第二十五話「ぎこちない交渉」
アルバート殿下は明らかに緊張していた。机の上に置かれた書類に目を走らせながら、言葉を慎重に選んでいる。
「そ、その……貿易の発展は、両国にとって、ええと……その……利があるものでして……」
詰まる。噛む。間が空く。
私とエミリナは、黙って殿下を見守った。ここで助け舟を出すのは簡単だ。しかし、それでは殿下の成長にはならない。
「……ふーん」
アレクセイ王太子は、そんなアルバート殿下を興味深げに見つめていた。
「言いたいことは分かった。こっちとしても、貴国の織物と鉱石には魅力を感じている。ただ、条件がある」
「条、条件……?」
「そう。うちは今、木材の輸入を増やしたいと考えてる。貴国の北部地方には質のいい木材が豊富にあるって聞いているが、それを輸出対象に加えることはできるか?」
アレクセイ王太子は柔らかな笑みを浮かべているが、その目は真剣だった。
アルバート殿下はちらりとこちらを見る。
私は扇で口元を隠しながら、軽く目を細めた。
――自分で考えなさいよ。
殿下は小さく息を吸い込み、必死に言葉を絞り出す。
「……北部地方の木材、ですか。それは確かに質が良く、需要も高いですが……輸出量を増やすとなると、国内の市場にも影響が出る可能性があり……慎重に検討する必要があります」
おっ。
私の中で小さく感心する気持ちが生まれた。少なくとも、「いいですよ!」と即答するような軽率な対応は避けたようだ。
「なるほどな。確かに市場のバランスを崩すのは得策じゃないか。じゃあ、限定的な取引って形ならどうだ?」
「限定的な取引……?」
「そう。例えば年間の輸出量を一定数に制限して、国内市場とのバランスを保つ。その上で、おたくらの利益がちゃんと確保できるように、価格の調整も視野に入れる」
アレクセイ王太子は流れるように提案を続ける。交渉に慣れているのだろう。殿下とは比べものにならない。
アルバート殿下は必死に考えている様子だった。
「……その提案について、少し検討の時間をいただけますか?」
「いいぜ。交渉ってのは慎重に進めるもんだしな」
アレクセイ王太子は気楽そうに笑った。
「それじゃ、今日はこの辺にしとくか。詳しい調整は、明日の協議でやろう」
「は、はい! よろしくお願いします!」
アルバート殿下はほっとしたように頭を下げた。
――なんとか第一日目は乗り切った。
でも、これで安心するのはまだ早い。交渉は始まったばかりなのだから。
***
交渉後、殿下は部屋に戻るなり、ぐったりと椅子に座り込んだ。
「……疲れた……頭がこんがらがる……」
「まだ初日よ。明日もあるんだから、しっかりして」
「うぅ……」
エミリナが微笑みながらお茶を淹れてくれる。
「アルバート様、とても頑張っていらっしゃいましたよ!」
「そ、そうか?」
「ええ。ですが、まだまだ改善すべき点はありますね」
「うっ……」
エミリナの言葉に、殿下はわかりやすく肩を落とした。
私は扇を軽くたたきながら言う。
「ま、最初から完璧にできるわけないし。少しは成長したんじゃない?」
「……お前に言われると、褒められてる気がしないんだが」
「気のせいよ」
私は微笑んだ。
さて、明日はもう少しまともに交渉できるかしら?
***
翌日、再び交渉の場に向かったアルバート殿下は、昨日よりは多少落ち着いているように見えた。それでも、緊張の色は隠せていない。
私はエミリナと並んで席に着き、静かに様子を見守る。
「さて、昨日の続きといこうか」
アレクセイ王太子は軽い調子で言いながら、書類を手に取る。
「おたくらの北部の木材を、年間どれくらい輸出できるか、考えはまとまったか?」
アルバート殿下は喉を鳴らし、一度小さく息を吐いた。そして、しっかりとアレクセイ王太子の目を見て答える。
「……はい。我々の王国の木材供給量を考慮し、年間輸出量は最大で現在の国内流通量の十五パーセントまでに抑えるのが適切だと考えました」
アレクセイ王太子は少し驚いたように目を細めた。
「ほう。具体的な数字を出してきたな。理由は?」
「国内市場の安定を維持するためです。あまりに大量に輸出すれば、国内の価格が乱高下し、結果的に商人や労働者に負担をかけることになります。そのため、一定の制限を設けた方が、長期的な取引には好都合かと」
私は思わず内心で頷いた。
――昨日よりずっとまともな受け答えになってるじゃない。
アレクセイ王太子も感心したように腕を組む。
「なるほど、筋は通ってる。悪くない提案だ」
アルバート殿下の表情が少しだけ明るくなる。
「じゃあ、その条件で交渉成立か?」
「……ですが」
殿下はすぐには頷かなかった。そのまま視線を下げ、慎重に言葉を選ぶように口を開く。
「貴国の希望を無視するつもりはありません。そこで、追加の提案があります」
「追加の提案?」
「ええ。我々は木材の輸出量を抑えますが、その代わりに、貴国の建築技術を提供していただけないでしょうか?」
アレクセイ王太子が片眉を上げる。
「建築技術?」
「貴国の建築は、湿地帯や山岳地帯でも耐久性の高い構造を持つと聞いています。我々の王国にも、そういった地形に適した建築技術が必要なのです。もしそちらが技術提供をしてくださるのであれば、木材の輸出は可能な範囲で柔軟に対応できます」
私は思わずアルバート殿下を見た。
――おお、ちゃんと駆け引きしてるじゃない。
アレクセイ王太子はしばらく考える素振りを見せたあと、口元に笑みを浮かべた。
「……悪くない取引だな」
「では……?」
「いいだろう。その条件、受け入れるよ」
アルバート殿下の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
アレクセイ王太子はくすっと笑った。
「お前、昨日よりずいぶんしっかりしたな。最初はどうなることかと思ったけど、なかなかやるじゃないか」
「そ、そうか?」
「ただし、これで終わりじゃない。取引の詳細を詰める必要があるし、今後の関係についても考えなきゃならない」
殿下は緊張しながらも、しっかりと頷いた。
「……はい。引き続き、よろしくお願いします」
アレクセイ王太子は満足そうに微笑む。
「よろしくな。じゃあ、今日のところはこんなもんでいいか」
交渉は無事に進み、私は密かにほっとした。
――少しは成長したわね、殿下。
***
交渉を終え、部屋に戻ったアルバート殿下は、昨日ほど疲れた様子ではなかった。それどころか、どこか誇らしげな表情を浮かべている。
「……少しは、ちゃんと交渉できたんじゃないか?」
「まあ、昨日よりはね」
「昨日よりは、か……」
殿下は苦笑しながらも、どこか満足げだ。
エミリナが柔らかく微笑む。
「アルバート様、本当に頑張られましたね」
「……うん」
「でも、まだまだよ?」
私は扇をたたきながら言う。
「これからもっと難しい交渉があるんだから、今日の結果に安心しないことね」
「……わかってるよ」
そう言いながらも、殿下の顔にはどこか自信が宿っていた。
――成長したわね、殿下。
私は小さく微笑んだ。




