第二十話「馬鹿王子、まさかの外交任務」
「……外交?」
思わず聞き返した。
「ああ、アルバートに他国との交渉役を務めてもらうことにした」
国王陛下の言葉に、私は扇を持つ手をわずかに強く握る。思いもよらない展開だった。確かに王太子としての成長は望ましい。しかし、外交というのはそう簡単にこなせるものではない。相手国との関係性や文化の違い、言葉選び一つで戦争に発展する可能性すらあるのだ。
それを、馬鹿王子にやらせると……?
「陛下、それはあまりにも無謀ではありませんか?」
さすがに口を挟まずにはいられなかった。
「無謀ではない。むしろ、王太子として避けては通れぬ道だ」
国王陛下はそう断言した。陛下の隣では王妃様が静かに微笑んでいる。クラリスは「ふふ、頑張ってくださいね」と穏やかに言ったが、それがかえって恐ろしい。
「おいおいおいおい! 俺はそんな話聞いてないぞ!!」
当のアルバート殿下は、青ざめた顔で抗議の声を上げた。
「聞いていなかったのは、正式に決まる前だったからですわね。今、決まりましたので、ご安心ください」
私は微笑みながら、ばっさりと告げた。
「全然安心できないんだが!? 俺、外交なんてやったことないぞ!?」
「大丈夫です、殿下。今からしっかりと準備すれば、なんとかなります」
「いやいや、なんとかならないだろ!!」
「では、殿下。どちらがよろしいですか? "王太子として外交をこなす"か、"役立たずの烙印を押される"か」
「……ぐっ」
アルバート殿下は、目を泳がせながら口をつぐんだ。
「……準備、ちゃんとすれば、なんとかなる……か?」
「ええ。もちろん、その準備も私が徹底的にお手伝いしますわ」
「うっ……」
私は優雅に扇を閉じ、微笑んだ。
こうして、アルバート殿下の"外交任務"が正式に決定したのだった。
***
「……それで、俺はどこへ行くことになったんだ?」
アルバート殿下が、どこか怯えたような声で尋ねた。
「隣国エルフェルト王国よ」
「エルフェルト!? よりによって、あそこか……!」
殿下の顔がみるみる青ざめていく。エルフェルト王国は、文化も習慣も我が国とは大きく異なる国で、外交も一筋縄ではいかないことで知られている。王太子として初めての外交任務には、なかなかの難関と言えるだろう。
「なあ、もっと簡単な国とかないのか? 例えば、すごく平和で、何も問題が起きなさそうな……」
「殿下、それはつまり、外交の必要がないということでは?」
「ぐっ……!」
殿下がうめき声を上げるのを無視し、私は続けた。
「エルフェルトは、我が国との交易の交渉を望んでいるの。でも、彼らの王族は格式を重んじるので、失礼な態度を取れば即座に交渉決裂するから気を付けないといけないわね」
「……お、俺、大丈夫かな……?」
「大丈夫じゃないから、これから徹底的に鍛えるのよ」
私はばっさりと言い放った。
「まず、エルフェルトの文化や歴史を学ぶところから始めるわ。あと、彼らの言葉も少しは覚えておかないとね」
「えっ、言葉も!? 俺、語学とか苦手なんだけど……」
「知ってる。でも、やるしかないでしょ?」
「うう……俺の人生、いつからこんな地獄に……」
「少なくとも、婚約破棄を三回繰り返したあたりからはじまってるわね」
「やめてくれえええ!!」
情けない声を上げる殿下を、私は冷ややかに見つめる。外交は甘くない。これを乗り越えられなければ、王太子としての未来もないのだから。
「覚悟しなさい、殿下。これから地獄の特訓が始まるわよ」
「ひ、ひどい……!」
殿下の苦悶の声を背に、私は次なる計画を練り始めたのだった。
***
「じゃあ、まずはエルフェルト王国の基本的なマナーから教えるわね」
私はそう言いながら、分厚い書物をテーブルの上にどさっと置いた。アルバート殿下は、その威圧感に思わずのけぞる。
「……なあ、ソニア。もうちょっと優しくできないのか?」
「これでも優しくしてるわよ? エルフェルトの王族は形式にうるさいから、一歩間違えば失礼に当たるの。だから、間違いのないように叩き込むしかないでしょ?」
「叩き込むって……」
殿下はげんなりした顔をしながら、書物の表紙をぺらりとめくった。
「例えば、エルフェルトでは"握手"は親しい間柄でしか行わないわ。でも、貴族同士の初対面の挨拶では、手を胸の前で重ねて少し頭を下げるのが正式な礼儀なの」
「ええと、こうか?」
殿下はぎこちなく手を組み、頭を下げる。……うん、悪くはない。でも。
「ダメね」
「なんで!? 今の何がダメだった!?」
「頭の角度が浅すぎるし、手の位置が高すぎるわ。もう一度」
「えええ……」
渋々ながらも、殿下は再び頭を下げる。私はじっと見つめ、満足できる角度になるまで何度もやり直しをさせた。
「あと、食事の作法も重要よ。エルフェルトではスープを飲むとき、スプーンを器の手前側から奥に向かってすくうのが正式なの。間違っても奥から手前にすくわないでね」
「そんな細かいこと、誰が気にするんだよ……!」
「向こうの貴族が気にするのよ」
「くっ……!!」
殿下が悔しそうに唇を噛む。うん、いい傾向ね。しっかり意識するようになった証拠だわ。
「……なあ、俺、これをいつまで続けるんだ?」
「当然、完璧にできるようになるまでよ」
「……地獄だ……」
殿下は泣きそうな顔でうなだれた。
「まだ始まったばかりよ、殿下。これから、言葉や交渉の仕方、それにエルフェルトの王族に関する情報も叩き込んでいくわ」
「……俺、そろそろ逃げていいか?」
「ダメよ」
私が即答すると、殿下はガクリと肩を落とした。
「大丈夫、ちゃんと覚えれば、あとは楽よ」
「ほんとか?」
「……まあ、相手がとんでもない性格をしていなければ、ね」
「それが一番怖いんだけど!!!」
こうして、アルバート殿下の地獄の特訓が本格的に始まったのだった。




