第二十三話「エルフェルト王国への旅立ち」
「……では、行ってまいります」
王宮の正門前で、アルバート殿下が神妙な面持ちでそう言った。
ついに外交任務が始まる。行き先は隣国・エルフェルト王国。馬車の準備は整い、荷物も運び込まれた。見送りの人々が集まる中、殿下の表情は明らかに緊張で引きつっている。
「そんなに固くならなくても大丈夫よ、殿下」
私は扇を開きながら微笑んだ。
「大丈夫じゃない! お前、俺がどれだけ大変な任務を背負わされてるか分かってるのか!?」
「分かってるわよ。当然でしょ」
「だったらもう少し労わってくれ!!」
「ええ、もちろん。しっかり労わるから、ちゃんとやってきなさいね?」
にっこりと微笑む私に、アルバート殿下は絶望した顔を見せた。ルイン公爵はそんな彼の肩を軽く叩く。
「アルバート様、すべては王太子としての務めです。ご覚悟を」
「お前も人ごとみたいに……!」
「私は今回、同行しませんので」
「余計に不安になった!!」
アルバート殿下の叫びが王宮に響き渡る。ルインは静かに微笑んだまま、何も言わない。
「アルバート様、大丈夫ですよ。努力すれば、きっと乗り越えられます」
エミリナが優しく声をかけた。だが、彼女の言葉には微妙に「努力しなければ無理」という前提が含まれている。
「……お前も結局、俺に試練を与える側か……」
「試練というより、当然の責務ですわね」
私はあっさりと訂正しておいた。
「くそっ……誰も味方がいない……」
アルバート殿下は肩を落としながら、ようやく馬車へと足を踏み入れる。だが、そのとき――
「お兄様!」
クラリスが駆け寄ってきた。殿下は驚いたように妹を見つめる。
「クラリス……!」
「頑張ってくださいね」
「……うん……」
妹の純粋な激励に、殿下は少しだけ表情を和らげた。そして――
「――失敗したら、帰ってこないでくださいね」
「え!?!?!?」
クラリスの無慈悲な一言に、アルバート殿下は馬車の中で盛大にのけぞった。私とルイン、エミリナは顔を見合わせ、そしてそっと目をそらした。
「兄上なら、きっと大丈夫ですよ。期待しています」
「お、おう……」
そうして、アルバート殿下はクラリスの言葉を背に受けながら、エルフェルト王国へと旅立った。
――果たして、彼は無事に外交を成功させることができるのか?
***
「……俺、本当にやれるのか……?」
馬車の中で、アルバート殿下は深いため息をついた。隣国・エルフェルト王国までの道のりは、馬車で三日ほど。道中の揺れとともに、殿下の不安はますます募っているようだった。
「何言ってんのよ、今さら」
私は向かいの席で扇を軽く動かしながら言った。すでに外交任務は始まっているのだ。今さら逃げるなど許されない。
「だってよぉ……俺、外交なんて一回もやったことないんだぞ? それなのに、いきなり国の代表として交渉しろって……」
「大丈夫よ、殿下。あなたには私がついてるんだから」
「それが一番不安なんだが!? お前、絶対俺が失敗したらめちゃくちゃ言うだろ!!」
「当たり前でしょ。私がどれだけあなたに時間を割いて鍛えてきたと思ってるのよ。もし失敗したら、ただじゃ済まさないからね?」
「やっぱりそうじゃねえかーー!!」
殿下は頭を抱えた。
「アルバート様、ご安心ください」
エミリナが穏やかな声で言う。殿下は希望を見出したように彼女の方を向いた。
「エミリナ! お前だけは優しいよな!? 俺の味方だろ!? なぁ!?」
「もちろんです。わたくしは殿下の成長を心から願っておりますから」
「ほ、ほらな! やっぱりエミリナは天使……!」
「ですので、失敗は許されません」
「……え?」
「外交は国の未来を左右するもの。もし殿下が失敗すれば、国の信頼を失うことになります。その責任を取る覚悟はおありですよね?」
「……」
「ね?」
にっこり微笑むエミリナ。殿下は震え上がった。
「ち、違う! 俺はもっとこう……励ましが欲しかったんだ!!」
「では、励ましを差し上げますね。殿下、頑張ってください」
「お、おう……」
完全に逃げ場を失った殿下は、苦悶の表情を浮かべながら天井を仰いだ。
「それにしても、エルフェルト王国か……」
私は窓の外を見ながら呟いた。
エルフェルト王国は、わが国とは長年の友好関係を築いているものの、最近はやや関係が冷え込みつつある。今回の外交は、そんな微妙な情勢を改善するためのものだった。
「エルフェルト王国の王太子って、どんな人なんだ?」
殿下が不安げに尋ねる。私は少し考えた後、答えた。
「アレクセイ・フォン・エルフェルト王太子。冷静沈着で、かなり優秀な人だと聞いているわ」
「……優秀な王太子か……」
アルバート殿下の表情が曇る。
「同じ王太子なのに、俺とはえらい違いだな……」
「それに、わりと手厳しいらしいわよ?」
「おい!?」
「交渉相手としては妥協を許さず、合理的な判断を好むとか。要するに、無能は相手にしないタイプね」
「ちょ、ちょっと待て!! それって、俺だとやばいんじゃないか!? 交渉以前に、相手にされない可能性があるんじゃ……!?」
「さて、どうかしらね?」
私は扇で口元を隠しながら笑った。
アルバート殿下は、青ざめた顔のまま、馬車の揺れに身を委ねるしかなかった。




