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風の中から夢の中へ  作者: 椎名未来
第三章  破壊するもの
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第三章  破壊するもの 一


 高いところから低いところを眺望するのはなんとも爽快な気分になる。でも、ただなんだか自分が違和感を感じてしまっている事に気づく人は少ないだろう。上から見る風景と下から見る風景の価値観の違い。つまり物を別の角度から見てみるという奴だ。その違和感が誤認識され、快感になる。人というのは便利に出来ている。

 だからだろうか、こういうVIPルームや社長室などは比較的高い位置に作られるのは。

 「梶原さん、ちょっといいですか」

 振り返ると長身で引き締まった体、顔は美男子というより精悍な少年――智之が黒のスーツ姿で立った。見てくれは体つきもいいこともあって新人の自衛隊員に見えなくもない。

 見方による価値観の違いというのはこの少年の中にも起こっているのだろうか。

「なんだい? あとは公安に任せればいいんじゃないかな」

 都内のとある高級ホテルの最上階。高級なホテルとはいっても百パーセント外国融資による外資系グループ設立で、国の要人でもなければ泊まる事もできない例外中の例外のホテル。その最上階。

 広いとはいってもワンフロアを丸々使った潤沢な設備と調度品も加えると、さながらちょっとした豪邸だ。リビング、寝室が三つに護衛用の寝室が一つ、シャワールームにサウナがついた大きな風呂場、とまあ、あげたらきりがないくらいいろいろな設備が備わっている。セキュリティに関しても万全。リビング、寝室に面したガラスは防弾仕様でライフル弾すら通さない。

 そんな「事件後」というのに何も散らかっていないこの広い部屋に数十人の警察官が作業しており、僕と智之は八畳程度の執務室にいた。

 事件と言うのは先日来日したマッケンジー閣外大臣が、帰国先のロンドン市内ホテルで自殺したということから始まっている。外傷はなし。遺言らしきもなくあちら側は自殺ということで処理し、現職大臣のその話題はかなり反響を呼んでいる。しかし日本からの帰国後の直前ということもあり、本当に事件性はないか捜査本部が開かれ徹底的に調べているというのが現状だ。

 自分達、陸自の情報作戦課は中将の護衛と後始末のため一切手をつけなかったが、今回何かわかることはないかと本庁の捜査一課に泣きつかれた。面倒くさい事この上ない。

 確かに捜査権、逮捕権はあるが、国内の事件に関してはまったく干渉しないというのに関連があるというだけで、召集されても困る。本当に警察の上層の頭の悪さがよくわかる。まったく。

「いえ、ちょっと気になることがあって。この執務室のドアの傷と机の隅の傷なんですが」

 そういうことで実直な智之君とこうし来ているのだが、正直終わった事件を追うのは警察であり、自分達ではない。こうやって手を貸しているのはただの武藤さんのコネ作りに過ぎないのだ。

 智之はドアの外側のノブのしたありにあるカッターで切ったような傷を僕に見せ、そして執務室の机引き出しの上の端にある傷も見せた。良く観察して手で触ってみもたが、何かが擦れた、いや刃物で切ったあとのように思えた。

「……確かに、これは刃物で切ったような感じはするけど、ライターやペーパーナイフ、食器など色々考えられるよ。というか、こういった捜査は僕らがやることじゃない。今日はただのアドバイザーとして来てるんだから」

「え、ああ、そうですが、この傷、ちょっと見逃せなくて」

「何が?」

「これ、刀傷ですよ。両方」

 そう言われて僕は少し驚き、改めて傷を検分するもやはりわからない。木がめくれた細部である程度の獲物は分かるつもりだが。

「……どうしてそう思うんだい?」

「跡の切り口が特徴的で紡錘型に広がっています。通常の刃物、ナイフや包丁ではこのような形にはなりません。切り口が線から広がって大きくなっている事から、刀の切っ先から刃まで正確に切り付けたのでしょう、通常、軸がぶれて対象を穿る様な跡になるのですがそれがなっていない。切り口が綺麗ということはこの使い手も相当な腕ということです」

 智之の解説を聞いて僕は思わず眉を顰める。

「智之君、随分詳しいみたいだけれど、なんで?」

「いや、あっちにいた頃、偶然知り合った日本マニアがいまして。日本刀も所持していたのでまあ、その経緯で要らない知識で知っていただけです」

 謙遜の言葉には感情はでているが、智之の顔は相変わらず無表情、というか凪いだ物しか張り付いていない。それをなんだか作り物にしか見えないのは気のせいだろうか。彼の心情は分かるが未だに踏み込めない位置に僕はいる。

