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異世界転生ハローワーク  作者: 鳥辺野 九
第二章 来世に期待をアイキャンフライ
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マリアはまりあを想う

「ノーラってさ、こんな事聞いちゃっていいのかな、何人なの?」


 まりあが高い打点からオリーブオイルをフライパンに落とす。トットットッと静かにフライパンをヒタヒタにする黄金色したオイル。


 高い位置から惜しげもなく垂らされるオリーブオイルを見ながら、最初何を言われているのか、ノーラにはすぐに理解できなかった。ナニジン? いやいや、オリーブオイルってこんなに使うものだっけ?


「あたしは日本とクロアチアのハーフなの。前世のマリアを引きずってるのかな。ちょっと似てるよね。ノーラは見たところ、北欧系? みたいな感じだけど」


「そう言う意味ね。私はまりあから見れば異世界人ね。言っても理解できないような世界から来たの」


「異世界人かー。でも言っちゃえばこの日本だって、あたしの前世からすれば異世界だもんね」


 フライパンに十分オリーブオイルがヒタヒタに溜まったのを確認して、まりあはコンロに火をつけ、ノーラに振り返った。


「どうしてハローワークの職員に? やっぱり死んじゃって職員に転生したのかな」


 ノーラは赤ネクタイをくいっと緩めて、黒シャツの袖を捲って答えた。


「転生する時に勧誘されたの。おまえは向いてるからやれって」


「なんだそりゃ」


「初めは騙されたーって思った。もうめんどくさい客ばっかだもん。転生するならオンナじゃなきゃイヤだとか、金持ちの家の子供以外は断るとか、ワガママ言いたい放題。嫌になるわ」


 そういえば、ここんとこもめんどくさい奴らが続いたっけ。あいつらの転生先も見に行かなくちゃ。


 まりあがフライパンに手をかざして、うん、小さく頷く。


「確かにノーラはハロワ職員に向いてるかもね。さ、油もあったまってきた。ノーラ、やるよ」


「おう」


 思えば、料理なんて何年ぶり、何十年ぶりだろうか。そうだ。料理は楽しいものだ。誰かと一緒に作る料理。誰かのために作る料理。ノーラ自身にも、もうはるか昔のことで覚えていないが、そんな気持ちがあったはずだ。私も、誰かのために料理を作っていたんだろうか。


 しかし、その料理だが、これでいいのか?


「ねえ、まりあ。念のために聞くんだけど、食材選びは間違ってないよね?」


 ノーラの手元にはきれいに揃えてカットされたパンの耳がずらりと並んでいた。それもすごい量だ。


「ラスクを作るんだよ。パンの耳を使うの、おかしいかな?」


 おかしくはない。問題はパンの耳の質だ。このパンの耳は高級パン屋のれっきとした商品だ。近所のパン屋さんが配っているサービス品とかってレベルのものじゃない。高級パン屋のパンの耳一本で近所のパン屋の食パン一枚と交換できるレベルのレアアイテムだ。


「いやね、ちょっとお高いパンの耳かなって思って」


「美味しいんだもん。いい素材使ってるって解る味だよ」


 無論、その分お値段も跳ね上がる。


 ノーラは思った。大量の高級パンの耳。揚げ油としてのエクストラバージンオリーブオイル。ラスクに振りかけるための多種多様なスパイス群。このメニューにお金をかけ過ぎではないか。


「マリアはね、美味しいものを全然知らずに死んじゃったんだ。だからマリアに代わって、まりあのあたしが美味しいのをたくさん食べなきゃならないの」


 しかも変な使命感まで持ってるし。


「少しぐらいお金かかるからって気にしない。お仕事頑張ればいいだけだもん」


 そうだ。このコの食べ物に関する金銭感覚はぶっ壊れている。間違いない。


 月に一度はヤサイマシマシラーメンを食べに行く脂の絡んだような執着心。徹夜明けの朝八時から高級ラスクを作る職人気質のこだわり。美味を味わえなかった前世の自分自身への奇妙な使命感。


 飢餓に苦しんで亡くなった人は餓鬼道へ堕ちると聞く。まりあの前世のマリアは空腹状態で死んでしまったのだ。フォアグラを想いながら死んでしまったのだ。まりあは餓鬼なのか。彼女の魂はひもじさに囚われているのか。


