくなる気持ちも分かる。
だがそれでも霧生は職を放り出す気は毛頭なかった。
五年前、霧生の母と妹は、邪鬼によって命を奪われた。
そして初代抜鍼隊隊員であった父は、家族を奪った邪鬼との戦いで差し違え、この世を去った。
殉職した前任者とは、他ならぬ霧生の父である。
霧生は父の墓前に誓った。
父の遺志を継ぎ、この町を守ると。
そして霧生は抜鍼隊に志願し、厳しい教育と訓練をくぐり抜けてきた。
「今日は至って平穏さ。ところで後ろの人は誰だい? こんなところまで女連れたぁ妬けるねぇ」
「え? 女?」
霧生の言葉に同僚は振り返るが、女どころか人影すらない。
「それじゃお先に」
青ざめて八方に首を巡らせる同僚を余所に、霧生は見えないように舌を出しながら更衣室から出て行った。
着物に綿入れ姿での帰り道。
大通りから外れると、月明かりを頼りに路地を歩く。
道中、霧生は昼間の出来事を思い出して鼻の下を伸ばしていた。
細い肩。ほのかに紅の差した透き通るような肌。鼻をくすぐる香り。柔らかそうな唇。
「いい匂いだったなぁ……。上流階級の女子とはみんなああいう匂いなんだろうか」
今の緩みまくった顔は沙和にはもちろんのこと、絶対に蒼木に見せられない。
すればきっとまた叱責されることだろう。
蒼木には沙和に関する情報を集めてこいと言われているが、どうしたものだろうか。
清潔感に溢れ、上品で物腰柔らかく、近付くことも憚られるような清らかさを持つ沙和。
そんな彼女を、気に入れば片っ端から口説いてまわる蒼木の毒牙にかけさせるのは忍びない。
当分は何も分からないと惚け、沙和にもそれとなく警告しよう。
そう心に決めた霧生は、思い出の余韻に浸りながら、軽やかな足取りで家路を急ぐ。
だが人気のないところまで来たとき、ふとその足を止めた。
五間ほど先で道を塞ぐように立ち尽くす小柄な人影。暗がりでその正体までは分からない。
「今晩はいい月だねぇ」
軽い語調で挨拶する霧生だったが、悟られないように片足を引き、直ぐに動けるように身構える。
霧生の肌は、敏感に目の前にいる者の異質な気配を感じ取ったのだ。
少なくとも真っ当な人間の気じゃない……邪鬼か?
だが今は丸腰であり、戦う術はない。いや、正確に言えば徒手による手段もあるにはあるが、懐に飛び込まなくてはならないため、危険が大きい。
かといって邪鬼であるならば放置するわけにもいかない。
霧生は気がついていない振りをして、相手の出方を窺う。
すると人影は左手に提げた鞘からサーベルを抜き、いきなり間合いを詰めて振り下ろしてきた。
ぎりぎりまで太刀筋を見極め、難なくかわす霧生。
襲撃者は振り向くと、何度も縦横に剣を振り回す。
その度にすんでの所で避け、接近した際に襲撃者の姿を確認しようとしたが、暗がりであることを差し引いても全身黒ずくめで、正体の見当が全く付かない。
ただ一つだけ分かったことがある。この襲撃者は剣術については素人であるということだ。
子供のチャンバラよろしく、剣をただがむしゃらに振り回しているだけで、洗練された剣術からはほど遠い。
「そんな腕でオレとやり合おうってか?」
霧生は構えてから手に巻かれた沙和のハンカチに気が付き、外して懐にしまうと改めて親指を握り込み、中指だけ少し浮かした拳を作る。
霧生は振り下ろされたサーベルを襲撃者の右手に回り込むように避けると、その手首を掴み、その肘の気が流れる一点、経穴目がけて拳を繰り出す。霧生の独特な握り拳は、経穴を狙うためのものだ。
人間がこれをまともに喰らえば、経穴や気と言った話を抜きにしても肘関節が破壊される。
果たして、霧生の拳は襲撃者の肘を壊した。
いや、正確に言うならば肘から先をもぎとってしまった。
