第三章 破壊するもの ニ
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武藤さん曰く、「お譲ちゃん二人ともこっちで確保したから帰って来い」という内容だった。
確保、というのは国防総省から防衛省に引き渡されたということらしい。まぁ、きっと二人のことだからなにも話さなかっただろう。折角、件のテロ事件の当人を捕まえたというのに期限の一週間を過ぎても何も話さないというなら、下部組織にまかせたほうがいい、というか丸投げされたんだろうな、とかスカスカの思惑が見える。
上の判断というか、元より智之君もいる情報作戦課に任せることは、捕まった(というか捕まえた手柄を横取りされた)時から決まっていたのだが、それを横から掻っ攫っていたのだ。
それでこんな結果なんだからイタズラ電話の一本でも入れたい。というか武藤さんならもうやってるかもしれない。
はぁ、面倒くさい。
鉛のように重い足で四課のオフィスに戻ると珍しい事に武藤さんと話しているとある人物がいた。
「お、おー久しぶりだな梶原。今日も元気にその作り笑いで人騙してるか? で、そっちのは噂のオーストの子か?」
「いきなり変な事言わないで下さいよ後藤課長。久しぶりも何も半月ぶりじゃないですか」
苦笑しながらがっしりとした背の高い中年男性に答える。一言余計だ。
視線を感じたので横を見るとやはり動揺すら表情に出さずに「誰ですか?」と目線で智之君が聞いていたので言う。
「情報作戦一課課長の後藤恒久さんだよ。ちなみに階級は一等空佐。武藤さんがニ佐だから武藤さんより偉いよ」
「おい、梶原、お前このクソ忙しいくてストレスマックスの俺に喧嘩売るってことは古巣の恥かしい失敗談あたり暴露してもいいのか?」
「すいませんでした」
マジで止めて下さい。
こういう風に自分の内面をある程度知られてる相手だと頭が上がらない。もっともやりにくい相手といえば武藤さんと高木ぐらいなものなのだが。
「で、えーと、智之君な。十七歳って聞いてたからこーもうちょっとガキっぽいの想像してたんだけな、なんだ訓練所ではSITの記録塗り替えたそうじゃねぇか。見た目もいい感じだ。ウチの課にもこういういい人材ほしいんだがなぁ」
そう言って高笑いする後藤さん。黒のスーツに趣味の悪い赤いネクタイ。髪が短髪で、後ろに無造作になでつけ、口ひげと顎ひげが伸びて合体しているためにそれだけで威圧感がある。さらに眼力が尋常じゃなく皺の刻まれたその刀の刀身ような相貌は一見、自衛隊じゃなくただのヤクザ……じゃなくマフィアの幹部といえばぴったり来る。
そして意外にも気安い年上の扱いに困っているのか、智之君は少し困った表情で僕を見たりしていた。面白い。
「お前の課に戦闘員なんていらねーだろ。それよりそっちのほうはどうなってんだ話戻せよ」
「あ、智之君、ちなみに情報作戦課は階級とか関係ないからね。だから気軽にね」
「おい梶原、お前少し黙れ。支援部隊の奉仕活動に回すぞ」
その様子を後藤さんはニヤニヤと智之君を観察し、「はぁ……」と言う彼はどうしていいかわからない状態。
この課はだいたいがそれぞれの役割を持っているからめったに課長同士が顔を合わせるなんてことは作戦等の重要会議を除いてほぼない。まぁ、そのへんは確か智之君には説明したはずだったようなしなかったような……。
「それで? 課員を人払いしてまで一課と密談とはどんな話ですか? 僕達に聞かせるために呼んだんですよね」
あの事件が片付いてから四課はぶっちゃけ暇になっている。強襲制圧が役割であるから大きな動きでもない限り出回ったりはしない。基本は書類業務で、オースト関連のものを洗ったり、諜報したりだのそんな物だ。
「話が早くて助かる。いや、分かってると思うが件の二人をウチで預かったんだが、ちょっと難義なことになってな。四課に応援にきてくれっていう話だ。かなり省いたがまぁ、さっきまで武藤とこの話をしてたってことだ」
自分の立派な顎ひげをごりごりとさすりながら後藤さんが説明してくれる。
件の二人、というのはもちろん菅原彩夏と長谷川和美だろう。が、一課が手を焼くとはどういうことだろう。
一課の専門は交渉、折衝と言った外交的な分野でもちろんその筋のエキスパートが揃っている。ほとんどは一課が初動で動いて二課・三課を通じて四課が動くという組織体系になっているのだが、そこをすっ飛ばしてウチにくるということは、まぁ、想像はつくけれども。
「つまりお手上げって事ですか?」
僕が言わんとすることを短く言うと後藤さんは何が面白いのか、笑顔になって言う。
