第十九話「馬鹿王子、料理に挑む」
市場での買い物を終えた殿下に、次なる試練が訪れる。
「さて、殿下。次は料理よ」
「……は?」
私は殿下にエプロンを差し出した。殿下は呆然とした顔でそれを見つめる。
「ちょっと待て、俺が料理するのか?」
「ええ。せっかく食材を買ったんだから、自分で料理してみないと」
「……そんなの、使用人に任せればいいだろ……」
「殿下、自分で料理をしないと、食材の大切さも、料理人の苦労も分からないわよ?」
私は扇を閉じ、殿下をじっと見つめる。
「王族だからといって、全て人任せではいけないの。いざというとき、自分で食事を作れないと困るわよ?」
「……いざってどんな時だよ……」
「例えば、敵国に囚われたときとか?」
「そんな状況あるか!?」
「……まあ、未来は分からないわよね」
私は微笑みながら言い、エプロンを再び差し出す。
「さ、殿下。まずは簡単なスープを作りましょうか?」
「……分かったよ、やるよ……」
殿下はしぶしぶエプロンを受け取り、料理の準備を始める。
「まずは野菜を切るのよ」
「……こうか?」
殿下はジャガイモをまな板に置き、包丁を手に取る。しかし――
「いや、それじゃ指を切るわよ! もっとちゃんと持って!」
「え、ええ!? こうか!?」
「違う! 指は丸めて、刃が当たらないように!」
私は慌てて殿下の手を正しい位置に直す。ルイン公爵とエミリナは、少し離れた場所で心配そうに見守っていた。
「……こ、怖い……」
「大丈夫よ、慣れれば簡単だから」
殿下はおそるおそる包丁を動かし、なんとかジャガイモを切ることに成功した。
「おお……できた……!」
「ええ、なかなか悪くないわね。さ、次は火を使うわよ」
「えっ……」
殿下の表情が一気に曇る。
「が、頑張れ殿下……!」
エミリナがそっと応援する。ルイン公爵は肩をすくめながら、「これは長い戦いになりそうだな」と呟いた。
***
「よし、次は鍋に火をかけてスープを作るぞ!」
殿下はジャガイモを切り終えたことで気が緩んだのか、少し得意げに胸を張った。私は淡々と頷く。
「はいはい、じゃあお鍋に水を入れて、野菜と一緒に火にかけてね」
「おう、任せろ!」
殿下は勢いよく水を鍋に注ぎ、切ったジャガイモを放り込む。そして、意気揚々と火をつけた。
……まではよかった。
「殿下、そのままにしないで、ちゃんとかき混ぜながら見ててね?」
「え? そんなの、しばらく放っておいても勝手に煮えるだろ?」
「は?」
私は思わず扇を閉じる。
「殿下、火加減を見ながら混ぜないと、焦げるわよ?」
「スープなのに焦げるのか?」
「ええ、鍋底が真っ黒になるわよ」
「……大げさなこと言うなって。火がついてるだけで、そんなすぐ焦げるわけ――」
ボコボコッ!!
「――うわああっ!?」
突然、鍋から泡が吹きこぼれ、殿下は慌てて飛び退いた。
「ほら、言わんこっちゃない!」
「な、なんでこんなことに!?」
「火が強すぎるのよ!」
私は急いで鍋をかき混ぜ、焦げつきそうになっていたスープを救出した。
「……うっ、なんか焦げ臭くないか……?」
「ええ、もう手遅れね」
鍋底を確認すると、案の定、ジャガイモの一部が真っ黒に焦げついていた。
「はぁ……殿下、料理は火にかけたら終わりじゃなくて、その後の管理が大事なのよ?」
「……お、覚えとく……」
しょんぼりと肩を落とす殿下。その様子を見ていたルイン公爵がくすくすと笑う。
「これは王宮の料理人たちに、お手本を見せてもらったほうがいいのでは?」
「それもいいわね。でも、その前に……殿下」
私はじっと殿下を見つめた。
「な、なんだよ……」
「焦げたスープだけど、ちゃんと食べなさい?」
「えええっ!?」
殿下は絶望的な顔になったが、逃がす気はない。これも学びの一環よ。
***
料理が壊滅的な結果に終わった翌日、私は殿下にさらなる試練を与えた。
「さて、今日は裁縫をしてもらうわよ」
「……は?」
殿下は呆けた顔で私を見た。
「なあ、ソニア。お前、俺に恨みでもあるのか?」
「別に? これは王族としての最低限の教養よ」
「王族が裁縫なんてするか!?」
「するのよ。ボタンが取れたときに自分でつけ直せないと、恥をかくわよ?」
「そんなの、侍女にやらせればいいだろ!」
「……またそれ?」
私は扇を閉じ、じっと殿下を見つめる。
「自分の身の回りのことくらい、自分でできないといざというときに困るのよ」
「だから、いざっていつなんだよ……!」
「例えば、戦場で服が破れたときとか?」
「そんな場面あるか!?」
「未来は分からないわよね」
私はにっこり微笑んだ。
「はい、これ」
そう言って、私は殿下に針と糸、そして布を手渡した。
「……えっと……どうすればいいんだ?」
「まずは針に糸を通して――」
「糸を通す……?」
殿下は針の穴をじっと見つめ、糸を手に取る。しかし――
「小さっ!? こんな穴に糸を通せるわけないだろ!」
「殿下、不器用すぎる……」
エミリナが思わず苦笑する。ルイン公爵は「これはまた時間がかかりそうだな」と呟きながら紅茶を飲んでいた。
「……くっ……王太子の威信にかけて、やってやる……!」
殿下は意地になり、必死で糸を通そうとする。しかし、なかなか通らない。
「……ぐっ……! くそっ……!」
「殿下、糸の端を少し舐めると通しやすくなるわよ」
「え? そうなのか?」
殿下は私の助言どおり、糸の端を舐めてみた。そして、再び針穴に挑戦する。
「お……おおっ!? 通った!!」
「よかったわね。でも、これからが本番よ」
「えっ?」
「じゃあ、布を縫ってみましょうか」
私は殿下の手を取り、針を持たせる。殿下は緊張した面持ちで針を布に刺した。
「……いてっ!」
「刺さったわね」
「いった……!」
殿下は指をさすりながら、泣きそうな顔をしていた。
「頑張れ、殿下!」
エミリナが応援する。ルイン公爵は微笑ましそうに見守っていた。
「くそっ、俺は負けない……!」
アルバート殿下の裁縫体験は夜遅くまで続いた――