32. 新たな一歩
「ねえ、聞いてよ。スクリニク夫妻がいなくなったことでまたトゥインクル社とのスポンサー契約が決まりそうなんだよね。プラットフォーム"Y"のチャンネルも復活したから、収入一桁上がるのも夢じゃないかも!」
ヒロミはウキウキしている。
早くも「何を買おうか。あ、それより前にもっといいところに引っ越しもしなくちゃね。黒岩教授のいる、高輪なんかどうだろう。」などと、捕らぬ狸の皮算用を始める始末だ。
高輪のゲーテッドコミュニティは、借りるにしろ、買うにしろ、住居費が高いだけではなく、審査も必要だ。
住民も新興富裕層より由緒ある家の人たちの方が圧倒的に多い。そんな簡単に入ることができるのだろうか。
だが肝心なディアナは、「地方のスポンサーたちになってから自由に活動できるから楽しい。一層のこと、長野か新潟に引っ越したい。」などと言っていて、秩父の山田さんや古風美女VRアイドルの星乃にいろいろ質問している。
ヒロミとはなかなか意見が会いそうにもない。
そんな二人に挟まれてシルバーの出した折衷案は、「リスク分散のためにスポンサー契約はトゥインクル社と地方企業を半々にしたうえで、住居は首都圏各所及び地方にアクセスの便が良い台東区のゲーテッドコミュニティにする。」というものだった。
見事である。
グレーゾーンと契約のあるアザミは、大学で博士課程の研究が残っているイラさんと共に、川崎に残ることを決めた。もっとも、ゲーテッドコミュニティは出て普通の住宅地である新百合ヶ丘に移る予定だが。
俺はまた、立石や丸山と一緒に、迷路のような住居へ戻った。
倉庫アパートは復旧したのでそちらに戻ってもよかったが、また同じことが起きたらたまったものではないし、迷路住居の方が近々始まる学校にも近い。
だが仕事へ行くのは相変わらず不便である。
「叔父さんもたまにはこっちに帰ってきたら?社会人入学を受け付けている学校なら相模原にもあるよ。」
ムサシ君からありがたい申し出があったが、希望する専攻があるのは川崎なので、辞退させていただいた。
最近では時々、キャンディさんの運送業を手伝っていたりもする。店の外でのキャンディさんは、本名をホセ・ガブリエル・ゴンザレスといい、昔ハンサムであったろう面影を残す気のいいおっちゃんだが、俺といるとたまにオカマ口調になってしまう。
「二人っきりで長い時間過ごしていると、何か起きないの?」
イラさんからはたまにワクワクを隠し切れないメールが届くが、残念ながら彼女が期待するようなことは何も起こらない。
今日なんかはディアナの引っ越し荷物を上野桜木にあるディアナの新居まで運んだところだ。当然、荷積みも荷下ろしも、荷主、つまりヒロミとディアナが立ち会っているし、何なら移動中もシルバーが一緒だ。
そして荷下ろしの段階でひと悶着あった。
上野桜木のゲーテッドコミュニティは武蔵小杉のそれとは違い、敷地を広めにとった戸建て住宅が何軒か立ち並んでいるだけの、小ぢんまりとしたものである。ちなみに黒岩教授が住む高輪のコミュニティも似たようなものである。
商業施設もおしゃれな店舗兼カフェが一軒あるだけなので、住民もコミュニティの外へ出かける用事が多い。
そんなわけで俺たちが荷物を届けるまでの間、暇を持て余したヒロミとディアナが近くの谷中霊園まで散歩に出た時に、不審者に出会ってしまった。
幸い、「引越しの手伝い」という名目で冷やかしに来ていたホワイトフォックスが駆け付け、事なきを得たが。
「もう私、日本に定住しちゃおうかな。」
今まではバウンティハンターという仕事柄、特に定住先を決めず、世界中を転々としていたが、しばらく腰を落ち着けて普通の仕事をする気になったらしい。
元々、優秀なデザイナーベビーなので、すぐに仕事は見つかるだろう。
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「ねえ、最近は全然来てくれなかったじゃん。」
この日は久しぶりにアゲハの店へ行き、一番高いコースを選んで、ずっとおしゃべりに費やした。
後悔はしていない。本当だ。
