第十七話「馬鹿王子、優雅な隠れ家で捕獲される」
「ん~~、いい香りだ……!」
アルバート殿下は、ふかふかのソファに沈み込みながら紅茶の香りを堪能していた。
王宮のしがらみから解放され、好きな時に好きなことをする――まさに理想の生活。
「こんな生活ができるなら、王太子なんかやめてやる……!」
優雅に紅茶を飲みながらそう呟いた瞬間だった。
ガチャッ
「お邪魔するわ」
「!?」
優雅にドアを開けたのは、扇を手にした私だった。
その後ろに、戸惑いながらも私についてくるエミリナの姿がある。
「ソ、ソニア!? ど、どうしてここが――!?」
「殿下が逃げ込みそうな場所なんて限られてるのよ。それに――」
私は部屋を見渡し、満足げに頷く。
「思った通りね。ちゃんとしたベッドがあって、食事もそこそこ美味しい、貴族向けの宿。"王宮より自由で、それなりに快適な場所"って考えたら、ここくらいしかないわ」
「な、なんだと……」
「おや……殿下、これはいったい?」
さらに、ルイン公爵が静かに部屋へと入ってきた。
彼の視線が、机の上に並べられた甘い菓子や紅茶に向けられる。
「優雅に"逃亡生活"を楽しんでおられるようですね」
「……ち、違う! これは、その……!」
アルバート殿下は慌てて菓子を隠そうとするが、無駄だった。
「殿下」
私は優雅に微笑みながら、扇を閉じる。
「"自由"を謳歌するのは結構だけど、逃亡生活がこれほど快適なものだなんて、思わなかったわ」
「……」
「まあ、そんなことはどうでもいいわね」
私は一歩前に出て、優雅に微笑んだ。
「さ、帰るわよ」
「絶対に嫌だ!!」
アルバート殿下はソファから飛び上がり、勢いよく後ずさる。
「俺は帰らない! ここで自由に生きるんだ!!」
「殿下」
私の静かな声に、殿下はビクリと肩を震わせる。
「……な、なんだ……」
「選択肢は二つよ」
私は指を二本立ててみせた。
「一つ目は、大人しく王宮へ戻ること」
「それは嫌だ!」
「じゃあ二つ目」
私はさらに一歩近づいた。
「"ここで更生させる"」
「……は?」
「ここで暮らしたいなら、それはそれでいいわよ?」
私は微笑む。
「でもその場合、王宮でやっていた"更生計画"をそのままここで実行するわ」
「っ……!」
「朝は決まった時間に起きる、礼儀を守る、勉強をする、鍛錬もきっちりこなす。もちろん、怠けることは許さないわ」
私はニッコリと微笑みながら続ける。
「ねえ、殿下。どっちがいい?」
アルバート殿下は絶望的な表情で固まった。
「……帰る……」
「よろしい♪」
こうして、アルバート殿下の"優雅な逃亡生活"はあっけなく終わりを迎えたのだった。
***
「……お、俺は納得してないぞ……」
アルバート殿下は肩を落としながら、馬車の座席に沈み込んでいた。
「納得するしないは問題じゃないのよ」
私は優雅に紅茶を飲みながら答える。馬車は王宮へと向かい、順調に進んでいた。
「まったく、せっかくの自由が……」
「自由にも責任が伴うものよ、殿下」
ルイン公爵が静かに言葉を挟む。
「王太子としての責務を放り出し、優雅な隠れ家で菓子をつまみながら過ごすなど、聞いて呆れますね」
「う……」
殿下は痛いところを突かれ、口をつぐんだ。
「でも、よかったですね、アルバート様」
エミリナが微笑みながら言う。
「ソニア様たちが迎えに来てくれたおかげで、今もこうして王宮へ戻れるのですから」
「……迎えになんて来なくてよかったのに」
「何か言った?」
「な、なんでもない!!」
私はじっと殿下を見つめた。まだまだ更生計画は終わらない。いや、むしろこれからが本番だ。
「さて、戻ったら早速"反省文"を書いてもらうわよ」
「は、反省文!?」
殿下はギョッと目を見開いた。
「逃亡に至った経緯、逃亡生活の感想、そして今後の抱負について、しっかり書いてもらうわ」
「そんなの意味ないだろ!」
「あるわよ。自分の行動を振り返り、言語化することで初めて理解できることもあるの。まあ、殿下にそれができるかどうかは疑問だけど」
「ぐぬぬ……!」
殿下は悔しそうに唇を噛みしめた。
「まあまあ、アルバート様。頑張ってくださいね」
エミリナが優しく励ますが、殿下の顔はますます沈んでいく。
こうして、王宮を抜け出して自由を求めた馬鹿王子の逃亡劇は、あっけなく幕を閉じたのだった。
***
「さて、殿下。反省文は書き終わった?」
私は優雅に椅子に座りながら、机に向かっているアルバート殿下を見つめた。
「……まだ……」
殿下は不機嫌そうにペンを握りしめている。机の上には何度も書き直したであろう紙の束が積まれていた。
「そんなに難しいかしら? 逃亡生活の感想なんて、"自由は最高だった"とか書けばいいんじゃない?」
「そんなこと書いたら、また説教されるに決まってるだろ!」
「わかってるじゃない」
私は微笑みながら扇を開いた。ルイン公爵とエミリナも、静かに殿下を見守っている。
「反省文は、反省を示すためのものよ。殿下が『自由は最高だった』なんて書いたら、更にペナルティが追加されるわ」
「ペナルティ!? 反省文だけじゃなかったのか!?」
殿下は顔を青ざめさせた。私はゆっくりと頷く。
「ええ、当然でしょう? 逃亡なんて前代未聞の騒動を起こしたのだから、それ相応の罰を受けるのは当然よ」
「ど、どんなペナルティなんだ……?」
殿下は恐る恐る私を見た。私はにっこり微笑みながら、扇を閉じた。
「そうね――まずは、"王宮の掃除"から始めましょうか」
「……は?」
「王宮の掃除よ。お城の使用人たちは、日々大変な労働をしているの。殿下は王宮の主なのだから、その大変さを学ぶ必要があるわね」
「そ、掃除って……」
「もちろん、一日や二日じゃないわよ? 少なくとも一週間は続けてもらうわ」
「そ、そんな!」
殿下は絶望したような顔をした。
「アルバート様、頑張ってくださいね」
エミリナは微笑みながら応援するが、殿下は明らかにやる気をなくしていた。
「それと、もうひとつ」
「ま、まだあるのか!?」
「ええ。掃除だけでは足りないから、"民の声を聞く"という試練も与えるわ」
「民の声?」
殿下は眉をひそめる。私はゆっくりと説明した。
「殿下は王太子なのだから、国民の声に耳を傾けるのは当然の義務よ。でも、今までろくに民の暮らしを知ろうとしなかったでしょう?」
「う……」
「だから、実際に市場へ行って、庶民の生活を学んでもらうわ」
「市場……!? そんなところに俺が行くのか!?」
殿下は驚きのあまり、椅子からずり落ちそうになった。
「当然よ。護衛はつけるけど、ちゃんと庶民の生活を体験してもらうわ」
「俺にそんなことを……」
「王太子としての責務を果たさないから、こうなるのよ」
私はにっこり微笑む。
「さあ、まずは反省文を仕上げなさい。そして明日から、掃除と市場体験が始まるわよ」
殿下の顔は、これ以上ないほど曇っていた。
こうして、王宮掃除と市場体験という二つの試練を背負うことになった馬鹿王子。彼の更生計画は、まだまだ終わらない――