第十三話「馬鹿王子、地獄のダンスレッスン」
「……ちょっと、足、どこ踏んでんのよ」
「す、すまん! わざとじゃない!」
「わざとじゃないなら許されるとでも思ってるの!?」
「い、痛い! 叩くな!」
レッスン室に響く私の怒声と、殿下の情けない悲鳴。
その傍らで、ルインは微笑みながら紅茶を飲み、エミリナは「がんばってくださいね」と応援するだけだった。
「殿下、ダンスは優雅さが大事なの。貴族の夜会で馬のように足音を立てるのはやめて」
「馬って……俺そんなに酷いか!?」
「自覚なかったのね。じゃあ教えてあげるわ。酷いわよ」
「そんな……!」
殿下はショックを受けたように肩を落とした。だが、現実を直視しなければ成長はない。
「いい? ダンスは相手をリードするものなの。特に王太子であるあなたが、優雅に相手をエスコートできなければ話にならない」
「……そんなこと言われてもなぁ」
「もう、見ていられないわね……ルイン、ちょっと来て」
「はい?」
「殿下、まずはお手本を見せるわ。ルインと踊るから、よく見てなさい」
「俺のダンスレッスンなのになんでルインとお前が踊るんだよ!」
「基礎を理解してないのに実践させるわけにはいかないでしょ? まずは正しい動きを見せるのが先決よ」
私はルインの手を取ると、軽やかにステップを踏んだ。さすがにルインはダンスも完璧で、流れるような動きができる。
「ほら、こうやってリードするのよ。無駄な力は入れず、けれど確実に相手を導くの」
「……なるほど」
殿下が珍しく真剣な顔をしている。
「じゃあ、次は殿下の番ね」
「お、おう……」
「はい、エミリナ、よろしく」
「えっ!? わ、わたくしですか!?」
エミリナが驚いた顔でこちらを見る。
「殿下が相手のエスコートを学ぶには、ちゃんとダンスを知っている相手が必要なのよ」
「そ、そうなのですね……!」
エミリナは少し頬を染めながら、殿下の前に立った。
「では、アルバート様、よろしくお願いいたします」
「お、おう……」
エミリナの手を取る殿下の動きがぎこちない。私は扇で口元を隠しながら、それを観察する。
「うん……まあ、最初にしては……いや、やっぱりダメね」
「ダメなのかよ!!」
「リードが雑。エミリナが困ってるじゃない」
「そ、そんな……」
エミリナは無理に笑っていたが、明らかに踊りにくそうだった。
「はい、最初からやり直し!」
「くそぉぉぉぉ……!!」
***
「――はい、ストップ!」
私は扇を鳴らして踊りを中断させた。目の前には、殿下の腕の中で微妙にぎこちない動きをしているエミリナ。彼女は必死に笑顔を作っていたが、明らかに疲れている。
「殿下、リードって何か分かってる?」
「……女を引っ張ることだろ?」
「はい、不正解」
「なっ……!」
殿下は悔しそうに歯を食いしばる。私はため息をつきながら説明した。
「いい? ダンスにおけるリードは、相手を"支え"ながら"導く"ことなの。ただ力任せに引っ張るだけなら、それはただの暴君よ」
「……でも、どうすればいいんだ?」
「簡単よ。力を入れすぎないこと、相手の歩幅を考えること、そして何より"安心させること"よ」
「安心……?」
「そう。相手が安心して身を任せられるようなリードをするのが紳士の務めなの」
殿下は少し考え込み、視線をエミリナに向けた。
「……エミリナ、お前、俺と踊るの嫌か?」
「えっ!? そ、そんなことは……」
エミリナは慌てて首を振る。しかし、私はその反応を見逃さなかった。
「ほらね、エミリナは言葉では否定してるけど、心の中では不安を抱えてるのよ」
「そ、そんな……」
「さあ、もう一度やってみて」
私はエミリナに軽くウィンクを送り、殿下に視線を戻す。殿下は真剣な顔でエミリナの手を取り、深呼吸した。
「……よし、行くぞ」
今度は、さっきよりも優しく、慎重にエミリナを導こうとしている。その動きはまだぎこちないが、少なくとも先ほどよりはマシになっていた。
「うん、少しはマシになったわね」
「本当ですか!?」
エミリナがぱっと顔を輝かせる。
「まあ、まだまだだけどね」
「うぉぉぉぉぉ……!」
殿下が悔しそうに拳を握る。ルインが静かに紅茶を飲みながら微笑んでいた。
「ふむ……成長はしているようですね」
「ええ、まだまだだけど、ようやくスタート地点には立てたわ」
「……くそっ、やってやる! 俺は絶対にまともなダンスを踊ってみせる!」
殿下がついに本気になったようだ。私は満足げに微笑んだ。
「じゃあ、明日も朝からレッスンね」
「えっ、ちょっと待て、明日も……!?」
「当然でしょ?」
殿下の絶望に満ちた顔を見ながら、私は優雅に扇を開いた。