第四十三話「反撃の狼煙」
翌日、王宮の空気は張り詰めていた。表面上は何も変わらぬように見えるが、裏では殿下を狙う者たちの気配が漂っている。
私たちは早速、囮作戦を実行に移すことにした。
「王太子殿下が王宮を離れ、数日間、別邸で過ごすことになる」
この情報を、あえて一部の貴族や廷臣たちに流した。もちろん、殿下は王宮に留まり、万全の警備体制のもとで動向を見守る。
「さて、これにどう反応するか……」
ルインが静かに呟く。彼の表情は冷静そのものだが、目の奥には鋭い光が宿っていた。
「敵が本格的に動き出すなら、今夜か明日あたりだろうな」
アレクセイも腕を組みながら言う。
「もし相手が囮情報を信じたなら、別邸周辺で動きがあるはずね」
私は地図を確認しながら言った。
「こちらも偽装の護衛隊を配置して、動きを探るわ」
「わかりました。そちらには私の部下を潜ませておきます」
ルインがそう言い、慎重に指示を出す。
「殿下は、王宮から一歩も出ないようお願いします」
「わかっている」
殿下は頷くものの、少し悔しそうな表情をしていた。
「……本当は、俺自身が囮になったほうが効果的なんだろうが」
「「「それは絶対にダメです」」」
私とルイン、そしてアレクセイがほぼ同時に言い放つと、殿下はわずかに苦笑した。
「……そこまで言われると、逆に情けないな」
「何言ってるのよ。殿下は王太子、そしてこの国の未来を担うお方なのよ? ここで無茶をして倒れられたら、全てが水の泡だわ」
私が真剣に言うと、殿下は息をつき、ゆっくりと頷いた。
「わかった。任せる」
「ええ、しっかり捕まえてみせるわ」
私は力強く口にした。
――そして、その夜。
別邸周辺で、不審な動きが確認された。
「予想通りね」
私は闇に紛れながら、アレクセイとともに別邸の屋根の上で待機していた。
「どうやら、連中は本気で殿下がここにいると思ってるみたいだな」
アレクセイが小さく笑う。
私たちの仕掛けた罠に、まんまとかかったというわけだ。
「よし……動くわよ」
私は剣を抜き、静かに夜の帳へと溶け込んでいった。
――今度はこちらが、敵を追い詰める番だ。
***
夜の闇に紛れ、不審な影が別邸の敷地内に忍び込むのを確認した。
「……三人、いや、五人か」
アレクセイが低く呟く。私は屋根の上から敵の動きを見下ろしながら、小さく頷いた。
「このまま見送るか?」
アレクセイが問う。囮作戦の目的は、敵の正体を探ることだった。だが、ここで一網打尽にできるなら、それに越したことはない。
「いや、まだよ。もう少し様子を見ましょう」
私は慎重に判断する。相手の目的がただの偵察なのか、それとも殿下を襲撃するつもりなのか、見極めなければならない。
すると、不審者の一人が何かを手に持ち、別邸の窓に近づいた。
「……油?」
次の瞬間、私の背筋が凍る。
「火を放つ気ね!」
私がそう叫ぶのと同時に、アレクセイが素早く動いた。
「やらせるかよ!」
彼は屋根から飛び降り、不審者の腕を掴む。そのまま勢いよく地面に押し倒した。
「ぐっ……!?」
敵は悲鳴を上げる間もなく、アレクセイに押さえ込まれる。
「動くなよ、下手すりゃ骨が折れるぜ?」
アレクセイが不敵に笑いながら囁くと、男は抵抗をやめた。
しかし、残る四人が一斉に抜剣し、こちらへ向かってくる。
「くっ……!」
私は剣を抜き、素早く構えた。
「お嬢さん、無理はするなよ?」
「言われなくてもわかってるわ!」
敵が一人、私に向かって切りかかる。私は身を翻し、紙一重で避けると、逆に相手の剣を弾いた。
「ちっ……!」
