第三十九話「アレクセイの推測」
「ふーん、なるほどね」
穏やかな声が響いた。 振り返ると、書庫の扉の前にアレクセイが立っていた。
「アレクセイ……?」
私は目を見開く。
「お前もこの記録を知っていたのか?」
殿下が警戒したように問う。
「さあね。俺が知っていたかどうかより、"誰が"この記録を必要としているのかのほうが重要じゃないか?」
アレクセイは部屋に入り、ルインの隣に立った。 ルインも特に驚いた様子はなく、静かにアレクセイを見ている。
「さっきの話を聞いていたが……これが本当なら、なかなか面白いことになるな」
アレクセイは記録の表紙を指で弾きながら言う。
「エルフェルト王国の歴史に、そんな"消された婚約"があったとはね」
「アレクセイ様、グスタフ王子派がこの記録を求める理由について、何か心当たりはございますか?」
エミリナが穏やかに尋ねる。
「んー……まあ、いくつか考えられるな」
アレクセイは肩をすくめた。
「まず、この記録が明るみに出れば、俺たちの国の外交政策に影響を与える可能性がある。昔の王家が結んだ"約束"が反故にされたとすれば、それを利用して現在の政権を揺さぶることもできる」
「つまり、現国王派に対する牽制材料として?」
「その通り」
アレクセイは指を立ててみせた。
「それに……俺の兄貴がこの記録のことを知っているかどうかはわからないが、もしグスタフ王子側が先に手に入れたら、厄介なことになる」
「どんな厄介ごとだ?」
殿下が眉をひそめる。
「例えば、"お前たちの国が約束を反故にしたせいで、俺たちは損をした"とか、"この条約が本来の形で実行されていたら、エルフェルトの未来は違っていた"とか、適当に言いがかりをつけてくるかもしれない」
「言いがかり……」
「だが、外交とはそういうものさ」
アレクセイは軽く笑った。
「国同士の関係なんて、紙切れ一枚で変わることもある。特に、"約束された未来"が潰されたとなれば、それを理由に勢力争いが激化する可能性は高い」
私は静かに考えた。
「では、この記録をどうすればいいの?」
私の問いに、アレクセイは少し考え込んだ。
「……俺としては、この記録が王宮に留まることが一番平和的な解決策だと思う」
「でも、それでは根本的な解決にはならないわ」
「確かに」
アレクセイは苦笑した。
「グスタフ王子派がこの記録を狙って動いているなら、彼らを抑える手を考えないとな」
「……それは、つまり……」
ルインがアレクセイを見る。
「グスタフ王子派が直接動く前に、"彼らの計画を封じる"必要がある、ということですね?」
「そういうこと」
アレクセイはにっこりと笑った。
「王国に滞在している間に、俺も少し調べてみるよ。兄貴がこの件をどう考えているのかも含めてな」
「……頼りにしているわ」
私がそう言うと、アレクセイは面白そうに目を細めた。
「はは、期待しててくれ。俺はこういう話、嫌いじゃないんだよな」
アレクセイの言葉に、殿下は複雑そうな表情を浮かべた。
「……俺たちの国が、エルフェルトとの条約を"履行しなかった"と見なされるなら、向こうが正式に抗議してくる可能性もあるのか?」
「まあ、外交上は"そんな話はなかった"で押し通せるだろうが……問題は、グスタフ王子派がどう動くかだな」
アレクセイは記録を指でトントンと叩きながら言う。
「そもそも、この記録の存在を知っているのは限られた人間のはずだ。それを知ったうえで、わざわざこの国にまで送り込んできた奴らがいる……ということは?」
「――内部に協力者がいる」
ルインが静かに言った。
部屋の空気が一気に冷え込む。
「それが誰かまでは、まだ分からないけどな」
アレクセイは肩をすくめる。
「だが、この記録が"今"狙われている以上、王宮の中にもグスタフ王子派に通じている者がいる可能性は高い」
「……この件が外に漏れる前に、何とかしないと」
私は呟いた。
「じゃないと、相手の思うつぼよ」
「その通りです」
エミリナも頷く。
「でも、どうやって動く? 俺たちだけで動くには、あまりにも情報が少なすぎる……」
殿下が悩ましげに言う。
「情報なら、俺が手に入れてくる」
アレクセイが軽い調子で言った。
「俺の国のことだしな。グスタフ王子派が何を狙っているのか、少し探りを入れてみるさ」
「……お前、一体どうやって?」
殿下が警戒するように問う。
アレクセイは意味深に笑い、扉の方へと歩き出した。
「それは、王宮の皆さんにはあまり聞かれたくない手段だからな」
そう言い残し、彼はひらりと手を振りながら書庫を後にした。
彼の背中を見送りながら、私は僅かに不安を覚えた。
アレクセイが"動く"ということは――
「……何か、大きな騒ぎになりそうね」
ぼそっと呟くと、隣でルインが小さく笑った。
「彼は、時折大胆すぎる行動を取りますからね」
「ほんと、それが心配よ」
私はため息をつきながら、手元の記録を見下ろした。
――この記録が何を引き起こすのか。
まだ、誰も知らなかった。




