第二十一話「外交修行という名の絶望」
「まあ! ついに殿下が外交をなさるのですね!」
そんな朗らかな声とともに現れたのは、聖女エミリナ・ランベルディだった。優雅な仕草で礼をし、にこやかに微笑んでいるが、アルバート殿下は明らかに嫌な予感を抱いたようだ。
「お、お前まで来たのか……」
「ええ、もちろんです。王太子としての大事な任務ですから、わたくしも全力でサポートさせていただきます!」
エミリナは満面の笑みを浮かべながら、机の上に分厚い書物を三冊ほど積み上げた。……私のより厚い。
「ちょ、ちょっと待て! 何をするつもりだ!?」
「まずは、エルフェルト王国の宗教観についてのお勉強しましょう!」
エミリナはきらきらと輝く瞳で言い放った。
「エルフェルトでは、わたくしたちの国とは違い、"双神信仰"が根付いています。片方の神を敬いすぎると、もう片方の神の信徒たちに反感を持たれる可能性がありますので、バランスよく振る舞うことが大切ですよ」
「バランス!? 宗教のバランスなんて考えたことないぞ!?」
「だから、今からしっかり学びましょうね、殿下!」
エミリナは微笑みながら、本を開いた。アルバート殿下は顔を青くしながら後ずさる。まあ、これは逃げられないわね。
「ふふ、なかなか面白いことになっているようですね」
そして、もう一人、悠然と現れたのは――ルイン・ベイレフェルト公爵。
「ルインまで来たのか!?」
「ええ、当然です。アルバート殿下が外交任務を務めるとなれば、私としても見過ごせませんからね」
ルインは丁寧な口調ながら、くすくすと楽しそうに笑っていた。
「外交というのは、相手の話を聞くだけではなく、自分の主張をどう伝えるかが重要です。そして、言葉だけではなく態度や表情にも気を配らねばなりません」
「表情……?」
「ええ、例えば――」
ルインは優雅に扇を開き、わずかに口元を歪めた。
「"この交渉、私にとっては些事だ"と余裕を見せる微笑み。そして、"この条件は受け入れがたい"と静かに眉を寄せる表情。殿下は、これを使い分けることができますか?」
「……無理だろ、そんなの!!」
「では、練習しましょう。私が交渉役を務めますので、殿下は適切な表情を作るのです」
「適切な表情!? 無理無理無理無理!!」
「ふふ、逃げられませんよ?」
ルインの微笑みが、一層楽しげなものに変わる。
「おい、ソニア!! こいつら止めろ!!」
「無理よ」
私は涼しい顔で扇を開き、告げた。
「外交任務をやる以上、避けて通れないわ。まあ……死ぬ気で頑張りなさい、殿下」
「もうすでに死にそうなんだけどぉぉぉ!!」
こうして、アルバート殿下はエミリナとルインの指導のもと、さらなる地獄へと足を踏み入れることになったのだった。
***
「はい、では次の表情の練習ですよ!」
エミリナがぱたん、と本を閉じた。その瞬間、アルバート殿下はぎくりと肩を揺らした。
「次って……まだやるのか……?」
「ええ、当然です!」
エミリナはにこにこと微笑んでいるが、殿下にとってはそれが恐怖の象徴にしか見えないらしい。
「今度は『誠実な謝罪の表情』ですよ!」
「謝罪の表情!? 俺、別に何も悪いことしてないぞ!」
「外交では、例えこちらに非がなくても、相手の気分を害してしまうことがあります。そういう時に、"誠実に見える"謝罪をしなくてはなりませんよ」
「そんなの、その場で適当に謝ればいいだろ!?」
「まあ、そんな軽い態度では到底通用しませんわね」
ルインが扇を閉じ、クスクスと笑う。
「謝罪は"誠意を見せること"が重要です。ただ頭を下げれば良いというものではありません。相手が求めているのは『誠意を込めた言葉と態度』なのです」
「む、無理だ……そんな器用なことできない……」
殿下がぐったりと肩を落とす。
「大丈夫ですよ、殿下! まずはわたくしが手本をお見せいたします!」
エミリナはすっと立ち上がると、優雅にスカートの裾をつまみ、目を伏せた。そして、しっとりとした声で言う。
「"この度は、私の至らぬ点により、ご不快な思いをさせてしまい、心よりお詫び申し上げます。"」
その姿は、まさに完璧な貴族の令嬢だった。
「……なるほど」
私は腕を組んで感心した。さすが聖女、見事なものだ。
「殿下もやってみてください!」
「……え、えっと……」
アルバート殿下はどもりながら、ぎこちなく頭を下げる。
「"えーっと、この度は、えっと、そのー……申し訳なかったです……?」」
「全然ダメですね!」
エミリナが容赦なくばっさりと切り捨てた。
「謝罪の際には言葉を濁さず、はっきりと伝えることが重要ですよ! もう一度やってみてください!」
「……うぅ……」
殿下は情けない顔をして、しぶしぶ姿勢を正した。
「"この度は、私の至らぬ点により、ご不快な思いをさせてしまい、心よりお詫び申し上げます。"」
「はい、今のは80点ですね!」
「えっ、意外と高くないか?」
「ええ、ですが、まだまだ改善点がありますよ! もう一度!」
「ひぃぃぃぃ……!」
ルインが優雅に扇を仰ぎながら微笑んだ。
「ふふ、アルバート殿下、まさに地獄ですね」
「お前が言うなぁぁぁ!!!」
こうして、殿下の"外交修行"は続いていくのだった。




