第二章 救われるもの 七
…………。
僕は正面を見てわざと意地の悪い微笑を浮かべ、左を見て、右を見た。
「お二人は……、動きませんかやっぱり」
僕の投擲した針は確かに高木さん、梶原さんの首を狙った物だったけど、直前に手首のスナップで少し軌道修正、当の針は首を通り越して両側の壁に突き刺さっている。ただ針そのものは直径三センチ程度のもので当たったとしても大事にはならない。もちろん、「僕なら今のようにコンクリートの壁に突き刺すぐらい」は簡単だけど。もちろん、こんな程度この二人をやれるとは思わない、思わないからこそ「できる」と確信した。
二人は自分の実力を信じて動かないということ。
ミラーの向こうで一体誰が見ているのか確認しておくことを。
微動だにしなかった二人、右の梶原さんは苦笑しながら松葉杖を持って立ち上がり、高木さんはあーあー、といった感じの顔をしながら座ったままタバコを出す。
目の前のマジックミラーは鏡面が反転して鏡が解け、その瞬間一瞬で透明なガラスにかわった。どうやらボタン1つでマジックミラー内にあるアイトソープの分解構築が出来る技術で透明、不透明ができるやつらしい。高級ホテルや官僚を匿う所で使われていると習ったことがある。また一回、オーストの巡洋艦内でホログラムの分析で見たことがあったので一応当たりはつけておいたが。
そしてマイクを握り締めたまま固まっているスーツを着た、四十代くらいの男性。僕が針を投擲した瞬間に鏡に反転、『やめ…!』という中途半端な声がスピーカーから聞こえてきた。当の本人はやられたと思っているのか、嵌められたとようやくわかったのか僕を苦々しく味ら見つけており、左の二十代女性は眼鏡越しにそんな男性を冷ややかに見つめ、そしてさらに横の男性は隣の女性と何か会話して知らん振りしている。
僕が動揺を誘ったのはこっちの梶原ら二人じゃなく、あっちの人たち、というのはわかっただろう。その中に取り乱すような人がいるのは賭けだったけれども、一応保身のためにあっちの上の人たちは知っておきたかった。もし、自分を責めるような状況になったら誰が一番やりそうか。 どちらにせよ交渉の余地はなく、この取調べだけで終わるだろう。
上に誰が関わっているか、その直接交渉が今のタイミング以外ない。
「針ね。ナイフならずにおっかないね」
そう言って笑いながら壁の極小の針を見る梶原さん。毒があるかも、っていうのはわかっているのか、触ったりはしない。 仕込みなので毒はもちろんないのだけれど。
僕がそれを見て、目を細める。
――銃はいいわ。あなたのナイフよりも人の顔を見なくてすむもの。
そう彼女は言ったけど、僕はもし、やるのだとしたら人を殺すという罪をこの手で実感してながらそれをやりたい。
自分の欲望でその人の人生を終わらせる罪をこの目に焼き付けておきたい、そう言ったが、そんなの偽善よ、とやっぱり笑われた。
結局の所、僕と彼女だけがあそこに残り、研鑽を積んだ。他の仲間は、友達はみんなちりじりになってしまって……。
僕達のことを覚えているだろうか。僕達がもしこうだとしたら、こうだったらっていう絶対に無駄とわかっていた夢物語を言っていた十五歳の当時のことを。
人間というのは一人じゃ弱いが、何人集まっても弱いものは弱い。そう悟った子供達は、こうやって分断してまで世界に、国に反抗しようとしている。でも僕にはそんなものは関係がない。ついでで止められればいい。そう思っている。
僕は彼女を止められればいい。
「それで、吉田啓吾一等海佐、佐々木警察庁情報局局長、武藤航空自衛隊情報作戦四課課長。僕を梶原さんの補佐にするんでしょうか?」
「お前さ、少しは自分を律するって言葉、習わなかった?」
横の高木さんが正面を向いたまま言う。
「習いましたよ。戦場では常に冷静であれ、と」
「戦場って……。まだ円谷センセーはそんなこと言ってんのか。もう旧日本軍みてぇだな」
「否定はしませんけど。そういうこと本人の前で言うと半殺しになりますよ」
そういうとむっ、とした感じで高木さんが黙る。
今は三人で警察庁内を歩いている。高木さんに武藤さん。どうやらその場で速攻決まったらしく、僕はそのまま作戦情報四課に就くことになった。鏡越しに見ていると吉田一佐対四人といった感じで見てて面白かったが、あっちが折れたらしく、その場で解散して梶原さんは他の人に用事があるとかないとか。
「それよりも、もう少し反応して高木さんとやり合う、っていうのも悪くなかったんですけれどね」
「はっ。カンベンしてくれ、俺はもうデスクワーク組みでお前見たく現役じゃねえんだよ。やったらジリチンで負けるだろうな」
それでも「ジリチン」というところ、それなりに自分に自身を持っているのかただ事実を言っただけなのか。
そうは言ってもと、僕は高木さんの拳と肩、足を見て、
「それって面白いですよね、コマンドーに柔術のような。現在あるどの武術にも当てはまらないものですよね」
ほうと、ガラス張りの廊下を歩きながら前の武藤さんが言う。
「わかるのかそれ。それはその『円谷』がまだ日本にいたとき、開発したもんでまだ使い手は二人、その高木と梶原だけさ」
……はぁ…。
「んだよ」
僕がじっとりとした目で見てると高木さんが笑いながら言う。
「いえ、同門なわけですねじゃあ」
そうすんなりと言うと、高木さんは少し固まって、笑っていいのか、困った表情で漂って、結局はむすっとした感じに収まった。