ひたすら出されたお茶ばかり飲んでおしゃべりしていた。
「ごめん、忙しくて。」
「本当?別のお店に浮気してない?」
「してない、してない。本当に忙しかったんだよ。この前、川崎で大捕り物があったでしょ。」
「ひょっとして横井さん、捕まっていたの?」
飲んでいたお茶を吹きそうになった。どうしてそういう考えになる。
「違う違う。あの大捕り物のおかげで、一見関係ないところで助かった人がいたでしょ?VRアイドルのディアナっていう子。」
「ふうん。実は最近のアイドルとか全然わかんないんだよね。」
「まあ俺も最近まで知らなかったけど。」
俺は年齢が年齢だけに、最近の芸能関係に疎かったので知らなかったのだが、アゲハもおそらく同年代なのだろう。
もっとも今時は若い子でも、自分の関心外のことは知らなかったりするが。
「そのディアナっていう子の実の親が、事件にかかわっていた大手企業の幹部で、養親と親権を争っていたんだ。実の親はかなりひどい毒親だったみたいでね。」
「詳しいんだね。」
「詳しいも何も、俺、ディアナと知り合いで・・・。」
「はいはい。」
アザミは軽く流す。
信じていないな。
知り合いどころか一緒に冒険していた仲なのだが。
まあ、無理もない。俺もここ一年くらいで起こったことに、まったく現実感が沸かない。
「それにしても横井さん。おでんの屋台にも来ていないみたいじゃないの。親父さん、心配していたよ。」
「ああ、アパートが川の増水で浸水して、引っ越したからな。お店が終わったら久しぶりに行ってみるよ。」
お店を出ようとして、「そういえばなんで俺の行きつけのおでん屋台を知っているんだ?」と疑問に思い、引き返したが、アゲハはすでに退勤していた。
不夜城のビルを出ると、とっぷり日が暮れていた。この時間なら開店しているだろう、屋台へ向かう。
かつて住んでいたアパートのそばまで来ると、おでんの良いにおいが漂ってきた。
「らっしゃい!」
暖簾をくぐると威勢のいい声に迎えられ、俺の顔を見た屋台のおっちゃんは「おう、懐かしい顔だな。」といい、忙しそうに手を動かしていた。
すでに先客が一人いて、はんぺんやちくわを食べている。長い髪を茶色に染めた女の子だ。
振り返ると、ニコッと笑う。
「あっ。」
ここで俺は気が付いた。この女の子がアゲハの「中の人」だということを。
「なんか、プライベートで会うの、不思議だね。」
どぎまぎしながら隣に立っておでんのネタをいくつか注文する。
「横井さん、若返ってからは拡張現実空間でちっとも自分を加工しないんだもん。すぐわかったよ。」
若返る前は見た目だけでも若くいたいと思って加工していたのだが、若返ってからは素のままで「接客」を受けていた。考えてみたら無防備極まりない。
「実は私も若返ったんだけど、拡張現実空間では分かったかな?見た目は変えてなくても、やっぱりわかっちゃう人は分かっちゃう見たいね。」
「そうなのか。全然わからなかったよ。」
そんなことを言いながらも、振り返ってみれば俺は若返った後は拡張現実空間での外見加工を止めただけではなく、利用頻度も利用時間も増えたし、「接客」も色々試していたし、あからさまだ。
ここまでバレバレなのも恥ずかしい。
「私ね、春から学校に入りなおすことにしたんだ。だからお店は卒業。」
「そうなのか。俺も春から学校だから、同じ学校になるかもな。」
とは言っても同じ学校になったら気まずい。でも本当に一緒の学校になりたい気持ちもある。
何とも複雑な気持ちだ。
学校が始まるのに合わせて夜の仕事を辞めるということは、おそらく俺と同じで、高校からやり直すのだろう。
何しろ今の時代は昔とはカリキュラムが全く違うので、俺たち世代の学びなおしは、余程優秀でなければ高校の単価受講からやり直しなのである。
おでん屋台を出た俺たちは、「じゃあ。」「また会えるといいね。」と、それぞれ別の方向へ歩き出した。
歩き出した方向は別々でも、そのうち、巡り巡って再会できるのだろうか。それともそれっきりになってしまうのだろうか。
まだまだ寒い冬の空の下を歩きながら、そんなふうに俺は思った。