 いや、待て。そういえば、マリアに対して異世界の洗脳技術、強制理解装置を使ったっけ。強制記憶書き換え装置でラーメンの記憶を刷り込んだっけ。


 えーと、見なかった事にしよう。聞かなかった事にしよう。ノーラは心にぴったりと蓋をした。


「さあ、美味しいラスクを作りましょうか」




 午前十時を過ぎる頃、ようやく食事が完成した。ノーラにとっては遅めの朝食であり、まりあにとっては帰宅後の夕食だ。


「いただきまーす」


「いっただきまっす」


 まりあとノーラは小さなテーブルに向かい合い、テーブルに並び切れない量の皿に何か意味もなく楽しくなり、クスクスと笑いを噛み殺しながら手を合わせた。


 大きめにカットしたパンの耳をクルトンとして刻んだパセリとともにオニオンスープに浮かべる。カリッと揚がったパンの耳は最初は歯応え良く、そしてじゅわっとオニオンスープを染み込ませて食感を変化させてノーラの舌を楽しませた。


 そして細かく切ったパンの耳でシーザーサラダ。なるほど、確かにいいパンの耳だと解る味わいだ。小さいながらもしっかりとこうばしい香りを口の中に広げてくれる。サラダの中に埋れてもカリカリの食感が不意に現れていくら食べても飽きる事はない。それこそボウルいっぱい食べられそうだ。


 メインはノーラの意表を突いた。パンの耳にあえてパン粉で衣をまとわせてしっかりとキツネ色に揚げる。それを甘辛く仕上げた出汁つゆでタマネギとともに煮込んで卵でふんわりととじる。炊きたてのごはんの上に乗せれば、カツ丼のカツの代わりにパンの耳を使ったパンの耳丼の出来上がりだ。


「パンの耳丼って、最初は目を疑ったわ」


 かりっ、さくっ。ノーラがとろっと卵を滴らせる出汁つゆを吸い込んだパンの耳カツを口に運べば、向かいに座るまりあの耳まで美味しさが弾ける音が届く。


 じゅわっ。まりあが出汁つゆを十分に染み込ませたパンの耳を口に含めば、ノーラも甘辛い卵がほどよく混ざったごはんを勢いよく口に運ばずにはいられなくなる。


「パンの耳、侮れないでしょー?」


「さすが高級パンの耳、侮れんわ」


 丼をご飯粒一つ残さず完食した後はデザートだ。さっきカリッカリに揚げまくったラスクだ。


 職場のスタッフのために揚げたパンの耳ラスクだが、作成者の責任として味見する義務がある。そう言ってまりあはノーラにそれぞれの味を食べさせた。


 シナモンシュガー、和三盆、黒蜜、みたらし醤油、ハニージンジャー、ラム酒漬けオレンジピール、ガーリックバター、ガラムマサラ、チーズ、わさびタルタル。




 パンの耳で世界を獲れるぞ。すっかりまりあのパンの耳料理の虜になってしまったノーラは、まりあが寝転がるベッドに寄り掛かり、コーヒーを啜りながら思った。パンの耳、侮れん。


「ねえ、ノーラ」


「何?」


 腹が膨れて眠くなったまりあがぼんやりと言う。


「この転生はね、正解だよ」


「正解?」


 ノーラはコーヒーカップに口を寄せたまま聞き返した。


「お仕事は大変だけれども、最高に楽しいし、今生きているって事がとっても大事に思える」


 首だけを後ろにそらせば、うつらうつらと眠そうに目を閉じつつ静かに語るまりあが見える。


「今度の『ゴッド・スピード・エピソード』はマリアの物語なの。なんとしてでも完成させなくちゃ。あたしはそのために転生したんだって、そう思ってるの。マリアのためにまりあは頑張るよ」


「……そう。応援す……」


 ノーラは思わず絶句した。まりあのためにも何か喋らなくちゃ。しかしどうにも言葉が出てこない。


 ノーラの視線の先にはつけっぱなしのテレビがあった。午前の情報番組が放送中だ。若い女性アナウンサーが大きな海を背後に何かを訴えかけている。


『今話題の福井県の東尋坊です! ご覧ください、あの海面を!』


 カメラが女性アナウンサーから海面へと向けられる。遠い海面に、何かがたくさん浮いているのが見える。


『マンボウです! 大量のマンボウが群れをなしています! この東尋坊の上からでも確認できるほどすごい数が泳いでいます!』


 おいおい、マジで?


『中でも、あ、あれです! ご覧いただけますか? あの一際大きなマンボウを! さながらマンボウ達の王様です!』


 これは、パンの耳どころの話ではない。あいつに会いに行かなければ。ノーラはコーヒーを飲み干して、赤ネクタイをきゅっと締め直した。


 マンボウの王が、キングマンボウが現れた。


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