 僕は改めて机の傷跡を見てみると、智之のいう通り、確かにそのような形をしている。曲りなりにも真剣の試し切りの経験もあるがよほど鍛錬を積んであり、さらに刀の切れ味、さらに斬る角度によって斬り跡が決まる。それを考えるならば、仮にこの刀を振った者は達人とも渡り合える腕前とも言える。

 そしてこれは、つまり殺人事件ということになる。面倒な事に。しかも「自殺」を覆す決定的要因だ。事件は急展開を迎えるだろう。

「智之君、君の検眼なら分かっただろうが、日本の警察が同じ結論に行き着くかな?」

 彼は少し考えるような仕草をする。元々無表情且つ、喋る時以外あまり喋らないので付き合ってそう長くもないけれどなんとなく彼がどう思うのか、そう感じるのかが分かってきた。

 こんな調子で彼女がいるというのだからその彼女を不憫に思ったりする。どうでもいいけど。

「傷については当然気づきますし、専門の方が見るでしょう。しかしこの状況、ほぼ密室といっていい部屋から刀で大臣を暗殺し、ロンドンまで運び、あちらで、もしくはあちらの仲間か誰かが自殺に見せかけて殺した、とまでは行き着かないでしょう。例えそれを知ったとしても公表しないと思います」

「それはどうして?」

「それは、えっと梶原さんならわかるんじゃないですか? 公表しても日本の利益にならないからですよ」

 まぁ。薄々そんな気はしていたんだけれど智之君の口から直に聞きたかっただけだ。例え僕達がここで言っても、日本の警察が見つけたとしても、公表しないだろう。

 なぜなら「それは日本の警備に問題があった」という日本警察の信用に関わり、さらにはその責任は現政権まで飛び火するのは誰だって分かる。下で捜査しようがきっと上でもみ消されるだろう。

 だが。ならば仮に、この殺人犯は何故この傷跡を残したのか。大臣が抵抗したのか、それとも誤ってか。いや、ここまでの腕ならありえない。抜刀から返し刀で頚動脈を斬り、その後納刀するまで一瞬だろう。

 すると犯人の行動として残されるのはメッセージか何かの暗示。

 しかし部屋全体から見ても「綺麗すぎるほど綺麗に仕事をしている」。それを考えると……。

 僕はため息を着いて部屋の壁に寄りかかる。智之君はまだ絨毯の隅等を見ているだけだ。

 この跡からの犯人の動機は何の意味も何の意図もない。ただ「イタズラで傷跡を残した」という結論になる。快楽殺人者によく見られる傾向だが、ここまで痕跡を残して主張が小さいとなれば、殺人を殺人とも思わず、ああそうだ、という風な買い物の忘れを思い出したかのような動機で傷をつけた。殺害が日常と同化しているケースだ。「殺人」という抑止力がなく、それがただのモノとなっているのであろう。

 おそらく実行した者は殺人自体が日常のことで、これも仕事やそういった部類にさえ入ってすらいない。イレギュラーなものではなく、「彼・彼女」によってそれはレギュラーなのだ。

 十分に、狂ってる。

「ああ、零次先輩。何か見つかりました?」

 思考にふけっていた時に扉から入ってきた男性に声を掛けられた。

 年齢は確か今年で二十三で捜査一課のエリート組みの男だった。警視庁時代に何度も一緒に事件担当をした間柄、いつだか先輩で呼ばれるようになった。なぜ名前で呼ばれるかはわからないけど。

