マリア・フリオンの場合 その2
「この度は大変お疲れ様でした」
頭に大きなお団子を乗せたような髪をした女がぺこりと頭を下げる。
「元マリア・フリオンさんはお亡くなりになり、今、こうして転生の機会を得ました。ここは転生ハローワークです。あなたの死後のお手伝い。私、ノーラ・カリンが転生先の紹介をさせていただきます」
死後のお手伝いってキャッチコピーは少し変かな。ノーラはマリアのリアクションを待った。
「……何を言ってるんだ?」
いったん椅子に座りかけたが、マリアはすぐに立ち上がって両方の拳を突き出してファイティングポーズを取った。
「亡くなったって、いまこうして生きてるじゃない?」
「いいえ、あなたは死にました」
「わかった。あんた、悪魔でしょ。あたしの魂を連れてこうったってそうはいかないよ」
「いや、違うし」
「じゃあ、ヴァルキュリヤね。あたしをヴァルハラへ連れてく気? まだあたしは騎士としてやらなければならない事が残ってるの。悪いけど他を当たってもらえるかしら?」
「だから違うし」
「じゃあ何なの」
「転生ハローワークの職員」
「……はろーわーくって何?」
いきなりこれか。ノーラは頭のお団子をモミモミしながら呟いた。
「これだから田舎者はイヤなのよ」
「い、田舎者?」
確かにフリオン家は辺境の地の出だが、父も祖父も曽祖父も騎士として立派に勤めを果たしてきた由緒ある血筋だ。こんな真っ黒い服に赤いマスクのようなものを身に付けた悪魔的な女にそんな事言われたくはない。マリアはどんと胸を張り、ノーラに前言を撤回させるべく一歩踏み込んだ。
「騎士に対し、突然のこの扱いはあまりに無礼だぞ。訂正しろ」
「転生ハロワはね、いろんな世界の最先端技術を真っ先に取り入れてる機関なの。いちいち死者の世界観に合わせてらんないのよ」
ノーラはデスクの引き出しから片手で包み隠せるほど小さなリモコンを取り出し、無言のままマリアへ向けた。差し出された手に思わずビクッと身構えるマリア。
「アップデート」
ピッ。丸くて赤いアイコンをクリック。
「ひゃんっ」
マリアがさらにビクッと震えて、途端に惚けたような顔になった。数秒間ほど口をぽかんと開けたまま動かなくなり、ふと瞬きを復活させて驚いたような表情を作ってノーラを見た。
「生まれ変われるんですか? このあたしが?」
便利なモノね。このエンジェルリング自動更新機能付き強制理解装置って。確か、一人の暴君が暴力で全てを支配しているどす黒い世界のどす黒い技術だったか。まためんどくさい奴が来たら使ってみよう。
ノーラは咳払いを一つ、そしてハスキーな声でいつもの台詞を高らかに言い放った。
「ようこそ、転生ハローワークへ! あなたの明日をアップデート。ノーラ・カリンが転生のお手伝いをさせていただきます!」
あなたの明日をアップデート。いいな、このフレーズは。
「はい、よろしくお願いします」
マリアはとろんとした青い瞳で素直に頭を下げた。
「以上の点から、元マリアさんはかなりのポイントを獲得しています。若くして騎士としての任務を勤勉にこなし、まだ女性の社会的立場が低い時代にも関わらず第一線で仕事をして人々のために尽くしてきました」
「はあ。そうですか」
まだ理解度が低いのか。曖昧な返事ばかりのマリア。もう一発、強制理解装置使ってみようかしら。ノーラはバーコードリーダーでリングから読み取った情報を解析しながら思った。でも短時間で何度も使うといろんな意味で壊れちゃうらしいし。
「死亡ガチャによるS+レア当選も含めて、元マリアさんはかなり広範囲の転生先を選択できます」