「うおええええおうええ!?」
これにはさすがに霧生も驚いた。痛めつけることはあっても、ちぎれてしまうなど予想だにしなかったためだ。しかもそれほどの手応えがあったわけでもない。
襲撃者の腕は、崩れた豆腐のようにばらばらとなり、地面に落ちた。
霧生はすかさず一緒に落ちたサーベルを拾い上げ、逆手に持ったまま拳を構える。持っていても邪魔ではあるが、放置しておいて取り戻されるのも面倒だからだ。
だがその拾い上げたサーベルに、霧生には見覚えがあった。
それは警察で正式採用されている物と同じだ。
何故こんなものを持っているのか、霧生は訝しく思う。
「おまえ……一体?」
目を凝らし、襲撃者の様子を間断なく窺う。
すると今度は、残った左手を振りかざして襲ってきた。
しかしそれも素人同然の動きで、霧生にとってそれを避けることは容易い。
霧生は隙を見つけると、みぞおちに拳を突き出すが、ふたたび想定外の結果となる。
想像していた手応えはなく、拳は襲撃者の背中まで突き抜けてしまった。
慌てて腕を引き抜くと、襲撃者の胸には風穴が空いている。
攻撃は間違いなく経穴を突いているはずだ。にもかかわらず効いているのかどうかさえよく分からない。抜鍼隊に配属されてから半年、このような邪鬼の相手は初めての経験だった。
「なんだこいつ……?」
間合いを取り、目の前の敵の正体と対処法を頭の中の情報と照らし合わせて導き出そうとする。が、心当たりがあるくらいなら最初から慌てたりしない。
つまるところ、その場その場で判断し、動くしかなかった。
沈黙が支配する暗闇。
自分の息づかいだけが聞こえてくる。
襲撃者は僅かの間動きを止めていたかと思うと、不意に身体が無数の塊に分かれ、四散した。
塊は地面に落ちることはなく、それぞれが宙を舞うと、やがて羽ばたきの音と共に一斉に霧生へまとわりつき始める。
「なんだこれ! ……いてっ!」
塊の一つが何かしたのだろうか。肩口に走る、突き刺す痛み。
さすがに体術でどうこうできる状態ではなく、霧生は仕方なくガス灯の明かりのある大通りへとサーベルを手にしたまま駆け出す。これ以上は、とりあえず姿だけでも確認しなければどうしようもないと判断したからだ。
一旦は無数の塊を振り切り、人気の無い明るい大通りへと飛び出した。
立ち並ぶ店は、当然のことながら皆戸が閉められている。
息を弾ませ、今来た路地を霧生は振り返る。
その時、目の端に襲撃者とはまた別の、あからさまに物騒な存在を確認する。
大通りの中央で、牧師服を着た異国の男が両刃の西洋剣を抜き身で提げ、こちらを見ていた。
ガス灯の光に映える白銀の刃。
「今日は客の多い日だ……」
ウンザリとした顔をする霧生であったが、直ぐに気を取り直す。
「そこの西欧人、オレになんか用か? 外国人居留地ならあっちだぜ」
その方向を指差してみるが、牧師服の男は微動だにせず、険しい顔つきで霧生を睨んでいた。
「オレ、西欧人に恨まれるようなことした覚え無いんだけどな……」
困惑顔で頭を掻く霧生に、異国の言葉で語りかける。
「|At last I discovered it. Vampire《ついに見つけたぞヴァンパイア》」
「あとらす……なんだって? 悪い、もう一回言ってくれねぇかな」
重い雰囲気を、わざと崩すように努めて明るく振る舞ってみる霧生だったが、それも徒労に終わる。
牧師服の男は霧生の言葉を無視し、剣を構えて襲いかかってきた。
瞬時に間合いを詰めてくると、袈裟斬りに振り下ろされる両刃剣。
あまりのその速さに霧生は避けきれず、綿入れの一部が切り裂かれた。
後ろに飛び退き、間合いを確保する。
