第二章 救われるもの 五
「僕、いえ、僕たちはトレス海峡事件の遺族だということはもう知っていますね?」
僕が横の二人を見つつ、確認するかのように話しかける。
高木さんはソファから立ち上がり、自販機の横においてある吸殻たてのところでタバコを出す。そんなのを横目でみつつ、梶原さんは、悪いね、と言った感じで頷いてくれた。そして僕は続ける。
「僕たち……僕たちはあの事件から当事者であるイギリス軍をとても憎みました。一五歳ながらも当時の国際関係は自衛隊の父親をもつ僕たちにはわかりすぎるほどだったからです」
僕は正面をむいてタバコに火をつけてこちらに背中をむけながら吸う高木さんを見る。
「僕たちは僕たちなりに、周りの大人に訴えました。なぜこんなことが起きるのかと。友達であり、同じく父さんをなくした四人の、僕らの母さんも含めますが、当然全員在日としてイギリスに抗議したんです。本当にいろいろありました語りつくせないほど。しかし」
今度は横の巨大なマジックミラーをみてピタッとタバコの手を止める高木さんから視界をはずす。
「日本政府とイギリス政府が、公式的な場での陳謝と遺族の慰霊金、特別対応処置、イギリスの経済的基本方針の国連の棄却と経済制裁『程度』で終わったことが、僕たち、または周りの日本人に対しても問題だったし、さらに反感を募らせる結果となったんです」
少し言葉をとめて様子を探る。梶原さんをみると随分と真剣な顔で見つめ返してきて、そして高木さんは不自然にタバコをもったままそのばで固まっている、ように見える。マジックミラーのほうをじっと今度は見つめ、
「少し話が前後しますが、先ほどからいっている『僕たち』というのは先の現地で仲良くなった日本人三人、オーストラリア人四人のことです」
話題が転換したためか少し雰囲気が和むのが明らかにわかる。高木さんはぎこちない動作でタバコを吸う。
「僕に、菅原彩夏、長谷川和美、藤沢祐樹、シルフィア・イベットソン、ジェイニー・デービス、クリアル・二ケーラ、クリストファー・シアル、この八人で現地ではいろいろあって、僕ら日本人が派遣されてから二年間、一三歳の頃から仲がよくて集まっては遊んでいました。その事件が起こるまでは」
ちらりと角のスピーカーを見るがなんの反応もない。高木さんは立ちっぱなしで、二本目のタバコをだして下にむける、なれた仕草でタバコに火をつけ、梶原さんはなにか思いふけることでもあるのだろうか、前を注視していた。
「話を戻します。僕らも独自にいろいろ情報を集めたり、抗議をしたり。しかし所詮子供です、そんなものには限界があり、実際に表立って動いたのは大人たち。でもそれがアダとなったのか……、祐樹の母親が交通事故で亡くなったんです。日英合意から国際被害者の団体の代表として動いていた人です」
少し遠回りに話しすぎたかと思いながら、
「それで動きが激化、した、とまではいかずに逆にみんな沈静化していった。自分も『暗殺』されるのではないか、と」
「それは」
急に高木さんが背中を向けたまま語りかけてきた。
「それは本当に暗殺だったのか?」
僕は少し顔を引いて、間を持って、
「はい」
それだけ言うと、そうか、と高木さんは言う。僕は内心首をかしげながら話を続ける。
「レアノアのことを話しますが、その事件で僕たちは悩みました。なにより、仲間の親が死んだことで全員疲れたんです。これだけいろいろやっても巨大な、まるで空のような組織、国というものは適わないのかと。その頃からです、初めにクリストファー、クリストが僕らはレアノアだと言い出したことは。語源はなんでもない、和美が以前英語の集合の意味『reunion』を間違ってローマ字読みしたことと、フランス系の彼がフランス語での『renoire』の読みを前者の最初をと後者の最初をくっつけただけ。「レアニオン」と「レノアール」をくっつけて、外人の僕らと君たちは一緒だということを彼なりに表したかったらしいです」
僕は静かに立ち上がり、マジックミラーの前まで歩き出す。横にいる高木さんは相変わらずタバコを吸っているだけで僕がくると目をそらした。
