第四十一話「狙われた王太子」
殿下が覚悟を決めたようにそう言った直後、ルインが静かに口を開いた。
「となると、殿下は標的になり得る、ということですね」
その言葉に、部屋の空気がさらに張り詰める。
「……俺が?」
殿下が目を瞬かせると、アレクセイが苦笑した。
「そりゃそうだろ。もしグスタフ王子派が"王太子殿下がエルフェルトの王位継承問題に関与する可能性がある"って噂を流したら、国内でも国外でも厄介なことになるぜ」
「でも、それはただの憶測よね?」
私が疑問を口にすると、アレクセイは首を横に振る。
「噂ってのはな、実際の事実よりも"広まる速さ"が重要なんだよ。特に今みたいに、各国の情勢が不安定な時期はな」
確かに、王太子殿下の立場がエルフェルト王国の王位継承問題に絡むという話が広まれば、国内でも不信感を抱く貴族が現れるかもしれない。
「……つまり、俺の立場を利用しようとしてるのか?」
殿下が苦々しく言うと、ルインが小さく頷いた。
「可能性は高いですね。特に、グスタフ王子派にとっては、殿下が"交渉のカード"になるかもしれません」
その瞬間、殿下の表情が険しくなる。
「俺を、交渉のカードに……?」
「例えば、"エルフェルト王国と王太子殿下は婚姻同盟を結ぶ約束があった"なんて話が持ち上がったらどうなるか」
アレクセイが淡々と言う。
「この国の貴族たちの中には、エルフェルトとの同盟を望む者もいるだろう。そうなれば、殿下をその方向へ"誘導"する動きが出てもおかしくない」
「そんな話、馬鹿げてる!」
殿下が拳を握る。
「エルフェルトの王位継承問題に俺を巻き込むなんて、そんなことを許すつもりはない」
「とはいえ、相手がそう仕向けてくるなら、対策を講じる必要がありますね」
ルインが冷静に言う。
私はふと、ある可能性を思い浮かべた。
「……待って、殿下が標的になるのなら、直接危害を加えられる可能性もあるんじゃないかしら?」
そう言った途端、部屋の空気がさらに張り詰めた。
「……暗殺、か?」
殿下が低い声で呟くと、ルインが鋭く頷く。
「その可能性は否定できません。グスタフ王子派が殿下を利用できないと判断した場合、次の手として"排除"することも考えられる」
「そんな……!」
エミリナが不安そうに殿下を見つめる。
「これは冗談では済まされません。殿下、お一人での行動は控えてください」
エミリナの声音は静かだが、決して揺るがない強さがあった。
「殿下が襲われたら、国の安定が揺らぐ。相手はそれを狙っている可能性もあるわね」
私は殿下の隣に立ち、真剣に言った。
「だから、気をつけて」
「……わかった」
殿下は小さく頷く。
アレクセイはそんな私たちのやり取りを見て、ふっと笑った。
「ま、俺の滞在中は何かあればすぐ知らせろよ。エルフェルトの事情は俺の方が詳しいからな」
「……頼む」
殿下が短くそう言った。
――王太子殿下が標的にされるかもしれない。
その可能性を考えるだけで、私の胸はざわつく。
もし、何かが起きたら。
――私は、殿下を守れるのだろうか?
