沙織
翌日も穏やかな天気だった。
沙織さんが調子が良いと言って一緒に朝食を食べた。
本人は調子が良いと言っていたが俺にはそうは見えなかった。
恐らく俺に気を使っているのだろう。
一計を案じて一晩考えた事を実行に移した。
「沙織さん、俺が飲んでいる薬があるのだけれど飲んでみる?」
「お薬ですか?」
「うん、未来の薬だよ」
案の定、沙織さんは少し考えて怪訝そうな顔をした。
「俺も喉を痛めて寝てたのだけれど、その時の薬だよ。今も喉が痛いから飲んでいるけどね」
そう言って目の前で薬を飲んで見せた。
「私もお薬は飲んでいるのですが、一平さんがそうおっしゃるのなら」
「これを飲むのなら、今までの薬は飲まないでね」
一応、念を押しておく。素人の生兵法なのだから、万が一何かあったらそれこそ取り返しのつかない事になりかねない。
風邪から肺を患うという事はおそらく軽い肺炎ではないかと思ったからだ。
それならば俺が飲んでいる抗生物質が効くんじゃないかと思ったのだ。
決して素人判断でしてはいけない事だと言うのは良く判っていた。
それでも俺は沙織さんに元気になって欲しかった。
しばらく様子を見て異変を感じたら止めさせようと思っていた。
薬を飲むと眠くなったのか沙織さんは横になっていた。
俺は居候の身なので小夏ちゃんの手伝いをする事にした。
昼にも沙織さんは薬を飲んで熱が下がったのか、散歩に行きたいと言い出した。
「小夏、お願いだから散歩に行かせて」
「駄目です、私が旦那様に叱られます」
「だから、内緒でね」
両手を合わせて小夏ちゃんに懇願している、沙織さんが子どもみたいで可愛らしく見えてきた。
「沙織さんて小夏ちゃんより年上だよね」
「えっ、それは私が子どもに見えると言うことですか?」
「いや、そうじゃなくて可愛いなと思って」
「一平さん、可愛いは失礼です。私は20歳の立派な大人です」
頬を膨らませて口を尖らせて怒っている。
ますます、可愛らしくなってきた。
「ゴメンゴメン、悪かった。小夏ちゃん、3人で散歩に行こうよ。そうすれば小夏ちゃんも安心でしょ」
「えっ、一平様とお嬢様と3人でですか?」
「うん、駄目かな?」
小夏ちゃんは首を傾げて少し考えてから返事をくれた。
「一平様がご一緒なら」
「沙織ちゃん、小夏ちゃんの了承を得たよ」
そう言うとまだ拗ねて独り言を言っていた。
「沙織ちゃん、拗ねてないで散歩に行くよ」
「拗ねてなんかありません」
「綺麗だよ」
「き、着替えて参ります」
顔を真っ赤にして小走りで奥の座敷に向ってしまった。
それ後を慌てて小夏ちゃんが追いかけた。
3人で散歩に出かける。
沙織さんは春らしい桜色の着物を着ていた。
「一平様は酷いです。お嬢様はいつ結婚してもいい年頃なのですから」
「悪い、悪い、小夏ちゃんだって凄く可愛いし。こう言うのを両手に花って言うのかな」
今度は小夏ちゃんが真っ赤になって俯いてしまった。
2人と居るととても楽しかった。
「一平さん、おふざけが過ぎます。そう言う一平さんはお幾つなんですか?」
「俺は、22歳。一応、大学生かな」
「だ、大学ですか? す、凄い」
「まぁ、俺の時代はかなりの人が大学に行くからね。この時代とは比べられないよ」
あまりに小夏ちゃんが驚いたので、フォローをしておいた。
しばらく3人で歩いているとレトロと言えばいいのかモダンと言えばいいのかそんな2階建ての建物が見えてきた。
「あれ? なんだか見たことがあるような建物だな」
そう思い建物の近くに来ると見覚えのある年配の男の人が入り口に立っていた。
「おや、おや、お嬢様。お加減が宜しい様で」
咄嗟に俺は沙織さんに男の人から見えないように口に指を当てた。
「はい、お陰さまで。今日は気持ちが良くって、つい散歩に」
「おや? そちらは?」
「はい、お世話になっている片瀬名様です」
「ほーう、ハイカラな殿方だ。じゃが医者嫌いと見えるな」
俺は営業スマイルで軽く会釈した。
「それでは、失礼致します」
沙織さんと小夏ちゃんがお辞儀をして歩き出す。
少し先の角を曲がったところで俺は堪らず噴出した。
「ぷっ、はははははぁぁぁぁ」
「一平さん、何がそんなに可笑しいのですか?」
俺が腹を抱えて大笑いし始めたので、沙織さんが不思議そうな顔で聞いてきた。
「さ、さっきの伊是医院の医者だろ」
「ええ、でもなんでそれを?」
「100年後もあそに伊是医院があるんだよ、そこの医者にそっくりなんだもん」
「えっ、ええ!」
沙織さんと小夏ちゃんが揃って声を上げる。
俺だってびっくりだ、確かに明治の頃から代々医者をしているとは聞いた事があったが、あそこまで瓜二つだとは思わなかった。
伊是医院から程なく歩くと人通りが増えてきた。
恐らくここが俺が大学に通うときに駅まで歩いた大通りなのだろうと思った。
「人が割りと多いな。着物の人の洋服の人も居る。なんだか不思議だな」
「一平さんの時代はどんな感じなのですか?」
「う~ん、道の両側に歩道があって、道には車が走っていてかなぁ」
「なんだか想像がつかないです」
「そりゃ、そうだよ。だってまだ第一次世界大戦だって始まってないんだもん」
言ってしまってしまったと思ったが遅かった。
なるべく歴史の話はしないように心がけていたのに、つい喋ってしまった。
「世界大戦ってそんな大きな戦争が起こるのですか?」
沙織ちゃんは驚いた顔をして、小夏ちゃんはなんだか震えている様に見えた。
「ゴメン、つい喋ってしまったけれど本当なんだ、大正3年に第一次世界大戦が起こる。でも日本は勝ったけどね」
「そ、そうなんですか。一平さんが言うのなら本当なのでしょう」
「第一次という事は二次もあるんですか?」
今度は小夏ちゃんが聞いてきた。
「あまり、喋りたくないんだけど、ずーと後にね。ゴメン、俺が言えるのはここまで」
「そうですね、先が見えたら人生つまらないですものね」
「そうだね」
「あのう、一平様。こんな事を聞くのは失礼だと思うのですが、一平様はその怖くないんですか?」
「俺? いきなり100年前に飛ばされて不安じゃないと言えば嘘になる。でも、なんとかなるさぁ。それに飛ばされたお陰で沙織さんや小夏ちゃんに出逢えたんだ。だからメチャ、嬉しいし楽しいよ」
それは俺の本心だった。
つまらない代わり映えのしない日常。
それに比べればこの非日常は刺激的だった。
「ん、んん!」
通りのはずれから咳払いが聞こえてきた。
見ると駐在さんのようだった。
軍服のような制服に帽子を被り恰幅の良い体型をしていて俺を睨んでいた。
お嬢様に付く悪い虫だと思ったのだろう。
「一平さん、ご心配には及びませんわ」
沙織さんがそう言うと駐在さんの側に歩み寄った。
「お父様には、駐在さんが良くして下さると申しておきます。よしなに」
沙織さんが深々と頭を下げると駐在さんはバツが悪そうに視線をそらした。
その後で買い物をしながら屋敷に戻った。




