第一章 裁かれるもの 六
沈んでいく夕日から目を逸らし、手すりに背中を預けるようにして反対側の空に顔を移す。本当はこのまま床にでもねっころがりたい気分だけど。
少し下に視線をずらして眠ってしまった和美ちゃんをみる。一応はスーツの上着をかぶせてはいるが、なんだか死体を見てるようで、
「…………所詮は偽善なんですかねぇ」
そんなことを考えつつ、上着を回収して中に入ろうとして背中を手すりから離し、和美ちゃんに歩み――
「―――?」
僕が『目の前の屋上で一瞬光るもの』を刹那で目に入ってきて視認した瞬間、僕は屋上にある一番近い冷却ファンへ向かって思いっきり横っ飛びをしていた。
ほとんど反射だ。
次の瞬間に『僕のさっきそこまでいた場所のコンクリートが空気音とともにはじけ』て、
僕がさらにローリングして冷却ファンの影に到達したときにはまたすぐそこにいた場所のコンクリートがはじけとび、
ターンっと音がした。
「くっそ! マジかよ……!」
さらに遅れてターンっと音が響く。
「なんださっきのは!」
「わかりません! 明らかに銃声ですがこのビル内ではありません」
「観測班とデータ解析班は現状報告、SIT、SAT、は空自と連携して全てこちちらに情報回せ!」
ビリッジビルの地下駐車場二階の全フロア。そこに情報解析課の対策仮設本部がある。やれやれめんどくせぇのがやっと一つおわったと武藤がのたまりながら撤収作業をしようとした矢先の出来事だった。
高く唸るような銃声に梶原の無線からの音。これでまるで温泉ムードだった雰囲気は戦場のそれに一気に逆戻りした。
「宮崎! 屋上の観測からからの連絡は!」
武藤が各員に指示をだながら叫ぶ。
「いまくる。配備は五チーム。ここを中心に半径三キロはカバーしてる。……狙撃一班状況報告!」
宮崎がそういうと回りの動きが少し鈍る。現況を把握しておきたいというのは誰もが同じで早川含め全員が報告がくるスピーカを注視していた。
『南東一班より本部へ。こちらからではビルの陰になってなにもみえない』
くそっっといって武藤がさらに指示を飛ばす。
「飛ばせるだけのヘリを飛ばせ! 府中から攻撃ヘリもひっぱってこい! ほらっとっと動け!」
少し酔ってんじゃないでしょうね、と思いつつ宮崎は武藤をじっとりとした目でみて次の報告を聞く。
『北西ニ班より本部へ。こちらもネガティブ』
『北東三班より本部! ビルより約四百メートル離れた建築中のビル屋上に狙撃手発見。繰り返す狙撃手発見』
『こちら北四班、同じく』
『こちら南五班、状況は見えない』
つーまいった、と宮崎、武藤も嫌な顔をする。やれやれと不精髭をかきながらパイプ椅子に座りながらさめたコーヒーを啜る。右往左往する課員をみながら、
「屋上狙撃かよ。まいったな……。しかも四百メートルからの狙撃とは随分と。三班、四班! 狙撃手の相貌を報告」
しばらくの沈黙のあと、
『こちら三班、夕日のかげになり視認不可能。しかしおそらく子供と思われる。ライフルは長距離仕様の可能性』
「子供……?」
武藤が不思議そうに聞き返し、横にたっていた黒ずくめの柿崎が言う。
「仲間、ですね」
「やられたわね。作戦前にあらかたドブさらっておいたとおもったらこんなところに複線とは、ね」
そういいながら武藤の向かいに宮崎が座り、
「どうする?」
「冗談じゃないぞ……」
どう考えてもあれはライフル。しかも狙撃用のだった。
本当にマグレとしかいいようがない。偶然にも和美ちゃんに歩み寄ろうとして、偶然に『敵の狙撃スコープに背中の夕日が反射してその存在に気づいた』のだから。
まったくもって反射でさけたのはいいけど、これじゃふくろのねずみだ。まさしく。
「どうしますかねぇ」
そう自嘲気味に考えながら少し不思議に思う。
なぜ敵は、和美ちゃんが僕の手におちたときに狙撃しなかったのか。
それにスコープの反射で敵に気づかれる恐れがあるのが素人でも知っている基礎で、本当に撃とうというときにしかスコープは開かずに普通はそれまで双眼鏡で確認するのが常だ。
敵さんはただの本当に素人? いや、素人があそこまで精密射撃ができるか。だったら。だったら可能性としては。
そこで僕の無線に強制的に割り込むチャンネル。無線の向こうから聞こえる通話音。僕はおもむろに腰からとって耳当てる。
「どうも。狙撃してる人かな?」
無言。とおもったら、次に少し壊れた笑い方の声が聞こえ、
『変な人だな君は。これから死ぬのかもしれないっていうのに』
……明らかに子供の声。しかも男の子か。
ちらりと和美ちゃんをみて、まったくと呟き、
「最近は子供がテロやるのがはやりなのか?」
そういいながら僕は内ポケットから百円ライターをとりだした。
『違うよ。これはただの余興というか、テロ以前の行動さ。今回はカズミがその先陣をきってくれたけど、ちょっとあまかったね』
ふーん……。母音と子音に伸ばす癖。この子、外国人か。しかも『南』の。
「余興、ね。それならなぜ仲間を助けなかった?」
『それは違う』
少し仲間と言う言葉にかなり反応する相手。
『僕達は手始めにこの平和ボケの国を出身者であるカズミたちが壊そうとした。僕達はそれに乗っただけだ。僕達の、』
そこで僕が横に百円ライターを放り投げる。
と、空中で爆散して弾丸で着火してコンクリートに火の膜を作る。しばらくしてまたターンっという銃声。
『目的はオーストラリアの独立の阻止だよ』
「……君、随分な腕前だな」
ありがとうと流暢な日本語であっちはいってくるが。会話しながらライターを打ち抜くとは。この距離から離れて五十メートルでもコメ粒にしかみえないもののはずなのに。
『カーペンタリア紛争のきっかけとなった、あの日本の海上自衛隊を巻き込んだトレス海峡事件。あのときから僕達は違う思想をもってうごいてきた』
何の話かよくわからないけど、そうおもいながら、別ポケットにはいっている棒状の録音機器を無線にあて、チャンネルを本部に繋ぐ。
『梶原か! 今どうなってやがる? 敵さんはお前のところから約四百メートルのビルの屋上。子供らしい』
そりゃわかってますって武藤さん。
「動いてきた、ね。僕は逆に動けなくてピンチなんだけど」
そういうと武藤さんは黙る。こういうことには聡いひとだから助かると苦笑しながらまた無線に耳を傾ける。目の前の夕日がいい加減目に焼きつくように痛くなってきた。
『僕達は途中わかれてしまったけれどもいまでも一つ。あっちにもどればまた協力することもできるとおもう。そのまえにこのくだらない余興をそろそろ終わらせないとね』
ふーっと僕が溜息をつく。タバコをさぐって口にくわえたけどライターがなくなったことにきづいてさらに溜息をつく。
なにをいいたいのかよくわからないけど、少しおかしなことが、ある。
弾丸が届いて、それから銃声がした。
しかし、武藤さんは四百メートル離れた所に、と。
反対側からヘリの音が聞こえてくる。
『レアノアはそんなもんじゃない。テロでもない。そろそろ終わらせよう』