敵が怯んだ隙に、私は柄で相手の手首を打つ。剣が地面に落ちる音が響いた。
「こいつ……!」
残る三人がさらに迫るが、背後から数人の影が飛び込んできた。
「お待たせしました」
ルインの静かな声が響く。彼の配下たちが素早く敵を包囲し、あっという間に動きを封じた。
「もう逃げられませんよ」
ルインが淡々と言うと、敵の一人が舌打ちをした。
「……チッ」
「さて、誰に命令されたのか、ゆっくり聞かせてもらおうかしら?」
私は剣を収め、敵を見下ろしながら微笑んだ。
――囮作戦は成功。次は、彼らの背後にいる黒幕を暴く番だ。
***
「さて、どういうつもりかしら?」
私は腕を組み、捕らえた敵を見下ろした。屋敷の一室に移された五人の男たちは、縄でしっかりと縛られ、ルインの部下たちに囲まれている。
先ほどの戦闘で軽傷を負った者もいるが、命に別状はない。問題は、彼らがどこまで口を割るか――それだけだ。
「話すつもりはない、って顔してるな」
アレクセイが椅子に腰掛け、退屈そうに言った。
「まあ、拷問は趣味じゃないが……」
彼はわざと剣の柄を弄びながら、不敵な笑みを浮かべる。
「黙ってるなら、少し荒っぽくするしかないか?」
敵の一人がピクリと肩を震わせる。私はそれを見逃さなかった。
「それとも、あなたたちはただの捨て駒?」
わざと冷たい声で言うと、もう一人がわずかに視線をそらした。
「……なるほど。あなたたちは雇われた傭兵かしら?」
「それなら、主を庇う必要はないでしょう? 何も話さなければ、ここで処刑されるだけですよ」
ルインが静かに尋ねる。
その言葉に、一人が小さく息を呑んだ。
「……俺たちにそんな権限はない」
「誰に命じられたの?」
私が詰め寄ると、男は口を一文字に結ぶ。しかし、その目には迷いが浮かんでいた。
「答えないつもり? なら、こうしましょうか」
私は微笑みながら、机の上に置いてあった短剣を手に取った。
「あなたの仲間が口を割る前に、自分で話したほうがいいと思うけど?」
「……っ!」
男は険しい表情を浮かべるが、ついに観念したように唇を開いた。
「……オーウェン伯爵だ」
その名前に、部屋の空気が一瞬凍りついた。
「オーウェン伯爵……?」
殿下が険しい表情で呟く。
「まさか、あの男がグスタフ王子派と繋がっていたとはな」
アレクセイが呆れたように言う。
「やれやれ、エルフェルトの貴族がここまで絡んでくるとは思わなかったぜ」
オーウェン伯爵はエルフェルト王国の貴族の一人。表向きは中立を保っていたが、裏で何をしていたのかは知られていなかった。
「つまり、グスタフ王子派はエルフェルトの貴族を通じて動いていた、ということね」
「厄介ですね」
ルインが冷静に分析する。
「オーウェン伯爵が背後にいるのなら、これは単なる襲撃では終わりません。もっと大きな陰謀が動いている可能性があります」
「……これはもう、王宮に報告しないとまずいわね」
私が呟くと、殿下は深く頷いた。
「いや、それだけじゃ足りない。もしオーウェン伯爵がここまで手を伸ばしているなら……」
彼はそこで言葉を切り、ルインとアレクセイを見た。
「オーウェン伯爵に"こちらが動いたことを悟らせない"ように、情報を操作する必要がある」
「なるほどな。偽の情報を流して、奴らの出方を探るってことか」
アレクセイが楽しそうに笑う。
「だったら、俺がひと芝居打ってやるよ」
ルインも静かに頷く。
「では、情報戦に移行しましょう。すぐに手を打ちます」
私は殿下の表情を見つめた。
――ここからが、本当の戦い。
今度はただ守るだけではなく、こちらから敵を追い詰めていく番だった。