「全くその通りだ。これから武藤に言う所だったんだがな、あの二人、拷問だがそれ系の対処訓練でも受けてたとしか思えねぇ。ここは日本だから人権とあっちの権利は尊重するからあんまし、ヤバイことはできないからな。ずっと睡眠時間まで削っての問答だよ。でもそれは国防総省もして失敗してるし、まぁ、手詰まりってことだ」
……えーと。簡単に言えば二人は何がしかを要求していてこっちはずっと突っぱねている? のか? それともただ何か黙秘しているのだろうか。あんな簡単に捕まったのだから理由があるのだろうと思っていたのだが。
「つまりだんまりなんだな。それで? 二人は何か要求したのか?」
武藤さんが気だるそうに髪を掻く。
というか。何も分かってないのになんとなく飛び戻されたというわけですか僕達。まあ件の二人には智之君と接触もさせたいという考えがあったからいいけれど。
「んー……。そこまでわかってるならなんていうかな、とりあえず見に来てほしい。それでわかる」
見に来てほしい? 相談ではなかったのか。困惑する僕と武藤さんと、さらに知り合いのことなので混乱している(だが無表情)智之君が目を泳がせる。
後藤さんにしては珍しく曖昧だ。きっぱりと判断する面ではどこかの刑事局長より良いのに。
「いや、結論なら一言で言っちまえるんだがな、その経緯をどー説明したらいいもんだが、うん困るんだわ。困る。だから実際の聴取の現場見て貰えれば全部分かる」
「なんだよそれ、どこの刑事ドラマの引っ張りだよ。CM挟むのかよ。俺は中将の案件処理で一杯なんだよマジでとっと連れて来いよ……」
「いやだから、そこをなんとかってこうして来てんじゃん」
相変わらずニヤニヤ顔でデスクに沈んでいる武藤さんに両手をを合わせるポーズを取る。
「元は四課に渡す案件だったんだ。これが済んだからあの二人はそっちに任せしさー」
「仕事増えるじゃねーかよ!」
「お前、なんか言ってる事おかしいぞ? 大丈夫か?」
茶番だ。
至極茶番。なんだこれ。
武藤さんの駄々をこねるのに付き合ってたらこのまま明日に持ち越しになってしまうかも知れない。
「えー……、それで後藤さん、つまり、智之君がいないとダメだから、来たわけですよね。四課に。同行させるために。それ見越して僕らを呼び寄せた、そのためには課長である武藤さんがいないとダメだからとか」
後藤さんは振り返り、驚き顔でバシバシと肩を叩く。地味に痛い。
「やっぱ梶原、お前話早いなー。その通り。あっちの要求は『智之と話をさせてほしい』だ」
急激にひやりとした空気が漂う。武藤さんが目を細め、僕が頬をひくつかせる。智之君は考え込むように眉を顰めていた。
智之君の日本入国の経緯は完全に秘匿されている。さらに情報作戦課に加わっていることすら秘密ではあるが、出回る上でそれも限度がある。その上で「バレていた」というなら納得できるが、二人のそもそもの目的が、智之と話すことという事実になるなら、それは「日本入国時から知っていたという事になる」。二人はそれを知る術が無いはずなのに。
つまり、イギリス側がなんらかの手で情報を得たのか、または情報が今この時点でも漏れているのか。つまりはそういうことなのだろうが、後藤さんはなんの動揺も、揺らぎも見せずに笑顔のまま言う。
「あー、お前らの考えてることは分かってる。でもそんなもんはとっくに総省のほうが調べつくしてわからねぇし、こっちもだ。つまりは後日知ったって事にしてるが、真相はわからん。まあその意味でも解明に重要なわけだよ」
最後のセリフを言い終えると強面の相貌に戻って武藤さんを見やる。
どちらにしても智之君が行かなければ話が進まないという、なんていうかまるで作られたかのような、嵌められたかのような状況なのだ。だから武藤さんも苦渋の顔で考え込む。
僕は別の考えであろう、重しのような疑問を考える。彼女らの目的は本当に一体、いやそれはもはや答えは出ている。もっというと、彼女らはなぜ日本へ帰ってきたのかということが重要なのではないのか……。
「ああ、オーケーわかったよ。聴取に同席させてもらう。だが智之を話させるかはその場で俺が判断する。いいな」
「ご自由に」
後藤さんの気取った態度にさらに武藤さんは表情を曇らせた。
きっと、というか絶対行かせたくないんだろうなぁ……。「何か」あれば貴重な人材を失いかねないのだから。まあ頭としては妥当な判断だと思うが、武藤さんの性格からいって智之、当人への影響を本気で心配しているのだろう。この人はそういう人だ。
横に立っている智之君は何かまだ考えているかのように口を顎に当てて考え込んでいる。