 僕は愛想笑いを浮かべ智之君を見やる。まだ床を調べているがなにかあったのだろうか。

「ああ、いや、目ぼしいものはないね。そもそも自殺で決着ついた事件をこねくり回してもなんにもならないと思うよ?」

「いやー……まったくそうなんですけどね。一応そういう体裁っていうか、やっておきませんと」

「僕達には全く関係ないことなんだけどなー」

「零次先輩、なんか根に持ってます? 今回のこれ」

 持たないわけがないだろう。

「とりあえず初動は君ら一課で公安に引継ぎだろ? 実りのない事件なんかやるもんじゃないよ。報告書は武藤さんからそっちいくから後よろしく」

 その言葉を最後に手を振って智之君のところへ行く。

「もう行くよ」

「……あ、はい」

 まだ床を気にしている智之君を連れてホテルを後にした。

 僕自身は面白い事をした犯人に興味はあったが、今後会うこともないだろう。色々考えはしたけれど、情報がないただの推測なのだから。



 新宿にあったそのホテルを後にして中央線を使ってそのまま市ヶ谷に帰っても良かったのだが、かねてから何度も行っている爆破テロのあった有楽町に行きたいと智之君が言ったので、そのまま秋葉原まできた。本当は神田、東京駅まで行ってもいいのだがここを過ぎると未だに爆破された有楽町駅付近は厳戒態勢にあって、あまり智之君を連れ立って行きたくなかったというのが本音。バレることはないと思うけれど、とりあえずここで昼食を食べてから行こうとした。

 駅から電車に乗る、降りるまでにしてもやはり二年前と比べると人は閑散だった。昼間の電車、地下鉄の乗車率は良くて五十パーセント、それに合わせて運行時間も車両も減り、益々人がいなくなったと思う。秋葉原の町に入っても出歩いている人は数えられるぐらいで多いが決して元の人口密度とは言えないだろう。東京から脱出していく人たちも多く、また都外に住宅をもって通勤する人がかなり増え、いつだったかの首都圏の空洞化がかなり進んでいる。具体的な数字はしらないが少なくとも首都圏から中部、東北地方へ三百万人は流れてるらしい。

 まぁ、そうはいっても生活は出来ないし仕事も出来ない。気にはしているがまぁ来たら来たらでいいんじゃないかという雰囲気はやっぱり日本人だなぁとか思ってしまう。しかしそれがきっと正しいんだろう。

 智之君連れ立って大手コーヒーメーカーの店に入り、軽食を頼んで窓側に二人して座った。店の込み合いも上々ではあるが座れないということはない。

 対面式の席に座って無言で食べていたが、ガラス越しに見ていた外の風景から智之君に目を移すともう、自分の食事を終えて紅茶を啜っていた。この早弁は何度も見たが、なにか急いで食べてるようにも感じていたので十三歳になったばかりから日本で銃なんか撃っていた為、そのせいでそんなクセになってしまったのでは。なんてくだらない事を考える。

「……東京って人多いですよね」

 まだ僕は食べているので街を観察している彼に気がつかなかった。

「いや? これでもかなり人は減ったほうだよ」

「そうですか」

 彼の表情に変化はない。なんだろうか。自分がいた幼い頃よりも多い、という意味なのか。よくわからない。それとも彼女らのことを考えているのかもしれない。

 あれから一週間。

 事を起こした当事者である長谷川和美、菅原彩夏両名は殺人未遂と銃刀法違反、諸々の取ってつけた容疑で拘束された。取ってつけた、というのはちゃんと捕まえましたよ大丈夫ですよという直接被害を被ったイギリス側へのパフォーマンスである。

 中将の乗った車は右前輪、後輪とも見事に打ち抜かれ、対面を走行していた乗用車に衝突。しかし左バンパーからで、さらに防弾車であるその剛粘性とエアバック等もあり中将以下部下全員、その場ですぐに動ける程度の軽症だった。つまり、彩夏らは中将殺害が目的ではなかった。これは智之君の考え通り。

 さらに嵌められた僕らのタネは簡単で、六本木のあの建設中のビルのあの部屋にはダミーの爆薬に、携帯電話と通信販売で購入できるGPSと通信妨害ができるジャミング装置が置いてあった。スイッチを入れる事によってGPS、通信ともに半径十メートル程度妨害するという玩具に近いものだった。だが玩具に近いものだからこそ、こちら側から探知できなかったし、その他地区を妨害しなかった、恐らくそこまで折込み済みだったのだろう。

 まず、長谷川和美が智之君に電話を掛け、逆探知を知り尽くしている彼女は六本木と探知されるとこで妨害装置を作動、僕と智之君がビルに入った頃を見計らってまた電話を掛けて「自分の居場所を知らせた」。

 最初から東京タワーで張っていた二人は一切の抵抗なく、拘束され、その後警視庁が保護している。タワーの二人がいた所には逆探知を逆に閲覧できる機械と、電波信管による道路爆破の無線機があった。さすがに僕らが車を降りるまでどちらに中将が乗っているかは分からない為、もしもの時の為にアメリカ大使館前の道路にタイヤのみパンクさせる地雷を仕込んでいたという用意周到さ。

