5.結婚翌日、実家に出戻り
結局、朝食も取らずに、実家に帰ることにした。家令が朝食の支度をすると言い出したが、断った。新しく用意されたところで、食べる気にならない。
オベット公爵は少し焦った様子だったが、気がつかなかったことにした。食堂から出て、モリーに荷造りをお願いする。
「持っていくものは、宝石類だけでいいわ」
「いえ、高価なドレスも沢山あります。こちらも荷造りします」
モリーがきっぱりと言い切る。ドレスまで荷造りするとなると、かなり時間がかかる。今すぐ帰りたいという気持ちが伝わったのだろう。モリーはうんうんと唸った。
「わかりました。侯爵家に戻ってから、使用人を送り出しましょう」
「よろしくね」
「家具を運び出すのは時間がかかるかもしれません」
どうやら運び入れた家具も持ちだしたいようだ。流石にそれは当てつけが過ぎる。
「家具はそのままで。さすがに売り飛ばさないでしょう。後ろにちゃんと家紋が焼き印されているし」
「……気が付かないのでは?」
モリーの心配ももっともだが、売られたり壊されてしたとしても仕方がない。もしそんなことになったら、責任問題を突き付けてやろう。なんせ、調度品の一部は王家からのお祝いの品。オベット公爵夫人の部屋を任せられるほどの使用人なのだから、常識を持っていると信じている。
オベット公爵家の馬車を使うのもひと悶着したが、大いに権力をちらつかせて実家へと向かった。
先触れもなく帰ったのだが、わたしが玄関に立つとすぐに扉が開く。出迎えてくれたのは、家令とそれから幼いころから面倒を見てくれた使用人たち。
愕然とした顔をする彼らに、わざと軽い感じで挨拶する。
「ただいま。帰ってきちゃった」
出迎えた使用人たちが、一斉に目を潤ませた。
「お、お嬢さま……。なんて、おいたわしい!」
「結婚翌日に戻ってくるなんて、よっぽど下手だったんですね!」
誤解がすごい。そこまでたどり着いていないとはここで言うこともできず、困ってしまった。
「えーと」
古くからいる使用人たちはオイオイと泣いている。そんな中、奥からお母さまがやってきた。どうやら玄関での騒動が聞こえたようだ。
「ローズマリア、おかえりなさい。随分と早かったわね」
「ただいまかえりました」
「それで、どんな報復がいいかしら? 経済的に追い詰める、もしくは社会的に抹殺。他に何かある?」
何かあったこと前提で話すお母さま。使用人たちもうんうんと頷いている。
「経済的にも社会的にもすでに地に落ちているので、その程度ではぎゃふんと言わないのでは?」
「あら、それもそうね」
「あと、誤解があるようですが、まだ正式な夫婦ではありません。お前を愛することはない! と宣言されました。しかも愛人連れで寝室にやってきて」
「まあ」
低い声で呟き、ばきっと扇子が折れる音がする。お母さまのお気に入りの扇子が無残にも真っ二つだ。折れた扇子をお母さま付きの侍女が受け取り、新しい扇子を渡している。この後の話をしたら、ますます気分が高ぶって扇子を折ってしまうような気がするのだけど。
お母さまの侍女をちらりと見れば、彼女は頷いて予備の扇子をちらりと見せてくる。心配しなくても、十本ぐらいは大丈夫そうだ。でも、そろそろ折れない扇子か、もしくは経済的な扇子を作った方がいいのかもしれない。
「サロンへ行きましょう。早々に出戻ってきた理由を詳しく説明してちょうだい」
「わかりましたわ」
歩き出したお母さまの後ろをついていった。
◆
サロンの長椅子に腰を落ち着けると、すぐに紅茶と軽食が出てきた。モリーが気を利かせて、用意をお願いしてくれたようだ。
ふわふわのオムレツに厚切りベーコンのソテー。みずみずしいサラダにはチーズが載せられ、よく煮込まれた野菜スープ。パンは丸パンとクロワッサンだ。
わたしのいつもの朝食がそこにあった。いい匂いが立ち込めていて、空腹感が襲ってくる。
「うーん、美味しそう。オベット公爵家でも、これぐらいの朝食は用意してほしいわね」
「朝は食べていないの?」
「あの食事はどう頑張っても無理です。どうやらオベット公爵家は食事にも困窮しているようで、カチカチの黒パンと、お湯に葉っぱと黒い何かが浮いているスープでした」
嫌がらせとは言わず、困窮とお母さまに説明する。お母さまはすぐに気が付いたのか、持っていた扇子がミシリと音をたてた。
「見栄を張らずに、食料を調達してほしいと言えばいいと思いませんか?」
「……あなたはあくまで困窮していると言い張るのね?」
「嫌がらせだと認定すると、延々と続きそうなので」
質の悪い嫌がらせに血道を上げそうな使用人たちを思い浮かべた。古くから仕えていそうな使用人たちなのに、どうしてあんな風になってしまったのか。
「使用人など、入れ替えてしまえばいいでしょうに」
「そう伝えたら、オベット公爵に激怒されました。わたしにオベット公爵夫人としての仕事を与えるつもりもないようだったので、あそこにいる意味はないかと」
パンを小さくちぎり、口に入れる。外はパリッとしているが、中はもっちり。小麦の味もしっかりしていて、とても美味しい。
食べながら、初夜から実家に戻ってくるまでにあったことをお母さまに説明した。説明をするたびに、お母さまの額に青筋が立つ。淑女のほほえみを浮かべているのに、青筋があるものだから恐ろしい形相になっていた。
なるべくお母さまの怒りを見ないように、目の前の食事に集中する。
「状況はわかりました。許しがたいことですが、まだ夫婦ではないのは不幸中の幸い。このまま実家にいて、逃げ切りなさい」
「できればすぐにでも離婚したいわ」
「わかっていますよ。わたしも手を尽くします」
優しく微笑まれて、ほっと安心する。お母さまはこの結婚に関しては常に味方でいてくれる。それが心強い。
「わたし、お母さまの娘で幸せです」
「ふふ。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、不幸にしかならないこの結婚を止められなかったわ」
お母さまの声には後悔が滲んでいた。お母さまがいくらワーリントン侯爵夫人であったとしても、すべてが思い通りになるわけではない。もう少しオベット公爵がまともな人なら良かったが、どうも不幸に浸っているのが癖になっている。
「そういえば、お前を愛することはない! と言われたのですけど、わかり切っていることなのに何を言いたかったのか、わかります? しかも、ワーリントン侯爵家がお金を積んで割り込んできたようなことを言われたのですけど」
質問が良くなかったのか。
お母さまの手にあった扇子が真っ二つになった。
「このクソのような結婚なのに、我が家が希望したと?」
「ええっと。そう、思っているようですね」
「ほほほ。言葉も状況も理解できないような男が当主だなんて」
思い込みの激しさがあるのは否定できない。客観的に自分の立場を見られたら、もう少しまともな運営になっただろうし、無理やりわたしと結婚させられることもなかったのに。
視野の狭さが自分の首を絞めているのだと気が付くことはあるのだろうか。
他人事のような無責任さで、オベット公爵家の未来をほんの少しだけ憂いた。