そんな不安が、心の奥に静かに積もっていくのを感じた。
***
「殿下の護衛体制を見直すべきですね」
ルインがそう提案すると、殿下は少し眉を寄せた。
「護衛なら今もつけてるだろ?」
「確かに、殿下には王宮直属の近衛がついています。しかし、暗殺を企てる者がいるとすれば、そちらの動きを見抜いた上で計画を立てるでしょう」
「つまり、今の護衛では不十分だと?」
殿下の声には苛立ちが滲む。自身が狙われるという事実に対する憤りと、対策が必要になる煩わしさが入り混じっているのかもしれない。
「簡単に言えば、護衛の強化と、不測の事態に備えた別の対策を講じるべきだということです」
ルインは淡々と言う。
「例えば、殿下の動きを予測されにくくするため、日々の行動を不規則にする、あるいは影武者を用意する、護衛の配置を変えるなど、方法はいくつかあります」
「影武者か……」
殿下が腕を組む。明らかに気が進まない様子だ。
「それに、暗殺の危険があるのなら、いっそ公の場に出る機会を減らした方がいいかもしれません」
私がそう言うと、殿下は首を横に振った。
「それはできない。外交のために動く以上、俺が隠れるわけにはいかない」
「しかし――」
「むしろ、堂々としている方がいい」
殿下は真っ直ぐに私を見た。
「俺が恐れて隠れれば、それこそ相手の思う壺だ。王太子としての威厳を示しつつ、警戒を強めるのが最善だろう」
「……なるほど」
アレクセイが口元を指でなぞりながら頷く。
「確かに、王太子殿下が臆してるなんて噂が広まったら、それこそグスタフ王子派にいいように利用されるかもな」
「なら、必要なのは『堂々としつつ、慎重に動くこと』ですね」
ルインが淡々とまとめる。
「護衛は増やします。加えて、殿下の周囲の人間も警戒が必要です」
「周囲の人間……?」
殿下が首を傾げると、ルインは冷静に言った。
「殿下に直接危害を加えるだけが暗殺ではありません。毒や、事故に見せかけた方法も考えられます」
「……!」
私は思わず息をのんだ。
「例えば、食事や飲み物に毒を盛られる可能性、馬車の車輪に細工される可能性、殿下の寝室に刺客が忍び込む可能性――どれも十分にあり得ます」
ルインの冷静な説明に、殿下は険しい表情になる。
「つまり、俺の行動だけじゃなく、食事も、移動も、すべて疑えと?」
「そういうことです」
「……なんとも面倒だな」
殿下がため息をつく。
「ですが、殿下の命が狙われている以上、当然の措置です」
ルインは一歩も引かない。アレクセイも腕を組んで同意するように頷いた。
「王族ってのは、こういう時に大変だな。まあ、俺もエルフェルトに戻れば他人事じゃないけどな」
「貴族も似たようなものよ」
私が呆れたように言うと、アレクセイは苦笑した。
「ま、確かにな。お前も結構狙われる立場だもんな」
「……そういうことをさらっと言わないでちょうだい」
エミリナが不安そうに私を見ているのがわかった。私の立場的にも、危険がないとは言い切れない。
「となると、護衛の増員と、殿下の身辺管理の徹底、そして――」
私は考えながら言葉を紡ぐ。
「犯人を探る必要があるわね」
「……なるほど」
ルインが頷く。
「狙われることが確定しているなら、むしろ罠を張るのも手ですね」
「罠……?」
殿下が眉を寄せる。
「暗殺を企てる者がいるなら、こちらから泳がせて捕らえることもできるでしょう」
「つまり、罠を仕掛けて、相手を誘き寄せるってことか」
アレクセイが面白そうに口元を歪めた。
「そっちの方が、俺としても楽しめそうだな」
「楽しむことじゃないわよ」
私は呆れたように言ったが、正直、相手の手の内を暴くという考えには賛成だった。
「となると、どんな罠を仕掛ける?」
「そうですね……」
ルインが思案しながら答えた。
「例えば、殿下が一人で出向く予定の場所をあえて作り、そこに刺客が現れるか試す、というのはどうでしょう?」
「……危険すぎるな」
殿下が苦々しげに言う。
「もちろん、ただの囮ではなく、周囲に護衛を隠れて配置し、確実に捕える準備を整えた上で、です」
「ふむ……」
殿下はしばらく黙考していたが、やがて覚悟を決めたように頷いた。
「わかった。俺を標的にするなら、逆に相手を引きずり出す」
その瞳には、王太子としての強い意志が宿っていた。