「同門でもかなり、まぁ、事情が違うさ」
事情、か。過去にどうやら僕が親炙できないものがあるらしい。武道なんてスポーツの延長だとしか思っていない僕が何か言ったらただ怒らせるだけだろうな。
そのままロビーから出て、正面玄関から外に出る。
二人が僕のことをどう思っているか少し気になるところだけど、この人たちは「さっきみたいな」方法でなくてはなんにも言ってくれないだろうし。そのうち打ち解ける、っていうのも悪くないと僕は思い始めた。
「このまま新宿の隊舎までいくぞ。車回すからすこしそこで待ってろ」
そういって武藤さんがまた庁内に消えていく。
高木さんは所謂、と言うかみててもかわるけど、ヘビースモーカーのようでまだタバコをくゆられせながらぼーっと空を眺めていた。
僕は随分とまあ、人工密集がすごいな、なんて普通の感想をもちながらこの中核省庁が集まる霞ヶ関のまわりをぐるりと見渡す。
「発展してんだなあ」
実を言うと東京は初めてだ。まだあっちにいた時に起きた紛争の影響で、テロの標的にされたとかでかなりの人口が減少したらしいが。
「でも多いことには変わりないか」
またどうでもいい感想を言って、せわしなく右往左往するスーツ姿の群れをみる。どれもこれも無表情で、なにが自分の使命なのかわかっているのか、それが率直に出た疑問。
将来は自分もああなるんだろうか。社会に取り込まれて、無為に仕事という看板を掲げて黙々と自宅と会社の往復をする日々。それだったら僕は――。
でもここまで泥沼に嵌っている僕が日常に戻れるかどうかと言えば……。
そのとき、ケータイが鳴った。マナーにしておいたけど、それでもわかる。
高木さんはちらりとこちらを見てきた。僕は一番近くのビルの屋上を見て、そして、
「すいません、電話です。ちょっとそっちで話してきますね」
高木さんは、おう、とだけ言って、気づかないのか、それとも振りなのか、よくわからないけどおそらく後者だろうと思って、僕はそこから立ち去りながらケータイをを出して、
「彩夏、話したかった」
僕は出るなりそう言った。
『私も。智之』
なんだか、前とは違う。
前はこんな、疎外感を彷彿させるような喋り方をするような人じゃなかった。やはりテロなどという思考が彼女自体を変えたのだろうか。
「今、近くにいるんだろ? 会って話したい。直に会って話したいんだ。そのためにここまできたんだ僕は」
そう。直にあって、あの凛々しい顔を見ながら話したい。また対面のビルの屋上を見る。
『話す……ね。もしかしてレアノアのこと?』
「そうじゃない」
僕が少し声を荒げた。あっちも驚いたのか少しの息遣いだけが聞こえる。こんな雰囲気は嫌だ。
「そうじゃないんだ。わからないのか? 俺は彩夏のためにきたんだ。君のために」
彩夏はまだ何かを図りかねているかのように言葉をださない。
「あれから……あれから俺とシルフィーがどれだけ探したかわかってるのか? 俺に好きだって言ってくれたことも、一緒に居たいて言ってくれたことも忘れたのか?」
あの時の、僕達は全員で一つだと思っていた。
それが世界の全てだと思って、それでいいとさえ思っていた。事件前の僕と彩夏はそれでいいと、思っていたのに。それなのに。
「……勝手に消えるだなんて、卑怯じゃないか……っ! 何やってるんだよ彩夏っ!」
胸が詰まる、なんていうのはこういうことをいうのか。
とにかくこの二年で思っていたこと全て彼女に言いたかった。今はどんな様子で、どんな髪型で。そんななんでもない近況を言い合えるような、なんでもない子供でいたかった。それでいいだろうと。
もうやめようと彼女に伝えたかった。
『…………私も、嫌だった。智之と離れるのは』
静かに、最初の喋りだしとは打って変わって、優しさが篭ったものだった。
『今でも確かに智之のことは好き』
僕は少し息が詰まる。
『でも、もうここまで来ちゃったからね。どうしようもないのよ』
「どう……、どうしようもなくないっ……」
今でも俺も――
「まだ国がどうとか言ってるのか? 俺たちには確かに憎むべきことだけれど、ここまでなにもかも犠牲にしてまでやることか?」
『その価値が、あるから、やるのよ。価値は誰かが決めるものじゃないわ。自分で決めるもの』
「思い上がりだ。ただの自己満足だよ。価値は周りが決める。彩夏達がなにをやったってテロリストにしか映らない。国がどうとか、親がどうとか、」
少し、声を落とす。
「少しは……あれから、自分のために生きてみろよ」
今でも俺も――
「俺と一緒に帰って欲しい」
数秒沈黙が続く。彩夏はやっぱりなにか迷っているようで、少しして、
『――またね』
電話が、切れた。
少しケータイを耳から話して、対面のビルの屋上を見る。さっき見えたガラスの光のようなものがなくなっていた。
「くそったれ………………」
そのまま、百メートほど離れている高木さんを見ると手招きをしていたので、とりあえず歩いて近づいていった。
高木さんは僕のケータイを見て、そして首を傾げながら言う。
「どうだった?」
このぐらいでもう僕は驚かない。
僕は高木さんを見て、
「あまり話せませんでした」
「そうか」
「今でも俺も好きだと言えませんでした」
「そうか」
「……止められませんでした」
「そうか」
高木さんはなんでもないようにそう言うと、さっき僕が見た屋上の上を数瞬、見て、
「ほら、車来たぞ、乗れ」
そう言って歩き出した。