 彼女らが僕らを誘導したのは、「中将の事故から遠ざける為」。万が一自分達の行為で智之君の存在が公けにならないようにしたためだった。

 さらに自分の位置を知らせ、抵抗もなく投降したのは「それが目的だったから」。元より中将が、というか「オーストラリア人が襲撃」という題目が付けばそれで今回「レアノア」に見切りをつけて投降するつもりだったらしい。

 智之君の言った「この事件から自分を回収する」ということ。それは逆の形で彼女らにとって成功され、自分らは目的を達した。彩夏ら、「彼女たちをレアノアから逮捕保護する」ということは、結果、達成された。その大義名分を彼女らが作ってくれたのだ。

 なんとも後味が悪い、というか嫌な展開だった。確かに二人とは会話した仲であるが、あんなあっさりテロを起こしておいて、急に気が変わったようにほいと放り投げれる程度の思想だったのだろうか。まだ防衛総省での拘留、尋問が続いているらしく、防衛庁に降りてくるまで時間がかかる。

 彼女たちはなぜ、中将を暗殺せず、ただ「襲撃した事実」を作っただけで逮捕されたのか。

 推測ならいくらでも出来るが、僕は度々出てくる智之君の名前から考える。ただ、もしかしたら智之君の所へと合流したかっただけじゃないのか。組織内で分裂が起こっただかの原因で。

 現在は政府との司法取引により、予め日本国内で犯罪を起こして匿名で逮捕し、公表されていなかったオーストラリア人二名が二人の代わりとして国へ強制送還されている。

 事件としてはまったく歯切れが悪いものだ。僕が実際考えるなら、組織よりも個人を優先しただけ、それだけの話だと思う。

「梶原さん」

 癖である考え事をしながらすでに食べてしまったエッグサンドに僕は包み紙を丸め、彼のほうを向く。

「ん? なんだい?」

「ちょっと街を見てきてもいいですか? 東京のこっちは来た事ないですし、あんまりじっくり見ていないので」

 彼にしては珍しいことになんだか恐縮している、ようにも見える。ふむ、と僕はコーヒーの紙コップにストローを突き差して啜る。

 ……別に問題を起こすわけでもないし、彼なら大丈夫じゃないだろうか。本来なら僕が同行しなければならないのだろうけれど、恐らく彩夏ら二人のことを一人で考えたいのかもしれない。

「ん、いいよ。行って来な。但し十五分ね。その後に秋葉原の駅に来て」

 そう軽く答えると智之君は少し身じろぎをしてから、ありがとうございますと言ってトレイを戻し、店から出て行った。

 ふとなぜか店の中の喧騒がようやく耳に入ってきた。彼にはもう少し感情豊かになってほしいなんて考えるのは、ちょっとした親心ににたものだろうか。



 ビルは高く、人も多い。雑多なビルと人ごみを抜けて中心街までいくとそれ以上に人が多くなった。大型量販の前の客引きを素通りし、どうにも雑踏で人を避けるのに慣れていないためか度々人にぶつかっては頭を下げて謝るのだが、それを見る前に怯えるように行ってしまう。

 うーん、やはり人々は怯えてるのだろうとか考えながら歩を進める。空はまだまだ晴天で残暑とは行かない。行きゆく人々もまだ薄着でそこには学生らも混じっている。横に並んでいるネットカフェの隣のガラス張りのカフェ内はかなり混雑していた。その前ではコスチュームプレイをしている女性がチラシ配りをしている。そういえばアニメーションとかそういったもので有名なんだったか、と考える。歩いているうちに普段見慣れない服装を目撃したにはした。なぜああいう格好をしたがるのかは全く理解の範疇だが、そういうことで個性を作っているんだろうと納得していた。

 でも確かこの辺は電気店で栄えていたはずだったけれど、と当たりを見回す。駅周辺に、そのアニメ関連店がビル内にしきつめられ、歩いてきた奥のほうは電気店でどちらにせようるさい。区画でも決まっているのかどうかわからないがそういうふうに街が成ったんだろうなぁ、と思う。

 それと同時にもしここでテロを起こすなら、効率よく人を殺すなら、どうするかを考える。

 これほどの雑踏だ。IED(即席爆発装置)をゴミ箱と路地に放り込めば簡単に数千人は殺せるだろう。

 しかし、クリストらが考えるのは、というか目的はただの人殺しなのだろうか。何を目的としているのかが今回の注目すべき点だ。戦略的に考えればクリストらのしていることは失態も同然だが、思想頒布とすればそれはすでに成功している。それならなぜこれ以上のテロ活動が必要となるのか。

