第二章 救われるもの 八
最初の感想としてはやっぱり大きな街、ということだ。
武藤さんの運転でそのまま後部座席高木さんと僕が乗り、そのまま都内を通過していた。どうやら情報四課の本拠地は新宿にあるらしく、第一印象としてはこれほどゴミゴミした街の中を本当に目的地までたどり着けるか疑問だった。
区画整備された所。されていない所。低層のビル群と高僧のビル群。異常に路地が多いのは都市計画がなされていない結果だろう。次々と新しい建物に埋もれる老朽化したモノたち。この昔に作られたのはすでに誰の目にも触れられていないというのに存在し続ける。
「おい、何見てんだ?」
後部座席の右側に座っている高木さんが僕を見て言う。まだ比較的若い部類の顔立ちなのに、無精ひげに疲れた顔をしていると相貌が急激に悪く見える。
「東京、ですよ。街を見ていました」
「……街ねぇ」
高木さんはそう呟いてスーツのポケットからタバコを出そうとして、止め、行き場を失った手をポケットに突っ込む。
「俺はてっきり市街地戦のことでも考えていたのかと思ったぜ」
「そういわれるとそうですね。先の警察の失態等考えると今後市街地戦を考慮に入れないと」
そう言うと途中から乗って、助手席に座っている梶原さんが苦笑し、高木さんは出ない堰を無理にしているような苦い顔をする。運転している武藤さんは無言だ。あんまりあの件には触れないほうがいいのだろう。
車は四ツ谷駅前という大きな駅舎を横に止まる。その対面からまるで水の濁流の如く止まっていた車らが流れていく。よくぶつからないものだ。
「智之君のいうことももっともだと思うよ」
助手席の梶原さんが苦笑しながら言う。
「現にこの多発テロで国民に恐怖を植え付けることは十分に出来た。あとはそれが全国に行くかどうか、ということだね」
そう、僕が違和感を抱いたのはこの大都会にしてほとんど人を見かけないことだった。車、電車、バスなり人は満載してるにもかかわらず外出している人は殆ど居らず、そこら中に検問や道路封鎖が見かけられる。
まるで人がいなくなっても動き続ける機械、のようだった。人が暮らす特有の雰囲気が、この街には全てアスファルトの上に沈殿している。
「まあ、テロのおかげで外出禁止令は出してるけど、出さずとも自主的に外に出たがらないっていうのが現状かな」
走り出した車から見える駅のホームを見ながら梶原さんが言う。
「確かテロは六回起こったんですよね?」
「そう。智之君は大体内容は把握してる?」
梶原さんの言葉に僕は頷く。
「国際問題に発展しかねない重大な事件として連日あっちでニュースで流れていましたから。概ね知っています」
テロが始まったのは半年前、二〇〇七年二月からだ。
まずは地下鉄有楽町線駅爆破事件。夜中に起きた事件で、回送の電車が爆破された事件。
次に東京国際展示場爆破事件。足の柱だけを爆破し、上の構造物だけを残した謎の事件。
その次が代々木公園大火災、東京モノレール昭和島駅火災、首都高速五号線爆破事件。これはサンシャイン六〇にも飛び火している。最後に国立新美術館倒壊事件。そして今回の事件。
「今回のは確か『関東広域テロ』ってマスコミでいってますが、実際のところは東京全区、全米軍基地への通信手段をシャットダウンしただけじゃないですよね?」
冷たくなっていた指先を僕は手をこすり合わせて言う。
「まあ、そうだね……」
梶原さんが横の武藤さんを伺うかのように言うので、機密情報をまだ民間人(もしくは不法入国者)の僕に話してもいいかどうか迷ってるのか。その武藤さんは運転しているだけで無表情を崩さず、なんの返事もしなかった。
それを見て梶原さんは笑顔に戻って僕に顔を向ける。
いいのかな。情報がこんなザルで。
「関東全域に加えて、横須賀、沖縄の米軍、そして自衛隊の立川、習志野、三沢、百里、朝霧、練馬、十条とまぁ、主要な基地含めて四幕に駐屯地まで混乱しちゃったから対応が遅れちゃったっていうのが原因。だいたいの主要な原因が、緊急時のホットラインが分散しちゃってて、その上で遮断されちゃったらどうしようもなかった、ということ。うちら情報作戦課とか下部組織はたまたまほうって置かれただけの話で、それで突き止められたっていうだけだけどね」