「おいおい、さっきのと違ってこっちは偉くまたつええじゃねぇか。もしかしてあれはお前の差し金か?」
しかし牧師服の男が答える気配はなく、駆け寄ってくると次々と両刃剣を振るう。
「問答無用かよ!」
綿入れをまた裂かれつつも一歩引いて避けた霧生は、振り抜いたその隙を狙いサーベルで斬りかかる。
横に一歩ずれて一撃をかわした牧師服の男は、返す刃で霧生の命を狙う。
サーベルの峰を左手で支え、剣身でそれを受け止める霧生。
さらに何合か刃を合わせるが、いささか分が悪い。
向こうの攻撃はかわすも流すも際どいところであるが、霧生の剣は明らかに余裕を持ってかわされている。
このままではいずれ負ける。
霧生は敵との力の差を痛感せずにはいられなかった。
背中に冷たい物が流れ落ちていく。
再び間合いを取り、サーベルの柄を握り直すと、牧師服の男も構え直す。
緊迫した静寂の間。
ほんの僅かでもあり、果てしなく長くも感じたその刻。
だが静まりかえった空気を破ったのは、二人のどちらでもなかった。
霧生が飛び出してきた路地から、黒い人影が現れる。
ガス灯に照らし出されたその異形に二人は目を奪われ、手を止めた。
おそらく先に霧生を襲った者であろう。いや、者と言っては差し支えがあるかもしれない。
形こそは人型をしているが、よくよく見ればそれは蝙蝠の集合体であった。
どうりで殴っても手応えがないはずである。
「ちっ、二対一とは旗色が悪いぜ、こいつは」
「|Because you can’t win, did you invite a reinforcement?《勝てないから援軍を呼びましたか?》」
異形を前に同時に呟き、二人とも異形に対して警戒の構えを取る。
しかし、たった今まで剣を交えていた相手の異形に対する様子に、霧生は何かがおかしいと気が付き、また牧師服の男も同じ事を思ったようだ。
互いと異形を見比べる二人。
「……おい、あれお前の仲間じゃないのかよ」
「オー、チガウマス。アナタ、ヴァンパイア、チガウマスカ?」
「何だ、ヴァンパイアって。オレは警察官! アイアム、ポリスマン! 分かる? ポ、リ、ス!」
霧生の言葉を理解した牧師服の男は、目を剥き己の頭を叩く。
「ポリス!? オー、ナンテコッタ! マチガエマスタ。ソーリー」
はた迷惑な誤解に霧生は眉を顰めた。
「人違いで殺されちゃたまんねぇよ、まったく。だけどまあ、とりあえず……」
「アレ、キョウツウノ、エネミーチガイナイマスデス」
霧生と牧師服の男は、異形に対して剣を向けて構えた。
肉体を構成する魄気が元々薄い邪鬼に対しては鋼の刃は通じないが、蝙蝠であれば一応サーベルが効くはずだ。
小動物を眷属とする妖怪の存在は聞いたことがあるものの、このような例は霧生にとって初めてだった。
二人は慎重に異形との間合いを詰めていく。
だが様子を窺っていると、突然痙攣を始める異形。
その後、肉と骨をすり潰すような音がしばらく続き、それが収まったかと思うと、顔と呼べるものが何もなかった頭に突然端まで切れ込んだ大きな口と、大型の獣のそれに近い牙と爪が生えてきた。腕もいつの間にか復活している。
「これが……正体なのか?」
邪気の宿った肉体、この場合は蝙蝠の身体を構成する魄気で邪鬼となる様と酷似している。が、身体は蝙蝠の集合体のままで、どうにも中途半端らしい。
変貌した異形は不気味に口角を吊り上げると、腕を振りかぶり、霧生に襲いかかる。
さっきとは打って変わった俊敏な動きで距離を詰めてくる異形。路地での戦闘と同じ感覚でいた霧生は面くらいながらも、なんとか振り下ろされたその爪をサーベルで受け止める。
牧師服の男は跳躍して両刃剣を振りかぶると、勢いそのままに異形へと向けて渾身の力で斬り降ろす。