 すでに道路上の白線がかすれきった広い道を雑踏を縫って神田川沿いまででる。歩いてくると分かるが、秋葉原は千代田区に面している為どちらかというと住宅街と電気店に囲まれているということがわかった。

 ともすれば。有楽町を狙ってなぜ上野をねらわなかったのか? なぜ秋葉原ではなく有楽町なのか。

 淀んだ川から寂れたビル路地に目をやった時、ふとおかしな光景が目に入ってきた。

 少年、少女の二人ずれのカップル。いや、そういう雰囲気ではない。多くの人に紛れてはいるが、その存在が際立っている。

 少年は自分くらいだろうか、自分はスーツ姿だがあっちは学生服の上にこの暑いというのに襟が長いコート。後ろを付いていく少女は同じくらいで、ホルターネックとティアードのキャミソールを重ね着に七分丈ジーンズにサンダル。肩には小さめのバッグを持っている。目を引いたのは漆黒に近い長い黒髪をそのまま降ろしており、美麗ともいえる容貌に限りなく白に近い肌との対比がそれが拍車をかけて、自然と目を奪われてしまう。実際、通り過ぎる人たちの殆どが男女問わず少年ではなく少女のほうを見ている。しかし二人はそんなことはお構いなしのようで何か話しながら歩いていく。

 僕は思わずその二人組みの後ろに並び、「先ほどのもの」を再度確認した。

 少年が左越しに吊っている、白鞘の日本刀。そこだけが異色を放ち、人目見たときおかしな二人組みに映った、と、同時に近目で判断できた。僕は少し小走りで人ごみを掻き分け、二人に声を掛ける。

「ねぇ、ちょっとそこの君たち」

 なぜか敏感に二人組みは歩みを止め、僕を振り返った。近くで見れば見るほど少女の美しさに目を盗られる。

「はい、なんでしょうか?」

 以外にも答えたのはその少女だった。こちらが名乗ってもいないのだから、そのまま立ち去ってもいないのに返答するということは、つまり意味がない、ここで答えておこうというものだろう。少年はあからさまに嫌な表情で僕を見ている。

 僕は手帳を出して言う。

「僕は自衛隊のもの何だけれど、ちょっと今いい?」

 瞬前、少年の表情が動いた。無表情。いや殺意を持った目線になったのが明らかだった。しかし少女は無関心で続ける。

「いいですよー。何かご用でしょうか」

「え、あーうん。ちょっとそっちの子が持ってる『本物の日本刀』についてなんだけど」

「あー……。これはですね、ちょっと趣味で」

「趣味で刀持ち歩くの?」

「気分転換? 見たいな感じで!」

「…………」

 もしかしたらこの少女、見た目は聡明そうだが、馬鹿なのかもしれない。

「一応ね、僕らも警察と――」

「なぁ、お兄さん」

 言葉を遮られた。少年が始めて言葉を発した。少年は美男子な顔にボサボサの長い髪を無造作に固めているがそれが様になっていて、その鋭い相貌から不穏な空気が出ている。

「えーと、なんだっけ、その、所属は」

「所属? ああ、陸上自衛隊の――」

 刹那。

 風が、空気が動いた。

 その押し寄せる波のような殺意に僕の左手も動いていた。

 風が巻き上がり、少女の黒髪が舞い上がる。

 僕の右首筋に少年が抜刀した刀の切っ先が当たるか当たらないかの位置でピタリと止まっていた。

 同時に、僕は左手首に巻いて仕込んでいたナイフを少年の顔面で止めていた。

 殺意というのは空間の空気や埃、衝撃それらを動かす事ができることだと習ったが、「少年はそれすら気づかないほどの腕を披露した」。僕のナイフを胡乱気な目線で見、僕は抜き身の刀の刀身を見る。刃文鮮やかな匂いも立つかなり高価な一品だろう。