梶原さんの言葉に淀んでいる車内の空気が一気に冷えた気がした。それは簡単に言えばいつでも攻撃できるぞ、とやられたようなものだ。武藤さんやその部下、梶原さんや高木さん達がかなりのキレ者だったからこそ終わった事件であって、そこに組織などまったく介在していないのがわかる。
「それで和美ちゃんがやったテロの波及ってのがまた大混乱。ちなみに前の六つのテロとの比較が、」
「その辺にしとけ。もう着くぞ」
空気を気にせず続けた梶原さんに初めて口を開いた武藤さんがパワーウィンドウを空けて警備員に手を振っていた。
正門のようで、砦のような石造りらしい門。そしてその門には「防衛省」。そう看板には書かれている。
「悪いな。まだごたごたしてて」
「いや、まあ、こんな風だろうなとは思っていたので」
何が悪いのか分からなかったが、早足で廊下を行く武藤さんについていく。門のすぐ近くにある建物の前に止まると、高木さんを除いて僕たちは入っていった。高木さんはどうやら業務上のなんとやら、らしかったらしく、そのまま乗ってきた車で帰っていった。元々警察の高木さんは軍のほうじゃなくて本局で仕事があるのだろう。
そんなことを考えながらふと思った。なぜ梶原さんは警察から自衛隊へきたのか。温和そうな雰囲気がある永年風のこの男性にもなにか昔あったのか。多分聞いても話してはくれないだろう。
ごたごたしている、というのは廊下の惨状もある。あちこちにダンボールやらが積み上がってスーツ姿や制服の隊員が右往左往している。恐らく連続して起こるテロ対策に奔走しているのだろう。
「ここはE棟つってな。格支援部隊、内局、技術本部とか入ってるとこだ。一応市谷基地ってことになってる」
そういいながら武藤さんは廊下を曲がり、開けたエントランスにあるエレベータで立ち止まる。
「二年前のカーペンタリア紛争を機に日本も自衛隊を再編成して出来たのが情報作戦課。一応表向きは支援部隊として対外諜報から作戦立案するんだが、ぶっちゃけると対内外問わずに怪しい奴はつかみ次第捕まえろっていうぶっとんだ課なんだわ。軍よりも警察に近い」
そうしておりてきたエレベータに乗り込む僕ら。梶原さんはそ知らぬ顔をしている。武藤さんは五階を押してまた口を開いた。
「対外諜報なんて公安くさいが、そういうのを自衛隊内にも国際犯罪対策の隊を作ろうって動きがまぁあったわけだ。だからなんでも出来るわけじゃないぞ。自衛隊なりの取り締まりとか取り決めに従って行動。でも今のご時勢じゃ内らのほうが発言とか有利だがな」
五階について武藤さんが長身をねじって歩き出す。僕もなんだか沈黙したような空気に踏み込む。
「特殊作戦群に特殊警備隊とか中央即応連隊だのいろいろ自衛隊にも特殊部隊はいるんだが、畑が違うとか『頭』の指揮が違うとそれで動けなくなっちまう。だからそういった枷をなくして自由に動けるように実験的に作ってみないかってのがウチの課だ。なにか質問は?」
両面ガラス張りに白い色調の小奇麗なオフィスのようだが、壁に埋め込まれた何課であるか示すプレートにはなにかのモチーフがある。一課には銃と車と思う。
「情報作戦課の課員は?」
「だいたい五百かな。今は有事だから全員で揃っているけどそれなりの数だよ」
絨毯敷きの廊下を進みながら梶原さんが後ろから答えてくれる。二課も、三課も数人人がいたが、なんだか閑散としていた。無人の使われていない部屋よりも半端に使われたこの空間はなんだか緊張した。人がまるでいなくなったかのようだ。僕は自分の手をひらいたり閉じたりした。
四課のオフィスは殆ど突き当たりのロッカールームの左にあって、躊躇なく武藤さんたちは入っていった。僕も入ろうとしたけれど入る前にみた四課のモチーフは拳銃二丁だった。
中は机が並び、それなりに汚い。パーティションで別れているが、仕切りが低いので全部丸見えだった。机のスリープ状態のPC、電話、スケジュールなのか壁際の表にオーストラリアから日本域の地図が壁にはってある。窓際までよってみたが見えるのは道と隣接する建物に遠くは東京の高いビル。
「あんまり汚くてビックリしたか?」
武藤さんは課長らしく、中央前の席に座って足を机にあげ、飲みかけの缶コーヒーを飲み干す。
「いえ、以外に人がいなさすぎてビックリしました」
「まあ、今はどこも人手不足だからね。智之君の人事だって異例中の異例だけど、君のパフォーマンスと上のいろんな思惑でこうなった感じなんだよ」