幼いとはいえないほど大人びている彼。菅原彩夏らと同じ子供達。きっと彼は、僕らにも見せたことが無い「顔」があるのだろう。それが警戒なのか深入りしないためなのかはわからない。わからないが、それに少し寂しさを覚えるのは感情移入しすぎ、と言えるか。
その間なんやかんやと武藤さんと後藤さんは段取りを決めて後藤さんはまた笑顔で去っていった。いつも思うがあの人が来て何かいいことがあった試しが無い。以前の事件もそうだったし。
乱雑に書類が積まれたデスクを前に座ってる武藤さんが何事かぶつぶつ呟きながら大きく伸びをする。
「ま、そーいうわけだから。二人と会うまでは一課に従ってくれ。あー、俺これから将補に会わなくちゃなんねーのに。とりあえず、智之だけ先に行ってくれ。あっちは聴取真っ最中らしいから」
「は? 僕だけ先にですか?」
困惑の声。当然の反応だが、つまり意味がある。判断を求めてくる智之君に僕は肯くだけにし、武藤さんと目を合わせる。
なんでもない、若い風貌だけあってとぼけてるような表情に見えるが、目線はどこか遠くを彷徨っている。
智之君はそれだけで了解したようで、先に四課オフィスから退出していった、と、同時に武藤さんが椅子から立ち上がる。顔を伏せながらわざとらしい咳払いをして、
「ま、話はあるにはあるんだが、一応お前の意見も聞きたいと思ってな。ぶっちゃけこれは俺らの範囲外のことだから」
そう前置きしてデスクの書類の山の一つを掴んで見せる。こういった阿吽の呼吸はというか機微は長年付き合ってくると分かってくる。付き合うつもりも無かったのにどうしてこうなったのかわからない。
「大臣の自殺の件でな、警察庁に行った時に佐々木に渡されたんだわ。最近不可解な死亡事件が多いって」
そう言って書類の束を僕に渡してくる。分厚いA4の書類で各都道府県警の捜査資料だった。添付書類も着いているからすでに解決処理されたものだろう。
「八月十三日、青森県八戸市内で十八歳の女子高校生が首を吊って自殺。同日夜、長崎県佐世保旧市街地にて二十歳の男女が海に浮かんでいる所を発見され、病院で死亡。八月二十七日、兵庫県神戸市の浸水危険区域内の人工島で火災が発生、死亡者は一人。同日東京都内……、後はそこの資料見てくれ。一見何もないように見えるどこにでもある事件、のように見えるが、不審な点がいくつもある。不審な点、と言うより変死だな」
恐らく全部暗記しているんだろう、武藤さんの声を聞きながら資料をめくって行く。被害者の顔、来歴等を頭に叩き込みながら――止めた。
なんでもない普通の「事件」なら自分らの活動範囲外だ。目頭を揉んで頭をまっさらにしながら資料を机に置いた。
「それでこんな事調べてどうなるんですか?」
「どうなるもこうも、警察庁が全部調べてこれよ。『普通すぎる』だろ」
「そうですね、『普通すぎますね』」
「各都道府県警察本部はなんかだんまりだし、事件が起こってるのは二人が事を起こした事件後だ」
ビルの事件は十二日。大臣の事件は二十五日。
余計なことを考えたくない。これからその二人と会うというのに変な先入観は持ちたくないのだが嫌な匂いがして仕方がない。そして、僕は関わりたくない。
「こいつら、おそらく二人の協力者だ。それも一方的な。だが二人は気づいていないということはもっと外部のデカイ組織に釣られて協力したんだろう」
「東京都外のもあるのに?」
「東京だけが問題じゃない。問題は全国の日本警察組織が関わってると言う事だ」
ああ。やっぱり。そうだよなあ、とか白々しい思考で考える。ヤバイよなあと思っても見ない事を考える。
武藤さんが頭をがりがり掻きながら目を背けて言う。
「その第三者に脅されたかなにかで協力させられたこいつらは事件後、『日本警察に口封じされた』というのが概ねの警察庁の見解だ」
「その始末――いや、もういいです」
僕が口を閉じると武藤さんも黙る。
静寂が降りて、霧の様な雰囲気に思考が霞む。
つまりながら陰謀論だ。
何かの事件が起きる。それが解決する。だが実は裏があった。しかもその裏は本筋に関わってこない。
だけど「それが一番しっくり来る」と言える。
犯罪者を取り締まるのは警察だろう。だが国に関わることになればそれを隠すのに躍起になるのも同じ。
「それと、これは、なんつーか噂程度だがな。はっきりしない」
……まだあるのか。
「佐々木に聞いた話だ。三年前から警察の外部組織が作られて色々な年代の素質のいい人材を育成してるっていう話。その提案は科警研のある学者さんが提案して却下されたもんだったが、南緯五度の例のあれで実行されたとかどうとか」
