第三話「公爵閣下、王太子の後始末へ」
――馬鹿王子の後始末をするために来ました。
そう言ったルイン・ベイレフェルト公爵は、にこやかに微笑んでいた。
「まあ、公爵閣下。後始末とは随分と物騒な表現ですわね?」
「はは、失礼。つい本音が出てしまいました」
涼やかに笑いながらも、その紫の瞳は鋭い光を宿している。……この人、ただ者じゃない。
公爵家の当主でありながら、政務だけでなく軍事にも精通している。しかも、現王であるアルバート殿下の父、つまり国王陛下からも厚い信頼を得ている人物だ。
そんな彼が、どうしてこの場に?
「公爵閣下は、殿下の婚約破棄騒動にご興味がおありで?」
「興味というより……いい加減、放置できなくなりましてね」
「まあ」
「このままでは、国が崩壊する未来しか見えませんから」
――王太子の暴走を、さすがに見過ごせなくなったということかしら。
私はゆっくりと扇を閉じ、目を細める。
「それで、具体的にどのような『後始末』を?」
「簡単ですよ。あの馬鹿王子に、王太子としての自覚を叩き込むだけです」
ルインはさらりと言ってのけた。
「……今の殿下に、そんなものを叩き込む余地があると?」
「ええ。無理やりにでも、ね」
「……なるほど」
この公爵閣下、容赦がない。
王太子相手にそこまで言えるということは、それだけの権限と実力があるということ。私に向ける穏やかな笑みとは裏腹に、彼の中には冷徹な合理主義が透けて見えた。
「とはいえ、私が直接動くには、まだ少し材料が足りない」
「材料?」
「ええ。国政を司る王太子が、いかに無責任で軽率な存在であるか――それを正式な証拠として示す必要があります」
「……それはつまり?」
「ソニア・グラント。あなたに協力をお願いしたいのです」
ルインは優雅に一礼する。
「アルバート殿下が三度目の婚約破棄を試み、それを感情だけで撤回したこと。さらに、聖女の言葉に振り回される王太子が、国の未来を危うくしている事実。それらを公式に記録し、王宮内での影響力を制御したい」
私は静かに彼を見つめた。
「つまり、公爵閣下は――殿下を"失脚"させたいと?」
「はは、まあ、それも選択肢の一つですね」
さらりと恐ろしいことを言うこの公爵閣下、怖すぎる。
「ですが、まずは矯正するところから始めます。まだ、王位継承権は動かせませんので」
「……そのために、私に協力を?」
「そうです。あなたの立場は今、王宮内で非常に強い。アルバート殿下を三度論破し、しかも婚約破棄を撤回させた令嬢ですからね」
「ふふ、そんな大層なものではありませんわ」
「いやいや、そんな謙遜は不要です」
ルインは微笑みながら、テーブルに手を置いた。
「さあ、どうしますか?」
私は少し考え――そして、微笑む。
「……面白そうですわね」
そう答えると、公爵閣下――ルイン・ベイレフェルトは満足そうに微笑んだ。
「それは頼もしい。では、さっそく"馬鹿王子更生計画"を始めましょうか」
「公爵閣下、その呼び方はさすがに……」
「いや、もう正式名称にしてもいいくらいだと思いますが」
涼しい顔でそんなことを言う彼に、私は思わずため息をついた。
そして、その場にもう一人。落ち着かない様子でソワソワしているのは――
「あ、あの……殿下はどこへ行かれたのでしょう?」
――聖女エミリナ・ランベルディ。
殿下の婚約破棄宣言に乗じて"真実の愛"を証明しようとした結果、当の殿下に逃げられた聖女である。
「私が知るわけありませんわ」
そう言い切ると、エミリナはしゅんと肩を落とした。
「ですが……私が殿下のお役に立てなかったのは事実ですわ。もしかして、殿下は本当に私ではなくソニア様を……?」
「ありえません」
「即答……!」
「殿下が私を選んだわけではなく、ただの勢いとプライドで撤回しただけです。そこに"愛"などという高尚なものは存在しませんわ」
「うぅ……」
エミリナが涙目で唇を噛む。
「まあまあ、聖女殿。落ち込むのは早いですよ」
ルインがにこやかに彼女を宥める。
「私はあなたにも協力してもらいたいと考えていますので」
「え……? わたくしが、ですか?」
「ええ、あなたには"聖女"としての影響力がありますからね。アルバート殿下の更生には、あなたの協力も必要不可欠でしょう」
「そ、そんな……! 殿下のために何かできるなら、喜んで!」
ぱっと顔を輝かせるエミリナ。
――まったく、ちょろい。
「ですが、公爵閣下。具体的には何を?」
「簡単なことですよ。まず、アルバート殿下を捕まえましょう」
「……はい?」
「逃げられたままでは、更生もなにもありませんからね。まずは捕獲。そして、しっかり"教育"する。これが第一段階です」
……この公爵閣下、本当に容赦がない。
「では、王太子更生計画・第一段階は"殿下の捕獲"ということですわね?」
「そういうことです」
こうして、王太子アルバート・アシュフォードを捕獲するための作戦が、静かに幕を開けたのだった。