第四十二話「囮作戦開始」
「では、殿下を囮にした作戦を決行しましょう」
ルインがそう宣言すると、部屋の中に緊張が走る。
「とはいえ、あくまで安全を確保した上での話です。殿下に危険が及ぶような状況は作りません」
「具体的には、どういう作戦を?」
私が尋ねると、ルインは冷静な口調で説明を始めた。
「まず、殿下が単独で動くという情報を意図的に流します。その際、護衛を最低限に減らしたように見せかけ、隙を作る」
「でも、実際には?」
「もちろん、裏では精鋭の護衛を配置し、刺客が現れたら即座に確保します」
「なるほど……」
私は考え込む。この作戦の要は、相手に「今なら王太子を狙える」と思わせることだ。
「問題は、どこでやるか、ですね」
アレクセイが腕を組みながら言った。
「宮殿の中だと相手も警戒するだろうし、かといってあまりに人気のない場所だと護衛の配置が難しい」
「適した場所を選ばないとね……」
私がそう言うと、ルインが頷いた。
「ちょうどいい場所があります。城の庭園の一角に、小さな離れがありますよね?」
「ああ、あそこか」
殿下が思い当たったように言う。
「普段はあまり使われていない場所だが……確かに、人目につきにくい」
「殿下が『気分転換に散歩に出かける』という情報を流せば、相手が動く可能性が高いですね」
「わざわざ囮にならなくても、もっと別の方法はないんですか?」
エミリナが心配そうに殿下を見つめる。
「もちろん、殿下に危険は及ばせません」
ルインは冷静に答えた。
「離れには見えない場所に護衛を配置し、刺客が近づいた瞬間に確保します。殿下には最低限の演技をしていただくだけです」
「演技ね……」
殿下はため息をつく。
「まあ、俺がぼんやり庭を歩けばいいんだな?」
「ええ、適当にため息のひとつでもついていただければ、それらしく見えるでしょう」
「おい、俺はそんなに弱々しく見えるのか?」
「さあ?」
ルインはさらりと流した。殿下がむっとした顔をするが、エミリナが不安そうにしているのを見て、口を閉ざす。
「では、作戦を決行するのは明日ですね」
ルインが話をまとめると、全員が緊張した面持ちで頷いた。
「……わかった。やるからには、しっかり捕えろよ」
「承知しました」
こうして、王太子を囮にした作戦が始動することとなった。
***
翌日、作戦決行。
昼下がりの庭園。柔らかな風が吹き抜け、草花が静かに揺れている。
殿下は予定通り、気怠そうな様子で歩いていた。時折ため息をつき、遠くを眺める。まるで何か悩み事を抱えているかのような雰囲気だ。
「……本当にそれらしく見えるわね」
私は少し離れた茂みに隠れながら、殿下の様子を観察していた。ルインやアレクセイも別々の場所に潜み、護衛たちも周囲に潜伏している。
今のところ、怪しい動きはない。
(……本当に刺客は現れるのかしら?)
そう思ったその瞬間、遠くの木々の陰から、黒ずくめの人物が現れた。
「来た……!」
私は息をのむ。
その人物は慎重に周囲を伺いながら、殿下へと近づいていく。片手には、細い短剣が握られていた。
(やっぱり……!)
私は緊張しながら身構え、腰に差した剣の柄を強く握る。だが、慌てて動くわけにはいかない。護衛たちもまだ動かない。相手がどこまで近づくかを見極めているのだ。
刺客はさらに歩みを進め、殿下との距離を縮める。
(あと数歩……!)
その時――
「今だ!」
ルインの声が響くと同時に、護衛たちが一斉に動いた。
「なっ――!?」
刺客は驚いたように身を翻そうとしたが、既に遅い。複数の護衛に取り押さえられ、地面に押し倒された。
「くそっ……!」
「大人しくしろ」
ルインが冷ややかに言い放つ。刺客は必死に抵抗しようとするが、完全に動きを封じられていた。
「――ふぅ、これで一安心か」
アレクセイが茂みから出てきながら、肩をすくめる。
「……まったく、危ないところだったな」
殿下も安堵のため息をついた。
私は刺客をじっと見つめる。
(さて……あなたは、いったい誰の差し金なのかしら?)
次なる課題は、この刺客の背後にいる黒幕を暴くことだ。
「――さて……まずは、お前の正体を聞かせてもらおうか」
ルインが静かに告げると、取り押さえられた刺客は苦々しい表情を浮かべた。
「くっ……こんなはずじゃ……」
護衛に押さえつけられたまま、刺客は悔しそうに唇を噛む。
「誰の指示で動いた?」
アレクセイがゆっくりと近づき、冷ややかな目で刺客を見下ろした。
「答える気はないか?」
「……」
刺客は唇を噛んだまま、視線を逸らす。その沈黙が答えだった。
「まあ、そう簡単には吐かないですよね」
ルインが溜息をつきながら、殿下の方を振り返る。
「殿下、この男を宮廷の尋問官に引き渡しましょう。拷問は避けられませんが、それなりに有力な情報は引き出せるはずです」
「……それしかないか」
殿下は複雑そうな表情を見せながらも頷いた。
「だが、下手に拷問しても嘘の証言をする可能性もある。時間をかけて慎重に調べるべきだろう」
「ええ、そうですね」
ルインが軽く頷いた。
「では、すぐに移送を――」
「待って」
私は考えを巡らせながら、刺客をじっと見つめる。
「……何か?」
ルインが私に視線を向ける。
「この男、あまり鍛えられていないわ。プロの暗殺者にしては、動きが鈍かった」
言いながら、私は刺客の腕を見た。しなやかではあるが、筋肉が薄い。とても訓練を積んだ者には見えない。
「確かに……」
ルインも同じく観察しながら、静かに呟く。
「じゃあ、こいつはただの使い捨てか?」
アレクセイが軽く眉を上げた。
「グスタフ王子派の本命じゃない可能性があるな」
私も頷く。
「もしかすると、私たちの反応を確かめるための"偵察"かもしれないわ」
「偵察、ね……」
殿下が難しそうに考え込む。
「つまり、もっと本格的な暗殺者が控えているってことか?」
「可能性はあるわ」
私の言葉に、殿下は唇を引き結んだ。
「なら、これはまだ始まりに過ぎないってことだな」
「……殿下」
私は殿下の表情を見つめる。
囮作戦は成功した。だが、これは単なる"序章"にすぎないかもしれない。
「もう少し情報を集める必要があるわね」
「ええ。そのためにも、この男をうまく利用しましょう」
ルインが冷静に告げる。
「尋問で情報を引き出すだけでなく、逆にこちらから"偽の情報"を流すこともできます」
「なるほどな……」
アレクセイが口元に笑みを浮かべた。
「例えば、『王太子殿下が王宮を離れ、別の場所へ滞在する予定だ』なんて話を意図的に広めるのも手だな」
「相手がそれを信じて本格的な手を打ってくれば、次の動きが見えてくるかもしれません」
ルインの言葉に、私は小さく息を吐く。
「……殿下、本当に危ない橋を渡ることになるわよ」
「もう覚悟は決めた」
殿下は力強く言った。
「俺はこのまま、王太子としての責務を果たす。それに――」
彼は私をまっすぐに見つめる。
「お前たちがいる。だから、大丈夫だ」
その言葉に、私は少し胸が熱くなった。
(この人は、ちゃんと前を向いている)
私が彼を支えるべきかどうか迷う必要なんてなかった。
「じゃあ、決まりね」
私は微笑み、剣の柄に手をかけた。
「次は、こちらが仕掛ける番よ」