「誰もが最初はコードネームのように聞こえてしまうのですが、その後に本当に組織名として使われてしまう。最初は本当に友達同士での呼び名だったのですが。レアノアがそんな感じに組織化してしまったのは僕の彼女の彩夏が海洋調査で徹底的証拠を見つけてしまったことからです」
「なんだって?」
「なに?」
一つのバスとテノールがばっちりのタイミングで合う。何かやはり思い当たることがあるのか。
高木さんと梶原さんはなんだか気まずそうに顔を見合わせて咳払いをしてバスの高木さんが言う。
「お前、他のメンバーと付き合っていたのか?」
全然違うし……。
「それは違いますよ」
僕は苦笑しながら高木さんを見て言う。
「こういうことはあんまりいいたくないですが。彩夏と付き合いだしたのは事件前のことです」
ふーん……と高木さんが韜晦して、梶原さんは苦笑しながら続けて、と手で示した。
「えっと、レアノアの組織化の経緯ですが、大まかに言います。イギリスの事件で沈没した巡洋艦の一つ、『シェフィールド』から当時同じイギリス海軍が使っていた三五口径の榴弾跡が見つかったんです。シェフィールドは後衛の補給艦で、当時はなぜ沈んだのか不思議がられていましたが、この矛盾は誰が見ても明らか、です」
「つまり、あの事件はイギリスの自作自演、だと?」
梶原さんが言う。なんだか目を細め、悲しそうにしている。
「そうです。あれは実はオーストラリア軍に見せかけた自作自演にしようとしたもの、ですがしっての通り失敗。僕たちは国のくだらない思惑に巻き込まれたわけです。この事実を知った、一番反英心が強かった、クリストはイギリス海軍に潜入するため、名前を変え入隊、シルフィーと僕を除く全員がいってしまいました。もちろん学校にかよいながらですが。レアノアのバックについてるのはつまり、イギリス軍ですよ」
高木さんが理解できないという感じで眉を顰め、梶原さんが、
「オーストの独立を阻止する小さな組織のバックにイギリスが?」
僕は頷いて、
「復讐、のためでしょうね。利害が一致するとスパイのように従ってると見せかけていずれか裏切るつもりなんでしょう」
少しため息をつく。
「もちろん、そんな程度で今回のこの事件まできませんよ。当時、二〇〇六年五月二十日、海洋調査で自作自演だと発覚したが当然保身のために誰もそれを口外せずに闇に葬った。それに対して現地に事故調査員として入っていた、数人の自衛隊員によって何人かのイギリス将校が告発されて秘密裏に処理された。が、数日でその自衛隊員らは日本政府の要請で強制的に撤収されました」
固まっている二人を見て、
「今回の事件はレアノアは道具として使われたわけです。意図したのはバックのイギリスの『復讐』。高木さんと梶原さんもその自衛隊事故調査員のメンバーですね?」
「で、どう思う?」
目の前には長身の青年が長々とまるで自白するように話をしている。話しかけた女性、宮崎は目の前で記録をパソコンにとっている事務官三人をみる。
「さぁ。どうだろうな。音声からは嘘だとは判定でてないが、そんなの訓練次第でどうにでもなるだろうし」
横の若いような、大学生のような男性、武藤はそう返す。
「そうはいっても少し興味深いわね。内部のしかも上層しかしらないことをいってくるのはこっちにいるだろう、上の私達に対しての味方だという証明のつもりかしら」
そういう、武藤の隣りにパイプ椅子に座っている佐々木情報局局長。彼女らの目の前には取調室の前景が見える、つまりマジックミラーの向こう側、にいるということ。
佐々木の横にスーツを着た随分と背筋をピンとした四十代の男性が威厳をこめた声で言う。
「まぁ、そうだな。……どこかに泳がせるにもこちらで捜査員として縛り付けるのがいいだろう。反乱分子でもないようだしな」
「吉田一佐」
佐々木がとがめるように男性の名前を言う。男性は意外そうな顔して佐々木を見て、
「問題発言、っていうものですよ。仮にも海自の上層ならそういう考えをお持ちにならないほうがいいのでは」
そう言われ、吉田は憮然となってまだ話を続ける向こうの智之という少年を見る。
後は誰も発言しない。六台のパソコンがつくる淡い陰影とタイピングの音にさらされて全員が静かに話を聴く。