一平
「沙織お嬢様!」
その声に驚いて、声のする方を見ると朱色の着物を着た時代劇に出てくる町娘みたいな女の子が走り寄ってきた。
よほど慌てていたのか、俺を誰かと勘違いしたのか、いきなり俺の袖を引っ張った。
「お屋敷へ早く!」
訳が判らないまま、なるがまま。
前を小走りする町娘の後を女の子をお姫様抱っこしたまま追いかける。
町外れの大きなお屋敷の木戸を抜けて玄関を上がり奥の座敷に通されて布団の上に女の子を寝かせ、おれは縁側に胡坐をかいてヘタリこんだ。
ヒューヒューと喉が鳴り苦しくて肩で息をする。
喉がカラカラになりヒリヒリする。
堪らず後ろに片手を付いて喉をもう片方の手で押さえ、目を瞑り顔を顰めた。
思わずえずきそうになる。
「お、お茶をどうぞ」
片目を開いて目の前に出された湯呑みを受け取り少しずつ喉に流し込む。
喉の渇きが取れると呼吸が楽になってきた。
湯呑みが空になり深く息を吸い静かに吐き出す。
空になった湯呑にお茶を注ぎながら町娘の様な女の子が恐る恐る口を開いた。
「あ、あのう。あなた様は……」
町娘が不思議そうな顔で俺の前で正座して見ていた。
「俺は片瀬名一平だけど」
「片瀬名様ですか?」
「そうだけど、ここは何処?」
「ここは沙織お嬢様の別荘です」
それは、そうなのかも知れないが、俺が知りたい事と微妙にずれている。
改めて問い直すときちんと答えてくれた。
彼女が答えた町の名は俺の知っている町名と同じだった。
でも、俺が知る限りこんな大きな屋敷は無かったはずだ。
庭を見ると遠くに海が見える。
視線を横に移すと町娘が困った顔をしてモジモジしながら俺の方をちらちら見ている。
そんな答えを求めるように俺を見られても困る、どうしたものだかと頭を掻くと布団の方から声がした。
「小夏、その方は私を助けて下さった方です。丁重にお持て成ししなさい」
「沙織お嬢様、お加減は?」
「私は大丈夫だから」
「はい、畏まりました」
小夏と呼ばれた町娘みたいな女の子に連れられて応接間の様な部屋に連れて行かれる。
そこは、畳の上に上等なカーペットが敷かれ黒い革張りのソファーがあった。
「こちらにお掛けになってお待ちください。傷の手当てを致しますので」
そう言われソファーに腰掛けると小夏さんは奥へ引っ込んだ。
部屋を見渡すと庶民の俺が見ても高そうな壷やら置物が置いてある、お嬢様なんて言い方をするくらいだから相当なお金持ちなのだろう。
そんな家に慌てていたとは言え見知らぬ人間を入れてしまって小夏さんは困っていたのだろう。
お嬢様が目を覚まさなければ今頃は警察沙汰かな、などと考えていると小夏さんが救急箱を抱えて現れた。
俺の前に跪いてこめかみの傷の手当てを小夏さんがしてくれている。
かすり傷なので手当てなんて仰々しいのだが。
この方が話しやすいのでここは甘えさせてもらう事にした。
小夏さんに色々と質問すると、少しずつ答えてくれた。
しばらくすると慣れたのか、俺が危険人物じゃないと判ったのか俺が聞かなくてもお喋りしてくれるようになった。
沙織さんは大きな商家の娘さんで元々あまり体が丈夫じゃなく風邪から肺を患い、この海辺の町にある別荘に療養に来ている事。
親父さんや番頭さんが月に何回か顔を見に来るが普段は小夏さん1人で沙織さんの面倒を見ているらしい。
「いつも沙織お嬢様はフラフラと居なくなって小夏を困らせて、大変なんですから」
「そうなんだ、でも小夏さんはなんだか楽しそうだね」
俺が小夏さんに笑いかけると小夏さんの顔が急に強張った。
「も、申し訳御座いません、沙織お嬢様の大事なお客様に私……」