「選択、と言っても、あたしは姫様を守る任務を失敗して敵騎士に殺された貧乏騎士ですよ。転生したって何にもいい事ありませんって」
はて。リングの情報と少し違ってるような。ノーラはタブレット端末をじっと見つめた。
「死の瞬間に記憶が混乱したのかしらね。どう言う理由でお姫様を護衛していたかまでは解らないけど、そのお姫様はその後無事に逃げ仰せて仲間と合流してるっぽいですよ」
マリアの顔がぱあっと明るくなった。冬の曇天を太陽の光が切り裂くように、一筋の暖かな光がマリアの青い瞳に宿った。
「それ、ほんと?」
マリアがカウンターによじ登る勢いでノーラにがぶり寄った。鼻と鼻がくっつかんばかりの迫りっぷりだったが、ノーラは仰け反ることなく微笑みで受け止めてやった。
「ええ、本当です。あなたは騎士として最低限の任務を果たしました」
「ああ、よかったぁ」
マリアは胸につかえていた重たい空気を大きなため息とともに吐き捨てて、どっかりと仰向けに倒れ込むように椅子に身体を預けた。背もたれがぎしりと彼女の身体を受け止める。
「人はそれぞれの理由があって戦って、それぞれの価値観で生きているんです。やり遂げる事ができてよかったですね」
「それぞれの価値観で生きてるって言われたって、あたしもう死んでるんでしょ?」
「いちいち小うるさい女ね、あんたって」
「お互い様のように思えるけど?」
一瞬睨み合う二人の女。もう一発強制理解装置食らわせるぞ。ノーラはそんな言葉をぐっと飲み込んで、にこやかな笑顔を作って見せた。
「とにかく、騎士として人生を全う出来たって事にして、自分へのご褒美として転生先を選んでみませんか?」
「ご褒美なんて、考えた事なかったわ」
マリアは、ご褒美なんて、とは言ってるものの、タブレット端末にはしっかりと書いてあった。死の際で、マリアの頭の中で叫ばれた言葉は護衛対象の姫様の事ではなく、自分の人生に対する惜別の言葉でもなく、ただ一言、フォアグラ! と。なかなか食い意地の張った女騎士さんだ。思わず転生したくなるように、その食い意地を刺激してみるか。
「たとえば、お金さえ払えばフォアグラ食べ放題の世界、とか?」
「……どこその羨ましい世界は」
「21世紀現代日本」
「ニッポン?」
「ちょうどここに体験版があるんだけど、ゲンダイニッポンって奴を試してみる?」
ノーラはデスクの引き出しから一枚の小さな円盤を取り出した。表には白地に何やら手書きで文字が書かれていて、裏面がキラキラした青みがかった虹色の手のひらサイズのディスクだ。
「体験版?」
「これは私達転生ハローワーク職員が新しい世界を紹介する時に使う情報媒体です。百聞は一見に如かず。百回説明するよりも、実際に体験する一回の現実感に勝る情報はありません」
「それで、フォアグラを食べられる?」
マリアがぐいっと身を乗り出して聞いてくる。食いついた食いついた。ノーラは勿体ぶって答えた。
「フォアグラよりも美味しいの食べに行きましょう。ラーメンって知ってます?」
ノーラは笑顔を崩さずに立ち上がり、マリアの頭上の天使の輪っかをさらに上から軽く押し込んだ。するとかちっとかすかな音を立てて、まるで親鳥に餌をねだる雛鳥のようにぱくんと口を大きく開けた。
「大容量の情報流入で脳が熱を持つけど、すぐに気持ち良くなりますからねー」
ノーラが意味あり気な事を呟いて、青い虹色のディスクを天使の輪っかにセットした。そしてぱくんと輪っかの口を閉じる。
「いったい何をし」
再びあのリモコンを取り出して、脳に腕を突っ込んでいるイラストのアイコンをクリック。強制記憶書き換え装置、作動。
「あひゃんっ」
マリアの頭の中で情報が爆発した。