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第三十八話「王宮を揺るがす切り札」

 書庫の奥、静寂の中に響くのは、ページをめくる音と私たちの呼吸だけだった。


 ルインの言葉を受け、殿下は険しい表情で記録を握りしめる。


「……つまり、この記録が公になれば、エルフェルト王国の王位継承争いに影響を及ぼす可能性がある、ということか」


 殿下の言葉に、ルインは小さく頷いた。


「ええ。もしグスタフ王子派がこの記録を手に入れ、利用するとすれば――"エルフェルト王家はかつてこの王国と政略結婚を約束していた"という事実を明らかにし、現国王の正統性を揺るがせる材料とするでしょう」


「政略結婚の約束がありながら、それが破棄されたとなれば、現国王の外交手腕にも疑念が生まれる……」


 私は思わず呟いた。


 国同士の関係は、ただの交易や軍事力だけでは成り立たない。


 王族の婚姻は、時に国そのものの行方を左右するものだ。


「しかし、この記録が表に出れば問題になるのはエルフェルト王国だけじゃないでしょう?」


 エミリナが静かに言う。


「そうです。つまり、この記録は、我が国にとっても諸刃の剣となる可能性がある」


 ルインの言葉に、殿下は険しい表情を浮かべる。


「もしエルフェルト王国がこれを口実に条約の見直しを求めてきたら……」


「場合によっては、交易の条件を不利な形で修正されるかもしれませんね。最悪の場合、敵対する勢力と手を組まれる可能性もあります」


「……つまり、この記録はただの歴史的資料ではなく、今後の王国の立場をも左右する"切り札"になるということか」


 殿下が低く呟く。


 私は殿下の横顔を見つめた。


 ここまで冷静に、王国の未来を考えた彼の姿を見るのは初めてかもしれない。


 殿下は深く息をつき、再び記録を見つめた。


「この記録は、どうするべきだろう」


「まずは、国王陛下に報告すべきですね。これは王宮の外交方針に関わる問題です」


 ルインが静かに言う。


「ですが……」


 殿下は少し躊躇する。


「何か問題が?」


「……俺が今更、父上に進言しても、聞き入れてもらえるのか……?」


 その言葉に、私は少し驚いた。


「……殿下、もしかして陛下と話すことに不安があるの?」


「……いや、不安というより……今まで俺は、王太子らしいことを何一つしてこなかった。父上もきっと、俺の言葉を信用しないだろう……」


 殿下の声には、珍しく弱さが滲んでいた。


 今まで、王太子でありながら怠惰な日々を過ごしてきた。


 そんな自分が、突然真剣に意見を述べても、父王が受け入れてくれるのか――


 殿下自身が、その自信を持てていないのだ。


「……ふむ」


 ルインが少し考え込み、それから穏やかに微笑んだ。


「では、まずは"信用"を取り戻すことから始めましょうか」


「信用を……?」


「ええ。いきなり王に進言するのではなく、まずは小さな問題から解決していく。そして、少しずつ"王太子としての役割"を果たしていくんです」


 殿下はルインの言葉を静かに聞いていた。


「今まで何もしてこなかったとしても、今から行動を始めれば、いずれ王宮の人々の見方も変わりますよ」


「……そう、か」


 殿下は小さく頷いた。


「まずは、この記録をしっかり分析し、どのように扱うべきか慎重に考えましょう。その上で、最適な形で陛下に報告するのが得策です」


 ルインが優しく微笑む。


「殿下が本気で変わろうとしているなら、周囲の見る目も変わっていきます。……私も、できる限りお手伝いしますよ」


「ルイン……」


 殿下の表情が少し柔らかくなる。


「分かった。俺は……俺なりに、できることをする」


 その言葉に、私は密かに安堵した。


「では、まずは王宮内の情報を整理しましょうか」


 ルインが微笑み、私たちは再び書庫の記録に目を向ける。


 ――新たな戦いは、ここから始まる。



 ***



「……切り札、ね」


 私は記録の表紙を見つめながら、小さく息をついた。


 過去の条約が今になって問題になるというのなら、エルフェルト王国はそれをどう使おうとしているのか。


「もしグスタフ王子派がこの記録を手に入れたら、どうなる?」


 殿下の問いに、ルインは静かに目を伏せた。


「単純な話です。この条約の存在が公になれば、エルフェルト王国の王位継承争いに影響を与えるでしょう」


「……つまり?」


「この条約の婚約条項が正式に履行されていたならば、今の国王ではなく、ラヴィニア王女の血を引く者が王位を継ぐべきだった――という主張が成り立つ可能性があります」


 私は思わず眉をひそめた。


「けれど、ラヴィニア王女はエルフェルト国内の貴族と結婚したのよね? その子供が今さら王位を主張できるの?」


「普通ならできません。しかし、グスタフ王子派がそれを利用しようとしているとすれば話は別です」


 ルインの言葉に、書庫の中の空気が一層重くなる。


 王位継承権の問題は、どこの国でも政治的な火種となりうる。


「エルフェルト国内でグスタフ王子派が力を増しているのなら、この記録の存在を利用して、国王の正当性を揺るがすつもりなのね」


 私がそう言うと、ルインは軽く頷いた。


「ええ。ですが、それだけではありません。この条約は、我が国にとっても影響を及ぼします」


「……つまり、エルフェルト王国だけでなく、こちらの王宮にも火の粉が降りかかる可能性があるってこと?」


「そういうことです」


 ルインの目が鋭く光る。


「もしこの記録が公になれば、『かつて我が国が王族間の婚約条約を破棄した』という事実が明るみに出ることになります。外交上、大きな問題になりかねません」


「……なんで、こんな大事なことが今まで隠されていたのよ」


 私は思わず呟いた。


 国と国の間で交わされた条約の中に、これほど重大な内容が含まれていたのに、それが表に出ることなく歴史の中に埋もれていた。


「理由は定かではありませんが、おそらく当時の王宮の判断で『なかったこと』にされたのでしょう。もしかすると、何らかの交渉の結果、両国の間で暗黙の了解として処理されたのかもしれません」


 ルインは冷静に分析するが、殿下は険しい表情を崩さなかった。


「……この記録をどうするべきか」


 殿下は書類束を見つめながら、低く呟いた。


「保管を続けるにせよ、処分するにせよ、慎重に扱わなければなりませんね」


 ルインの言葉に、殿下も頷く。


「俺たちの動きが遅れれば、相手に利用される可能性が高い。まずは、エルフェルト王国側の動向を探る必要があるな」


 殿下の目には、王族としての覚悟が宿っていた。


 この記録が、王宮にどんな波をもたらすのか――


 まだ、誰も分からなかった。

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