第一話「宣告、それは遺言」
「侯爵令嬢ソニア・グラント、君との婚約を破棄する!」
王宮の舞踏会。華やかな音楽と優雅なダンスが繰り広げられる中、王太子アルバート・フォン・エルンストは、堂々とした態度でそう宣言した。
周囲の貴族たちはざわめき、舞踏会の中心にいた私、ソニア・グラントに視線を向ける。絶世の美女と称えられる侯爵令嬢である私が、突然婚約破棄を突きつけられたのだから、彼らの興味を引くのも当然だろう。
だが、彼らは知らない。
私がどれだけの力を持つかを。
婚約破棄を告げられた令嬢がとるべき態度は、泣き崩れるか、悲しみに沈むか、あるいは激昂するか――
だが私は違う。
「え? 婚約破棄? なにそれ、遺言?」
私が静かにそう呟くと、周囲のざわめきがぴたりと止んだ。
「……え?」
アルバートが一瞬きょとんとした顔をした。
「いや、だから、君との婚約を――」
「いやいや、聞こえたわ。でも、それ、遺言だよね?」
私は微笑みながら問い返す。
「あなた、大丈夫? もしかして熱でもあるの? 王太子殿下が私に婚約破棄を突きつけるなんて、そんな無謀なことをするはずないもの」
「無謀!? いや、私は王太子だぞ!?」
「ええ、知っているわ。でも、私の婚約者でもあるのよね?」
私は優雅に扇を広げ、口元を隠す。
「王太子であるあなたと、侯爵家の私。両家の関係、そして国内の政治的均衡を考えれば、この婚約がいかに重要かは理解しているでしょう?」
「そ、それは……」
アルバートの顔が微妙に引きつる。彼はきっと、私がもっと感情的に反応すると思っていたのだろう。だが、私はただ淡々と、しかしじわじわと追い詰めていく。
「まさか、そんな大事な婚約を破棄するなんて……本当に命が惜しくないのね、殿下?」
「……っ!?」
アルバートの顔から、みるみる血の気が引いた。
周囲の貴族たちも、震えながら後ずさる者がちらほらいる。彼らは知っているのだ。
――侯爵令嬢ソニア・グラントを敵に回すことが、どれほど恐ろしいかを。
「そ、ソニア……? お前、冗談だよな……?」
「さて、どうかしら?」
私は微笑みながら、舞踏会の中央をゆっくりと歩き、アルバートの前に立つ。そして、彼の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫よ、殿下。私、怒ってなんかいないわ」
「ほ、本当に?」
「ええ。怒るほどのことじゃないもの。ただ……軽率な発言の責任は、しっかり取ってもらうわよね?」
「………………」
アルバートの顔は青ざめ、汗が額に浮かんでいた。
私が微笑んだまま、彼の肩を軽く叩くと、彼は何かを悟ったように震え始める。
「婚約破棄は……」
アルバートは、ギリッと歯を食いしばりながら、言葉を絞り出す。
「……撤回する……」
当然よね、と私は優雅に微笑んだ。
――こうして、私の婚約破棄騒動は、王太子殿下の「撤回」によって幕を閉じた……。
だが、この話はこれで終わりではない。
婚約破棄を宣言した王太子の評価は地に落ち、私の株はさらに上がる。そして、この騒動がきっかけで……王宮にはさらなる波乱が巻き起こることになるのだった。
***
「侯爵令嬢ソニア・グラント! 君との婚約を、今度こそ破棄する!」
――ああ、これはもう遺言でいいわね。
舞踏会で婚約破棄を撤回した王太子アルバートは、数日後、またもや私に婚約破棄を突きつけた。場所は王宮の大広間。貴族たちが見守る中で、彼は堂々とした態度を装っていたが、その額にはじんわりと汗が滲んでいる。
「……殿下、頭を打ちました?」
「打ってない!!」
思わず真顔で確認してしまったけれど、アルバートは必死に否定する。いや、正気でこんなことをするなんて、余計に心配なのだけれど。
「この間、婚約破棄を撤回したばかりよね?」
「あ、あれは……その、気の迷いだった!」
「気の迷いで国の未来を左右しないでほしいのだけれど」
まったく、この王太子、どれだけ学習しないのかしら。
私はアルバートをじっと見つめた。彼はぐっと口を引き結び、なぜか緊張した様子で立っている。
――何か裏があるわね。
「……殿下、何か弱みを握られました?」
「な、なに!? そんなことあるわけが――」
「……図星なのね」
「うっ」
アルバートは視線を泳がせる。やっぱりね。
私は軽くため息をついて、周囲を見渡した。貴族たちは興味津々な顔でこのやりとりを見守っている。
「殿下、もしかして……」
私は少し声を潜めて、彼にそっと近づいた。
「――なにか、甘い言葉を囁かれました?」
「!!?」
ビクリと肩を跳ねさせるアルバート。なるほど、確定ね。
「たとえば……『殿下はお優しい方ですわ。私のために、どうか自由になってください』とか?」
「な、なんでわかった!?」
「殿下が単純だからよ」
「ぐっ……」
まあ、予想通りの展開ね。きっとどこかの令嬢が、アルバートに言葉巧みに婚約破棄を促したのだろう。
「それで、今度はどこの令嬢に唆されたのかしら?」
「そ、唆されたわけではない! 彼女は……」
「彼女?」
アルバートは言い淀む。あら、これはますます面白くなってきたわね。
「……まさか、聖女さま?」
「!!!」
沈黙が答えだった。
なるほど、最近王宮に現れた『聖女』とやらが、アルバートに影響を与えたのね。
聖女――それは突如現れた不思議な力を持つ少女。彼女の涙は傷を癒し、祈りは作物を実らせると言われている。そして、何より――
王太子アルバートが、異様に庇護している存在だった。
「……ふぅん?」
私は扇を開き、優雅に口元を隠す。
「殿下、私の婚約破棄を望む理由がわかったわ。でもね」
「な、なんだ?」
「……そんな理由で、また遺言を残すことになるとは思わなかったわ」
「遺言じゃない!!」
「さて、どうかしら?」
私は彼を見つめる。アルバートは動揺しつつも、何かを振り切るように大きく息を吸い込んだ。
「で、でも! 婚約破棄は、絶対に撤回しない! 今度こそ本気だ!」
あら、本気なのね?
ならば、私も少し――
「……そう」
本気を出してあげないといけないわね。
周囲の空気が変わる。私が微笑みを深めると、貴族たちは息をのんだ。
「では、殿下。婚約破棄の正式な手続きを進める前に、いくつか確認させていただくことがありますわ」
「な、なんだ?」
「婚約破棄の理由を公表してもよろしいかしら?」
「え……?」
「だって、これは国政に関わる大事な問題ですもの。殿下が聖女に唆されて婚約破棄を決めた、という事実を王宮に広める必要がありますわね?」
「ちょっ……!?」
「さらに、婚約破棄をする場合、私は名誉を守るために相応の賠償を求めます。当然ですわよね?」
「ま、待て!」
アルバートが顔を引きつらせる。
「何か問題が?」
「そ、それは……」
彼の顔はみるみる青ざめ、周囲の貴族たちは興味津々で見守っている。
「どうしました? 殿下が本気なら、私は喜んで受け入れますけれど」
「…………」
アルバートはギリッと歯を食いしばった。
「………………撤回する」
「よろしいですわ」
私はにっこり微笑んだ。
――こうして、二度目の婚約破棄騒動は、王太子の涙目撤回によって幕を閉じたのだった。
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