「Die out」
飛び退いて避けようとする異形であるがかわしきれず、両刃剣は異形の腕を身体と泣き別れにする。
斬られた腕は、ただの蝙蝠の死骸となり、ばらばらになって地面に落ちた。
異形はそれに怒りを覚えたのか、奇声を上げながら体勢を崩している牧師服の男に、残った腕の爪を突き立てるべく迫る。
牧師服の男は建て直しを図るが間に合わない。
だが、すんでの所でその胸に突き立てられるはずであった爪を、霧生のサーベルが上へと跳ね上げて軌道を逸らした。
切り裂かれる牧師服の肩部分。
牧師服の男は、横に一歩ずれると異形の胴目がけて剣を薙ぐ。
一閃された白銀の光は、狙い過たず異形の身体を両断した。
「やったか?」
崩れ落ちるかと思った異形の身体は、再び無数の蝙蝠となって四方に飛び散る。
二人の頭上を蝙蝠の群れはしばらく旋回すると、やや距離を置いた場所で再び集まり、人の形を作り始める。
「ノ~……」
「埒があかねぇな……」
それでも同時に地を蹴った二人は、蝙蝠が身体を形成するのと同時に斬りかかる。
牧師服の男が引きつけている隙に、今度は霧生が異形を両断するものの、やはりまた蝙蝠となって離れたところで集まり出す。
「デナオシタホウガ、ヨイマスカ」
同じ事の繰り返しとなり、困惑している牧師服の男。疲労も少しずつ、だが確実に積み重なっている。いまは良くともこのまま続ければ、さほど遠くない内に後れを取るだろう。
しかし蝙蝠の様子を見ていた霧生があることに気が付き、男に声をかける。
「いや、もう一度だ。次こそ仕留めてみせる」
自信溢れる霧生の言葉に、牧師服の男は頷き、剣を構える。
地を駆け、人型となった異形に次々と剣を繰り出す二人。
異形も二人を相手によく戦うが、何合かの後に牧師服の男の一撃で身体を切り裂かれた。
そして同じように夜空を舞う蝙蝠達。
「ドウシマスカ?」
それには答えず、蝙蝠の群れを凝視する霧生。
そしてまた地上で集まりだした瞬間、霧生はサーベルの柄を逆手に持ち、
「そこだ!」
人型となる前の蝙蝠達に投げつける。
サーベルが蝙蝠の塊に突き刺さると、塊はそのまま地上に落ちた。
残った蝙蝠達もそれ以上集まってこない。
「オー! ドウイウコッチャネン?」
分区至福の男は、敵を倒し一瞬喜びの表情を浮かべるが、すぐ腑に落ちないといった風でいる。
「さっき奴らが集まるとき、人型の芯になっているのがいたんだ。他の蝙蝠より一回り大きかったしな。だからもしやと思ったんだが、どうやら正解だったみてぇだな」
説明に納得した男は、満足げに頷く。
「ところであんた日本語変だな」
それに陽気に応える男。
「ソウマスカ? イングランドスム、ニホンジンニ、ナラタマス。ワタシハ……」
さらに牧師服の男が言葉を続けようとしたその時であった。
蝙蝠の塊が再びうごめき出す。
「おいおい、まさか……」
にわかに和やかだった空気が凍る。
二人が再び武器を構えると、塊から一回り大きな赤い目をした蝙蝠が飛び出し、上空へと羽ばたく。
その羽の一部には裂けた傷があり、投げたサーベルが当たりはしたものの仕留めるには至っていなかったようだ。
思い思いに飛んでいた他の蝙蝠達も、赤目蝙蝠を取り巻くように飛び始める。そしてさっきまでと違い、二人の頭上を旋回したまま降りてくる気配がない。かといって狙っていないわけでもないようだ。移動しようとすれば、その方向に蝙蝠の群れが立ちはだかる。
「ちっ……余計な警戒をさせちまったか……」
「キット、コチラガ、ツカレルマッテイマスデスネ」
この状況では身を隠すことも出来ず、いつ襲ってくるかも分からないので油断も出来ない。
緊張の糸が先に切れた方が負ける神経戦である。
