少年に再就職⁉️
第三話
春の午後だった。
時計を見なくても分かる。十三時を少し回った頃。
予定していた昼休みは、結局ずれ込んだ。
静香は白衣のまま病院を出て、コンビニへ向かって歩いているところだった。
空腹はあるが、急ぐほどでもない。
こういう中途半端な時間帯は、珍しくなかった。
病院の前の通りで、足取りが自然と緩む。
前方に、中学生らしい少年と、その両親がいた。
制服の胸には花の飾り。
母親の手には花束。
父親は卒業証書の筒を持っている。
――卒業式帰り。
特別に騒ぐでもなく、
ただ、家に向かって歩いているだけの光景。
それなのに、胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
(……今年、あの子も)
考えかけて、静香は思考を止める。
息子は、中学を卒業する年だった。
生後間もない頃の事故。
それ以来、一度も目を覚さない。
分かっている。
期待してはいけないことも、
日常が止まったままなのは自分だけだということも。
それでも春だけは、どうしても――
こういう場面に、心を持っていかれる。
静香は小さく息を吐き、視線を逸らした。
感情を切り替える。
昼食を買って、仕事に戻る。
それだけだ。
歩き出した先、通りの向こうに斎場が見えた。
人の出入りはない。
すでに葬儀は終わっているらしい。
静かな建物だけが、そこに残っている。
入口脇の案内板。
白地に、黒い文字。
「朝倉――」
名字だけが、視界に引っかかる。
理由は分からない。
ただ、一瞬だけ、胸の奥がざわついた。
(……気のせいね)
静香はそう心の中で片付け、
斎場から視線を外した。
コンビニは、もうすぐそこだった。
—————
葬儀は、午前十一時からだった。
坂本翔太は、斎場の前で一度だけ深く息を吐き、扉を押した。
昨夜は通夜だった。
その前には警察が入り、検分があった。
事件として処理され、説明は終わり、今はもう——
ただの「葬式」だ。
祭壇の前には、遺影が飾られている。
つい数日前まで、カウンター越しに顔を合わせていた男。
軽口を叩き、酒を飲み、愚痴を言って帰っていった友。
それが、今日は写真の中にいる。
「……マジかよ」
心の中で、そう呟くしかなかった。
泣き崩れるほどの実感は、まだない。
現実感が、妙に薄い。
参列者は、それなりに集まっていた。
仕事関係の人間。
顔見知りかどうか、判断に迷う程度の距離感の人たち。
その中に、翔太は見慣れない女性を見つけた。
落ち着いたスーツ姿。
背筋が伸びていて、無駄な動きがない。
誰かと話すわけでもなく、かといって浮いているわけでもない。
ただ、そこにいる。
(……警察関係者か?)
そう思ったが、答えは出なかった。
坊主の読経が始まり、時間が流れる。
式は、滞りなく進んでいく。
——こんなもんなんだな。
人が死んでも、世界は止まらない。
日々の続きが、淡々と。
翔太は、焼き鳥を返す手の感覚を思い出していた。
グラスを置く音。
「いつもの」と言われたときの顔。
「……お前、いねぇと困るんだけどな」
誰にも聞こえない声で、そう言った。
—————
管理者は、斎場を出てから腕時計を見た。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
予定外。
完全に想定外。
この男は、本来ここで死ぬはずじゃなかった。
帳尻は合う。帳尻は合うが——
「コスト増、っと」
誰に向けるでもなく、ぼやく。
面白そう?
別に。
期待?
してない。
ただ、使えるかどうか。
それを検討するだけだ。
時間はかかる。
確実に。
「今日はもう無理ね……」
眠い。
早く帰って、寝たい。
そのとき、意識の端に感覚が走った。
「……あ」
ほんの一瞬。
だが、確かに。
「案外時間かかったわね」
転生処理、完了。
女はそれ以上、何も言わなかった。
—————
音が、ない。
いや——
あったはずの音が、遠い。
身体は、動かない。
指一本、動かせない。
それなのに、意識だけは妙に冴えていた。
——ああ、そうか。
頭の奥に、あの女の声が響く。
『慌てないで』
『まだ動かせないだけ』
軽い。
相変わらず、軽い。
胸が、苦しい。
勝手に空気が入ってくる。
心臓の音が、近い。
(……新しい別の人生、か。)
笑う余裕はないが、妙に納得はしていた。
何かが、始まった。
確実に。
世界は、まだぼんやりしている。
それでも——
朝倉大河の人生は、確かに終わった。
そして。
別の人生が、静かに始まっていく。