「俺はそんな大層な者じゃないよ。ただの通りすがりだもん。そう言えば小夏さんて何歳なの? あっ女性にこんな事を聞いちゃ失礼か」
「私は18になります」
「18歳か、俺の妹と同い年だ」
小夏さんがポカンとした顔で俺を見ていた。
「片瀬名様の妹様ですか」
「うん、あのさ小夏ちゃん。その片瀬名様は止めてくれないかな恥ずかしいから。せめて一平って呼んでくれない?」「い、一平様ですか?」
「様はいらないけど、とりあえずそれで良いや」
「わ、判りました」
俺がいきなりちゃん付けで呼んだ所為か小夏ちゃんが俯いて赤くなってしまった。
まいったなぁ、振り出しに戻ちゃったかなと思った時に、奥から小夏ちゃんを呼ぶ声がして小夏ちゃんが慌てて奥の部屋に小走りで行ってしまった。
「一平様、沙織お嬢様がお呼びです」
戻ってきた小夏ちゃんはなんだか沈んでいる様に見えた。
奥の座敷に行くと沙織さんが起き上がっていた。
沙織さんの大きめな瞳は熱の所為か少し潤んでいて艶があり、少しドキッとした。
とりあえず布団から少し離れて正座をする。
「この度は、有難う御座いました。お怪我の方はいかがですか?」
「いや、ただのかすり傷だから。怪我の内に入らないですよ」
滅茶苦茶緊張する、沙織さんがあまりに綺麗だから?
それとも沙織さんの言葉が硬いから?
恐らく両方だろう。
「私は和泉沙織と申します。床に臥している故、このような格好で失礼いたします。先ほどは手前の小夏が失礼な事をなにとぞ……」
堪えられなくなって悪いと思ったが沙織さんの言葉を遮った。
無礼千万だと追い出されてもそれは吝かでないと思った。
「俺は気にしていないから。俺の名前は片瀬名一平。悪いけれど足を崩して良いかな? 正座なんて久しぶりで足が痺れちゃったよ」
そう言って笑いながら足を崩し後ろに手をついて、少しおどけて見せると沙織さんから硬さが取れて笑顔になった。
「片瀬名様って可笑しい」
「失礼がてらにもう1つ、片瀬名様は勘弁してくれないかな。小夏ちゃんにも言ったのだけれど恥ずかしいからさ、一平って呼んでもらえると嬉しいのだけれど」
「一平様でよろしいですか?」
「う~ん、『様』じゃなくて出来れば『さん』で」
呼び捨ては難しいだろうと思い譲歩して提案してみる。
「それでは、一平さんで。なんだか小夏が楽しそうにお喋りしていたのが判る気がするわ」
「お、お嬢様。申し訳御座いません」
小夏ちゃんが何で沈んで見えたかはっきり判った。沙織さんに叱られたのだろう。
「小夏、もう結構よ。あまり畏まると一平さんが嫌がるわよ」
「は、はい!」
俺が嬉しそうに2人のやり取りを見ていると沙織さんが声をかけてきた。
「一平さんは外国の方ですか? お名前は日本人ですけれど。お召し物が少し変っているような」
「一応、日本人だよ、ただ……」
「ただ?」
「たぶん未来から来たんだと思う」
それはあくまで想像の粋を出ていなかった。状況証拠しかなかったから。
「未来ですか?」
「うん、今の年号は何?」
「大正2年ですが」
「やっぱり……」
想像が確信に変った瞬間だった。
溜息をついてうな垂れてしまった。
100年前かぁ……
「そう、落ち込まないで下さい。そのお召し物も少し変っているだけで見ようによっては車夫の様にも見えますから」
「車夫? ああ、人力車の。そうだよね考えても仕方が無い。現にここに居るのだしこの時代なら洋装の人も居るんだしね」
不安が無いと言えばうそになる。
それでも俺は2人にこれ以上気を使わせないように出来るだけ明るく振舞った。




