第十話「馬鹿王子、朝の運動で心が折れる」
「殿下、朝ですよ。起きてください」
私はにっこり微笑みながら、アルバート殿下の寝室のカーテンを勢いよく開け放った。朝の光が容赦なく差し込み、ふかふかのベッドの上で丸くなっていた殿下が呻き声を上げる。
「……ん……あと五分……」
「五分後にもう一度起こすと思いました? 残念だけど、そんな甘いことはしません」
私は容赦なく掛け布団を引っぺがした。
「うわっ!? さ、寒い!?」
「おはよう、殿下。今日から規則正しい生活を送るんだから、朝の寝坊は許さないわよ」
「む、無理だ……朝に強い人間と弱い人間がいるんだ……俺は後者なんだ……」
「じゃあ、強くなりなさい」
私は腕を組み、冷たい視線を向ける。
「さあ、起きて着替えて。今日のスケジュールは朝食前に軽い運動からよ」
「えぇぇぇ……」
殿下は枕に顔を埋めてぐずぐずしている。
「……これ、強硬手段が必要みたいね」
「え?」
私は部屋の外に待機させていた侍従に合図を送った。すると、たちまち屈強な近衛騎士が二人、ずかずかと部屋に入ってくる。
「さあ、殿下。お目覚めの時間です」
「えっ、ちょ、待っ、やめろおおおお!!」
騎士たちは無言で殿下の両脇を抱え上げると、ずるずるとベッドから引きずり出した。
「おい! 俺の扱いおかしくないか!? 王太子なのに!? もっと優しく起こしてもいいだろ!?」
「殿下が普通に起きれば、こんなことにはなりません」
「くそっ、これは反逆だ! お父様に言いつけ――」
「昨夜、陛下から"息子が抵抗するようなら手荒な手段を用いてもよい"と正式に許可をいただいています」
「父上ェェェェ!!??」
絶望の声を響かせながら、殿下は騎士たちに抱えられたまま寝室を後にした。
***
「さあ、殿下。今日から朝の運動を始めるわよ」
私は微笑みながら、運動場に立つアルバート殿下を見つめた。殿下はまだ完全に目が覚めていないのか、髪はぼさぼさ、目の下にはクマ、口元には明らかに不満の色が浮かんでいる。
「……俺、王太子なんだけど。なぜ朝っぱらから運動場に立たされてるんだ……?」
「王太子だからこそ、心身を鍛える必要があるのよ」
「え、でも俺、剣術とか別に得意じゃなくても……」
「黙れ」
「ひどい!!?」
「まずは軽く体を動かしましょう。準備運動からよ」
「……あのさ、ソニア。俺、本当にこういうの向いてないんだよ。もっとこう、座って書類にサインする仕事のほうが――」
「殿下が書類を読まずにサインするせいで、後から散々問題になってること、忘れたとは言わせないわよ?」
「うっ……」
「いいから、ほら、準備運動」
私は殿下の隣に立ち、手本を見せるように腕を回し始める。殿下は明らかにやる気のない顔で動き始めた。
「……え、意外とキツ……」
「殿下、もう音を上げるんですか? これはまだ準備運動の段階ですけど」
「……俺、やっぱり向いてない……」
「次は軽く走るわよ」
「えぇぇ……」
不満たらたらの殿下だったが、私は一切容赦しなかった。運動場の周りを何周か走らせると、殿下はもう息も絶え絶えになっていた。
「ハァ……ハァ……もう、無理……」
「殿下、まだたったの五周よ?」
「いや、五周も走れば十分だろ……!」
「ちなみにルイン公爵は毎朝十周走っているそうよ?」
「……あの人は基準にしちゃダメだろ!!」
「ちなみにエミリナ様も、修道院時代は毎日庭を十周していたと聞いたわ」
「エミリナまで!?」
「つまり、殿下は二人に比べても圧倒的に体力がないということね」
「……俺、王太子なのに……」
「王太子だから鍛えるのよ」
私はにっこりと微笑んだ。
「さあ、次は剣の素振りよ」
「地獄かよ!!?」
こうして、アルバート殿下の"健全な生活習慣"は、彼の悲鳴とともに幕を開けたのだった。
***
「さあ、剣を持って」
私は剣を手に取り、殿下の前で構えを見せた。隣ではルイン公爵が静かに腕を組み、エミリナは心配そうに殿下を見つめている。
「え、あの……本当にやるの?」
「当然でしょ。王太子としての最低限の剣術くらい、身につけておかないと」
「俺、護衛がいればいいし……」
「護衛を頼るのはいいけど、最低限の自衛くらいできないと話にならないわよ?」
「……はぁぁぁ……」
殿下はものすごく嫌そうな顔をしながら、渋々木剣を持った。
「じゃあ、まずは素振り百回」
「百!? なんでそんなに!!?」
「ルイン公爵は毎日二百回やってるそうよ?」
「だから、あの人を基準にするな!!」
「ちなみにエミリナ様も修道院で鍛えていたらしいわ」
「エミリナまで!? 俺より鍛えてるの!? 聖女ってそういうものなのか!?」
「え、えっと……私は護身のために、少しだけ……」
エミリナが申し訳なさそうに答えると、殿下は完全に心が折れたように肩を落とした。
「……俺、本当に王太子なのに……」
「王太子だから鍛えるのよ」
「もうその言葉聞き飽きたんだけど!!」
「ほら、愚痴ってないで素振り」
「くそおおおおお!!!」
殿下はヤケクソになって木剣を振り始めた。最初こそ勢いがあったが、三十回を過ぎたあたりで明らかに動きが鈍くなる。
「……あ、あれ? これ意外とキツ……」
「殿下、まだ三十回よ?」
「腕が……腕が上がらない……!」
「五十回までは頑張りなさい。そしたら休憩していいわ」
「ほんと!? よっしゃ!!」
殿下は気合を入れ直し、なんとか五十回まで振り切った。そして、へたり込むように地面に座り込む。
「ハァ……ハァ……もう無理……」
「殿下、まるで運動不足の貴族みたいな体力ね」
「俺、運動不足の貴族なんだよ!!」
「……それ、誇ることじゃないわよ?」
私は呆れながら殿下を見下ろした。横ではルイン公爵が小さく笑っている。
「アルバート殿下、まだまだこれからですよ?」
「え、え、え? まだあるの!?」
「ええ、次は実戦形式での訓練を――」
「無理無理無理無理!!! 俺、もう動けない!!」
殿下は地面に寝転がり、まるで死んだ魚のような目で私を見上げた。
「これ、ほんとに俺を鍛えるための訓練なの? ただの拷問じゃなくて?」
「拷問なわけないでしょ」
「……本当に?」
「本当よ。拷問なら、もっと厳しくするわ」
「こわっ!!?」
殿下はガバッと起き上がり、明らかに警戒し始めた。私は微笑みながら木剣を構える。
「さあ、次は実戦よ。準備はいい?」
「いや、よくない!!!!!」
殿下の絶叫が、王宮の庭に響き渡った。