武藤さんの近くの席に座った梶原さんが苦笑しながら言う。そういえばそこのところまったく考えてなかったけれど、一体どうなったのだろう結局。
「オーストの子を、しかもテロに知り合いがいる子を置くことはできないから、じゃあどうせなら自衛隊内のわかんないとこに匿っちゃえばいいんじゃない? みたいなあたりが結論」
「……随分適当ですね」
「適当なのが最善の選択なんだよ」
そう温和な笑顔でいう梶原さんの言葉に、なるほどそうかもしれないと僕は思った。どっちにしろ不法入国は取り消せないし、警察庁内ではやらかしちゃってるし、それにレアノアの知り合いときている。
……自分であげといてかなり馬鹿な方法でここまで来たものだと思った。日本側としてはオーストの子を極秘に匿え、さらにいざと言う時は戦力にもできるし、もしかしたらレアノアの交渉人にできるかもしれない、とか会議でしのぎを削った結果がこれだ。適当がだというなら僕の居場所としては最適だろう。
僕はあまり国という枠組みが嫌いだった。下でも上でもそれにこだわる大人たちを見ていると馬鹿らしいと思う。そんなもの気にしても拳銃で一発撃たれたら人は死ぬ。そこになんの意味も無い。だからオーストだのと拘る国を利用するのが一番だろうとは思っていた。
「僕も一応作戦には同行できるんですよね? 具体的には?」
「ま、お前が察したように俺らはお前のお守り兼監視になる。オーストの子供が自由に出歩くなんてなったら大騒ぎだからな。だからもし事件になったらお前にも同じく出動してもらう。もちろんそのためにあらかたの能力は見ておきたいから、しばらく訓練だな。お前、銃の扱いは?」
「大体の銃、機関銃は。あとナイフと格闘技も出来ます。装備は英軍のフルで三日は移動できます」
武藤さんは天井に向けていた顔を戻してまるでタバコを呑んだような苦い顔をして、梶原さんは苦笑した。
「お前の戦闘スキルは高木から聞いていたが、なんでそこまで軍人ばりに鍛えてんだよ。少年兵か?」
「思想がかわったとしても、二年もあればこのぐらい憎しみがあればなれます。あとはいい教官と恩師に恵まれからだと思います」
そう言うと少し考えるように指を口あてていた梶原さんが真面目な顔で武藤さんに言った。
「これは能力判定しなくてもいいかもしれませんね」
そう笑う梶原さんに僕も少し笑って見せて、
「そういえば、課ごとに課の表札にモチーフがありましたが、あれはなんですか?」
ああ、と梶原さんが忘れていたという風に言う。
「あれは課ごとの役割表したマークだよ。制服やそれに入ってる。内の四課は拳銃が二つ。これは防御がない攻勢の課、強襲鎮圧の役割を持った課なんだよ」
……強襲鎮圧。
「でも梶原さんは交渉人なんですよね?」
「役割上は、ね」
そう言って立ち上がると武藤さんの後ろにはってある人員配置と書かれた紙を叩く。
「僕は元からこういうのほうがあってたんだ。オーストに派遣されたときによくそれがわかった」
あの件か。どうにも梶原さんはあの話になると口ごもる。彼らしくない行動。と、梶原さんが薄い微笑みで僕を見ながら、
「眉が上がってる、不満に思ってるね。多分例のオーストでの邦人殺人事件のことだ。……そう、たぶん僕を疑ってる。それに、智之君、君の友達、祐樹君にもなにかしってることがある。ここまであってる?」
……正解だ。素性当て、だったか。心理学も学ばされたので表面はわかる。僕はそれに答えないで、
「梶原さんはそれが正義だと思っているんですか」
少し厳しい口調になってしまった。
「正義かどうかなんて僕に決められないよ。決めるのは、君だ。そして周囲の人だ。僕がそれを正義だと悪だと思っても、そんなのその人の奢りだよ。だってそんなの誰にも分かりはしないし誰にも伝わらない。そんなの論じた所で時間の無駄だ、そうじゃないかい?」
「あー、梶原、そんなに熱くなるな」
急に割り込んできた武藤さんに止められた梶原さんははっとしたような顔になり、ばつが悪い表情になった。
熱くなっていたのか。気づかなかった。まったく。
「威勢がいいのはいいことだし思想論議も後でやってくれ。今日中に能力テストするぞ」
そう言って武藤さんは何事もなかったかのように四課を出て行った。