霧生もかなり疲労してきてはいたが、音を上げるわけにはいかない。
サーベルを拾いに行くことも出来ないため、覚悟を決めて徒手で構える。
だが次の瞬間、大気を劈く音と共に天から奔る光条が蝙蝠達を貫いた。しかも霧生達だけを除いて。
「全く、怪しい気配がするから来てみれば……」
別の路地から姿を現した者が発した聞き覚えのある声。
「警部補殿!」
そこには制服姿の蒼木が立っていた。
今日の勤務は昼が霧生、夜が蒼木となっていた。おそらく警ら中だったのであろう。
ほとんどの蝙蝠は舗装された道路に骸を晒し、未だ舞っているのは赤目蝙蝠のみ。
形勢不利と悟ったのか、逃げようとする赤目蝙蝠であったが、つまらなそうに蒼木が指を鳴らすと、つんざく音と共に空から落ちた稲妻が撃ち抜き、他の蝙蝠同様その屍を晒すこととなった。
「おいしい所だけ持っていきやがって……」
霧生のぼやきを鼻で笑い、一蹴する蒼木。
「フン、不肖な部下の危機を救ってやったというのにも関わらず、礼の一つもないのか?」
「……ちょっと待て、たった今来たばかりなのに、なんで警部補殿が珍しく手を出すほどオレがやばかったって分かったんだ?」
普段の任務中でも、蒼木は指示のみで極力手を出さず、霧生の手に余る場合にのみその力を使う。
「簡単なことだ。貴様が飛び出してきた辺りからずっと見ていたからな。そっちの路地で」
「ほとんど最初から見ていたんじゃねぇか!」
悪びれる様子もない蒼木に思わず声を荒げる。
しかしその後に、蒼木も予想外の行動を霧生は取った。
「……助勢、感謝いたします」
姿勢を正し、頭を垂れた。
「……殊勝な心がけだな。明日は吹雪か?」
太刀打ち出来なかった牧師服の男。その男と二人がかりでさえ、倒すことの出来なかった異形の者。蒼木が来てくれなければ、通りに屍を晒すことになっていたのは、おそらく自分であったはずだ。
己の力で解決できなかったことは遣る方無い。しかし、蒼木に助けられたという事実があるにも関わらずそれを否定することは、己の弱さから逃げているようで、そんなことは自分自身が許せなかった。
だから業腹ではあったが、頭を下げた。
「ふむ、まあいい。それよりも直ちにここを立ち去れ」
「え、なんで……」
言いかけて、霧生も直ぐに理由が分かった。
遠くから聞こえる男の声。
「おい! おい、どうした山川巡査!」
声の後に続く、呼び子笛独特の甲高い耳障りな音。
さっき敵が持っていた警察採用のサーベルは、どうやら警ら中の巡査を襲って奪った物のようだ。奪われた巡査はおそらく気でも失っていて、今同僚がそれを発見したのだろう。
最初に戦ったときの強さから考えれば、襲撃された巡査が命まで奪われているとは思えない。
あくまで予想に過ぎないが。
霧生はふと両手剣を持った牧師服の男のことを思い出し、辺りを見回す。
「あれ? さっきの異国人は……」
「あの者ならさっさと逃げたぞ」
事も無げに蒼木は言う。
あっさりと言う蒼木に対し、霧生は意外そうにする。
「だって剣持っていたのに放っておいていいんですか?」
明治九年に発せられた廃刀令により、大礼服の着用者、軍人、及び警察官以外の者が帯刀することは禁じられている。先程の男は、明らかにいずれの許可対象にも当てはまらない。
「生憎と人間の男には興味が無いものでな。それに人間が相手とあれば他の巡査達の仕事奪ってしまっては申し訳ないだろう? 肩身の狭い我々としては」
その嗤いを見れば、蒼木が欠片もそんなことを思っていないことがよく分かる。
帰り際の同僚の言葉が思い出され、つられて霧生も頬を吊り上げた。
「後は我が輩に任せて行け。明日の朝も早いぞ」
霧生は直立して敬礼をすると、路地へと向かって駆け出した。