「希望」と「絶望」
「希望」という言葉は少なく、「絶望」という言葉は多い。
「希望」は光で、「絶望」は闇。
「希望」は待つものではなく、「絶望」は人生のうち必ず一回はやってくる。
「希望」は待つものではない。
かと言って「希望」からやってくることなど奇跡に等しい。
「希望」は作るものであり、与えるものだ。
困っている人が居るのであれば手を差し伸べろ。
それがその人にとっての「希望」となる。
「絶望」に飲み込まれそうになっている人には、「希望」を与えろ。
それが、感動となり優しさとなり誇りとなる。
「絶望」は待とうとも、待たなくとも、「絶望」の方からやってくる。
「絶望」は人生のうち、必ず一回はやってくるのだ。
天災であれ、人災であれ、必ずやってくるものだ。
回避できる方法などなく、抜け出す方法ならばある。
それは「希望」だ、「希望」があれば人は簡単に「絶望」から抜け出すことができる。
「希望」を待ってはいけない、「絶望」の中から抜け出せなくなるから。
「絶望」を恐れてはいけない、「希望」が救ってくれるから。
「希望」と「絶望」は相反し、そして隣り合っているモノ。
「希望」があるところに「絶望」はあり、「絶望」があるところに「希望」がある。
それは古来からの決まり。
覆されることのない、絶対のモノ。
「希望」が先か、「絶望」が先か。
それは、人それぞれ。