第二章 救われるもの 一
新筑波国際空港搭乗ターミナル。液状化現象で半分沈んでしまった新東京国際空港の代替として作られたもので、ここは国内二番目の国内外の人が行きかうゲートとなっていた。鬼怒川沿い、つくば学園都市沿いともあって外国の観光客が耐えない場所でもある。
その入国審査ゲート九番。今に他のその他大勢の人と同じく日本に入国しようとしている少年がいた。
長身で一七〇センチ後半。しかし顔はまだ幼く、実際の実年齢は一七歳といわれてもそう信じられる者いないだろう。たしかにその大人びた顔立ちには大学生のような雰囲気がある。髪は日本人特有の黒色に日本人の特有の黄色人種。季節にそった半ズボンにTシャツ、そしてアウトドア帽子にリュックとこれからハイキングにでも行くのかというような出で立ちだが。
対面する入国審査官にはっきりと答えていく。
「Are you the British? Is a hometown Manchester?」
(あなたはイギリス人? 出身はマンチェスターですか?)
彼の後ろに控えるまだ三十人以上の入国者を上目遣いでみてその二十代女性の審査官は少しため息をつきながら五つの書類にハンコを機械的に押していって、横のパスポートを確認する。
「Yes. My father was British third generation Japanese American, and I moved to Australia with the family by a relation of father's work at five years old」
(はい。私の父がイギリスの日系三世で、私が五歳の時に父の仕事の関係でオーストラリアに家族で移住しました。)
少年はまるで軍隊の上官に報告するような言い方で無表情で答える。審査官はその様子をみてふん、っと両眉をあげて笑い、
「Have you come from Richmond with that? A purpose of entry to Japan?」
(それでリッチモンドから来たんですね? 日本への入国目的は?)
「It's sightseeing. I have the friend who was studying abroad here and have come to play. I met by a club called rarenion at school」
(観光です。こちらに留学していた友人がいて遊びにきました。学校のレアノアというサークルで知り合ったんです。)
「reunion? Is it French?」
(『集合』? フランス語ですか?)
少し興味を持った風な審査官に少しはじめて眉顰め、表情らしいものをだした少年はいう。
「No. It's an ordinary club name」
(いえ。ただのサークル名です。)
そうですか、と審査官が呟き、パスポートにフライング気味に入国許可のハンコをおす。
「The length of stay?」
(滞在期間は?)
少年はにっこりしてリュックを少ししょいなおして答える。
「Three weeks」
(三週間です。)
審査官は少年の笑顔に答えるように笑顔になりパスポートをわたしながら言う。
「I see. A good vacation. Mr Tomoyuki. Please have the next person!」
(わかりました。よい休暇を。智之さん。次の人どうぞ!)
「ありがとう」
少したどただしい日本語で礼をいうと、パスポートをもって、さっそくとばかりに荷物受け取り口にむかう少年。そのあとをわき目でみて、女性審査官はほくそえみながら次の外国人の対応をしようとパソコンの画面を変えようとしていると、
「ん?」
女性審査官は疑問の声を上げる。目の前のアングロ系の外人を無視してパソコンの操作をする。先ほどの少年、智之という日系イギリス人の個人社会保障番号が通らない。なんどIDを通しても「不許可」の赤文字があがる。
……まさか。
横の電話をとると、その場からはなれまだ背中が見える少年のあとを早歩きで追いながら、
「こちら九番ゲートで問題発生。イギリスのオーストからきた一七歳少年が偽造パスポートで入国の疑いありです。警備員を四人まわしてください」
そう早口で言うと、もう目の前の少年の背中に叫ぶ。
「Stop! You stop immediately, and please raise your both hands!」
(止まりなさい! 君、すぐに止まって、両手を上げて!)
審査官は息を切らせながら追いついて、警棒をだす。少年、智之は言われたとおりにその場でピタリととまり、静かに両手をあげる。周りの観光客、搭乗客はなにごとかと周りを円状に十メートル以上離れて見ては、暫くしてやってきた警備員に押されている。
智之の後ろに女性審査官一人、左右にごつい警備員が先端が電気ショックを与える警防を持ったまま控え、正面に一人。
それを両手を上げながらしずかに一人一人確認していくように首をめぐらせ、そして最後に女性審査官に落ち着く。
「なにか問題でもありましたか?」
流暢な日本語。その質問に一瞬審査官は戸惑ったが、
「あなたに不法入国の疑いがあります。近年はオーストからの不法入国とテロがありますのでオーストからきたあなたにはこちらのオフィスに来ていただき重要な質問を受けていただきます」
智之の周囲の警備員が静かに近寄る。
「きちんと丁寧な対応は約束します。ですから抵抗はしないでく、」
「そりゃ無理だ」
そう智之がいた途端、女性審査官の右の警備員が二メートルほどふっとんでいた。智之のその突然の行動に全員がまだ残身している格好をみる。
右手を腰に、左手を肘をはって拳を顔につけて、両足は大きく開いている。そして今度は左の警備員に一足飛びで襲い掛かる。
まさに疾風。反応する時間がまるでない。
警備員はかろうじて警棒を振り下ろすが右手右足をだす体捌きでかわし、その警棒をもった手首を少しひねあげ、警棒を奪い、腕を取って自分の頭を一蹴させて後ろ向きになり反動で投げる。一回転した警備員に空中でつきをくらたわせたあとに、今度は正面の警備員には一瞬でけりがついた。
つかみ掛かると、明らかに柔道の天中落としで極めた。
そして女性審査官に向き直る。その時間まさに二十秒となかった。
呆然としている目の前の女性に智之は言う。
「悪いですね。捕まるわけにはいかないので」
「あ、あなたなんなの? なんで……」
ん? と智之が首を傾げて、ああ、納得したようにいった。
「最初のは小林拳、次に合気、そして次に柔道ですよ。あなた達が警備のプロなら、僕は格闘のプロフェッショナルです」
随分と見当違いな答えで、それだけいうと智之はしずかに歩いて縦断爆撃された後のように静まり返ったターミナルをリュックを揺すりながら走り去って人ごみ紛れていった。
「………」
あとにはまだ入国手続きを済ませていないいらだった外来人と沈黙と疑問符をいくつもつけた野次馬と女性審査官、そして一瞬でのされた三人の警備員だけが残された。
「ありゃなんのカンフーアクションだ?」
さらに見当はずれな感想を野次馬の一人が言う。
「梶原君は?」
白衣を着て、そしてデスクチェアにふんぞり返る、女性が言う。連日の激務と苦情処理で徹夜しているということが分かった。
「宮崎よう。俺が知るわけねぇだろう。それよりもその山のような報告書かたせ」
そう言ってそのオフィスの長、武藤がのたまる。
宮崎はふーんと天井を見ながら言って、
「大事にはならなきゃいいけどねぇ」
そういってかんでいたフーセンガムを膨らます。