なるほど。それと大臣の話と繋がるのか。南が間接的に関わっているからと。
はっきり言って現実的じゃない。
日本の秘密組織というのは確かにあるにはあるが、おいそれと出来るものじゃない。
妄想もいいとこだと言えばおわりだが、現実に行われているとすれば、それが一番効率がいい、としかいいようがない。
だが。
「僕らの考えることじゃないですね。それにもう終わった事件ですし。もう言っていいですか?」
「梶原ぁ……」
思いっきり渋面でため息を付かれた。なにかすでに諦めた表情で僕を見つめる。
「お前、いい加減そういうの止めたら? 仕事上でのことでって意味だけど」
踏み込まない。
武藤さんは絶対に他人へと踏み込んでこない。その一線を見極め、それをずっと維持しつつ擬似的な信頼関係を作成する事に長けている。それは僕以上にだ。
だから僕はそしらぬ振りをして答える。いつも通りに。
「菅原彩夏らの目的は『レアノア』を抜けてただ智之君の所へ帰ってくることだった。大臣暗殺未遂を組織名義で汚名を被せる置き土産を置いて。動機はもう嫌になったとかそんなんじゃないですか。イギリス側はレアノアを介して日本各地に協力者を作ってサポートをした。その事件後に警察庁の管理下ではない各都道府県のどこかに作られた匿名の組織によって殺害された。もちろんイギリスへ当てつけとして大臣も。ということですか」
「…………」
武藤さんは何も言わなかった。何も言わず腕を組んで手を顎に当てて何か思案している。
きっとこういう探りあいのような物は智之君は嫌がるだろうが、僕は日常の行為として対処、というか無意識に行えるようにしている。恣意的じゃない。自動的なのだ。それを話しても誰も理解してくれそうにも無いが。
武藤さんは対面する僕に何か言おうか言うまいか躊躇ったような仕草をしてから、
「いや、まぁ、その辺は俺もわかっていた。だが『そうじゃないんだ』、わかっていないことが、今、分かっている。どうして南緯五度海域の緊張と日本の軍拡が関係ないと言える? 日本は二年前にイージスを十隻『だけ』失っただけで、未だにEZZには一九隻、空母三隻も数えると合わせて四〇隻以上保有、展開している。自衛と言えば聞こえは良いがどうしてここまで広げる必要性があった?」
「自衛の為の軍拡は国として当然です、そしてそれを言うのは、それをするのは僕らの仕事じゃありません。政治家の仕事です。武藤さんはこう言いたいんでしょ。『今回の事件も全て日本の自業自得でツケが回っただけ』って。でも立場上いえませんもんね」
自然、自嘲と皮肉が言葉に乗ってしまう。武藤さんは何も出来ない事がただ歯がゆいのだ。それは自分も同じ事だからわかる。だけれども、それをどうかしようとは思わない。それが僕と武藤さんの違いだろう。
「それはそうだが――」
武藤さんは困るように言うがブレない。昔から確固たる自分と言うものがこの人にはある。なぜか分からないが。だから疑問に思っても進めるのだろう。
「武藤さんは、現在も南緯五度海域の緊張は『日本が悪いのか他国が悪いのか』、それがわからない、だけど『なにかが悪いことが分かっている』と。その結果色々な対抗組織が出来、しなくていい『治安維持』がなされ、世界中が悪化していく。どうにかしてとめなければ成らない、でも、」
僕は一旦口を切る。意図的に間を置いて止める。
「それは僕らが考える事ではありません。あの子らが考える事です。だから精一杯サポートしてあげようじゃありませんか」
急な話題転換と「らしくない」発言に少し武藤さんは眉を顰めると、身体に詰まった灰を吐き出すように深くため息を吐いた。腕組みを解いて頭を触るその癖。
「お前をどうやってそんな風に変えたんだろうな。あのガキは」
意外な事を言う。自分が変わったって? まさか……。
「智之君に影響されただけですよ。それに今後の事を考えるのは実際彼らですし」
「俺はあのガキ達が手元に入って、各方面へのイニシアチブとしての道具ぐらいにしか考えてなかった。どこの機関もそうだろうし、争奪戦みたいなもんだったのはわかるだろ。だがお前はあいつらを同列として見ている。十分かわったんじゃねーの」
「…………」
僕は少し考える。道具というより人なのかを知りたかった、と言えば聞こえは良いが、義務的に接触しなければならない立場上、仕方なく「そうなった」なんて言い訳は――通じない。
「ま……、オッケー。時間取らせたな。俺らも行こうぜ」
いい逃げもはなはなだしい感じで、相変わらず読めない表情のまま、僕の横を通り過ぎ、先行してオフィスを出る武藤さんを無言で追った。
武藤さんも気づいている。そう嬉しく思える。