 少年は何も言わない。

 僕も何も言わない。

 僕は少女の左側から。少年は少女の右側から。

 互いに無表情であるだろうが、二人に挟まれて中央にいる少女が、「ふえ?」とようやく声を上げる。そして、

「お、お兄さん凄いナイフですねー! これさっきのお店で買ったんですかー!」

「…………」

「お兄様、早く刀しまって下さい! レプリカなんですから、傷つけたら今度の撮影会で怒られますよ」

「…………」

「きゃ、きゃー、ちょっと恥かしいです! 早くしまって下さい」

 多分フォローなのだろう。多分。

 少年は意外にもあっさり引いて刀を慣れた所作で納めた。僕もナイフ指だけでしまうと腕を下ろす。

 気づかなかったがかなり注目を浴びていたようだ、通行人の何人かは喧嘩かなにかと思って立ち止まっていたが、少年が目線を送ると全員立ち去ってしまう。

 少女も問題があるが、この少年もかなり問題がある。雰囲気はただの子供だというのになぜこんなにも、異質なのだろうか。

「……俺は、これだ」

 少年はコートのポケットから黒塗りの手帳を放り投げるようにだした。

「――神奈川、県警?」

 その手帳は間違いなく警察官が持っている手帳だ。偽装? いや「番号の文頭」は確かに神奈川のものだ。

 しかしこんな少年が?

 じゃあ、「この少女は一体何者なんだ?」。

「おい、なんか考えてるようだが詮索はすんな。何も聞くな。刀は必要だから持ってる。そんなに気になるなら自分で問い合わせろ。じゃあ、な」

 すると手帳を仕舞い、くるりと歩き出す。「え、え」と慌てた少女は、

「あ、ではこれで。またご縁がありましたら」

 そう言って少年に追いすがった。

「――お兄様はだから――」

 そんな少女の声が聞こえるが僕は刀をつけられた右首筋ではなく、「多少切れている」左首筋に手をやる。すでに血は固まっているが。

 信じられない、というか信じ難い。あの少年は抜刀し、目の前にいる少女で視界が塞がっているにも関わらず先に左首筋を狙い、引いて、そしてまた返し刀で突いた。

 正確さからとっても目を閉じても空間把握が半端ではない。じっとり汗が滲んだ手を握り締めて冗談ではないと思った。

「……勝てないわけじゃないけど」

 腕時計を見るとすでに約束の時間を過ぎていた。



「智之君、なにか疲れてない?」

「え、いいえ。そんなことありません」

 秋葉原駅で会った時から何かおかしい気がするんだけれど、何も言わないのだからこれ以上気にするのは辞めよう。

 山手線に乗り換え、未だにこの首都の大動脈として機能している東京駅につくと、そこからタクシーで現在、封鎖されている有楽町駅につく。そこから東京地下鉄の職員に許可をとり、東京メトロ有楽町駅と降りていく。電気は通じているが、それはこれまでの復旧作業の賜物だろう。駅のホームは両側に線路があり、中央ホームは広く長く取られている。しかしその銀座方面のトンネルがまるで落盤事故でも起こしたかのように瓦礫でふさがれていた。

 現状はもっと酷いもので、事故当時は線路から瓦礫が溢れ、爆破で飛び散った車両や瓦礫で柱やら天井やらも傷つけられて崩落するのではという声もあったぐらいだった。瓦礫の撤去作業には民間会社が請け負ってるらしいが、どうにも復旧作業が進んでいない。

「しかしこうまで綺麗に爆破出来るとなると、本当にプロだよね」

「プロですよ。それが専門でしたし」

 事前に聞いてはいたが、爆破関連はあちら側にいる藤沢祐樹が担当してると智之君は言っていた。何の因果か知らないが、なんと言うか。

「梶原さん、なんであの時祐樹の話をしたんですか」

 それとない会話。現に智之君は崩壊具合を見ているだけだが、それとなくいつか聞きたかったのだろう。

「別に。特に意味はないよ。それで君に糾弾されるのもいいし、ただ僕が話したかっただけかもしれない」

「そー……ですか」

 めずらしく歯切れが悪い。しかし彼も僕がただ同じオーストの子供だからと代用品として贖罪のようなことをした、というかしてしまったことぐらい気づいているだろう。

「そういう梶原さんも、良いと思いますよ」

 一瞬言われた事がわからなかったが、微笑んだ彼は本当に信頼に値する人物だと思う。

 重要な話だというのにその短い会話で終えてから線路の状況や瓦礫の具合、崩落の角度を見て、しきりに智之君は携帯電話の電波状況を気にしていた。僕の電話も三本立っているが、智之君が僕にかけると、なぜか繋がらなかった。三回試したが同じ。

「やっぱり、繫がりませんね」

 最初から核心していたかのように言った所で、一緒に地上に出た。

 出た途端に武藤さんから電話が掛かってきたので盛大にため息が出た。

 少しは休憩がほしい。


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