30.向き合う
考えたくないからと後回しにしたからといっても、問題が消えるわけではない。
いつかは向かい合わなければいけない。こんなにも心躍ることをしようとしているのに、いつまでも染みのように心に張り付いているのはオベット公爵とのこと。
前に進みたいと思ったのだから、行動しなくてはいけない。早く離婚するには、オベット公爵を説得するしか方法がないのだから。
ようやくそんな気持ちがこみ上げてきて、オベット公爵に話し合いの場を設けたいと手紙を出すことにした。
「オベット公爵に会っても大丈夫ですか?」
モリーにはまだ早いと強く反対された。それもそうだろう、オベット公爵との未遂があった時、あれほど震えていたのだから。
「今でも近くにいると、体が震えてしまうと思うわ。でもね、早く離婚したいの」
「気持ちはわかりますが、曖昧にしておいて時間が解決することもあります」
「不能率七十八パーセントの技をマスターしたわ」
ハンナからもらった「不能にするえげつない百の方法」の教本を見せながら、説得する。モリーは難しい顔をして黙り込んだ。
「この間は突然だったから、殺傷能力が低かった。今度は失敗しない」
「……奥さまにまずご相談してください」
モリーがとうとう折れた。お母さまならけじめを付けなさい、と言うはずだ。
お母さまの時間が空いているかを確認して、と段取りを考えているとノックの音が聞こえた。モリーが対応してくれる。
「お嬢さま。オベット公爵家からお手紙が届いています」
オベット公爵ではなく、公爵家から。
手紙を受け取る。確かにオベット公爵の字ではない。オベット公爵の字はとても大らかなのだ。ダイナミックな文字で、とても力強い。この手紙は流麗な文字で、几帳面さが出ているお手本のような筆跡。
「どういうこと?」
訳が分からず、とりあえず手紙を読むことにした。それはオベット公爵家の家令からのもので、わたしに助けを求める手紙だった。
ざっと手紙に目を通したが、遠回しすぎてよくわからない。
判ったことと言えば、オベット公爵が気力を失い寝込んでいるという事。すでに一か月近く経っているので、その様子に驚いてしまった。
「……もしかして、媚薬が強すぎて体を壊してしまったのかしら?」
「気力を失う、とありますから、お嬢さまの一撃が強すぎて不能になってしまったのかも」
どちらも否定できる材料がなく、唸る。媚薬はわたしのせいではないけれども、一撃は間違いなくわたしだ。正当防衛であったとしても、やり過ぎたという気持ちもある。
「こちらに来てもらえる状態ではなさそうね。お母さまに訪問の許可をもらいましょう。あれこれ考えるのはオベット公爵に会ってからだわ」
「わかりました。奥さまにお伺いしてきます」
モリーは頷くと、部屋を出て行った。
◆
翌日、お母さまの許可を貰い、オベット公爵家へ行くことになった。
お母さまもあまりいい顔をしなかったけど、早く離婚したいと訴えたらわかってくれた。ただ、お母さまの愛用の武器である鉄扇を与えられてしまった。
少し使い方を教わったけれども、正直使える気がしない。だって重いのよ。それに、護衛代わりに同伴者を連れていくことを約束させられた。
「同伴者って誰かしら?」
お母さまの口ぶりから、うちの騎士たちではないような?
教えてくれなかったことも気になる。
モリーに支度をしてもらって、玄関ホールへと降りて行けば、そこにはエドモンド様がいた。
「エドモンド様?」
「やあ、ローズマリア夫人。元気そうだね」
明らかにわたしを待っていた様子。
「もしかして、同伴者って……」
「そう。夫人に頼まれたんだ」
オベット公爵は没落一歩手前であっても公爵家当主。彼を止めようと思ったら、ワーリントン侯爵家の護衛騎士では荷が重い。だからオベット公爵を押しのけられるよう、フォスター公爵家の人間であるエドモンド様にお願いしたのだろう。
「ご迷惑をおかけします」
「そこはありがとうと言ってほしいね。さあ、お手をどうぞ」
差し出された手に、自分のを乗せた。
馬車の中ではモリーが真顔で注意事項を繰り返す。二人きりにしてしまったことを後悔しているのか、何度も繰り返すものだから、空で言えてしまうほど。
「もういいわ、ちゃんとわかったから。エドモンド様ともモリーとも絶対に離れないし、二人きりにはならない。これでいい?」
「出されたお茶も菓子も口にしては駄目です」
「わかったわ」
ようやくモリーが口をつぐんだ頃、馬車が止まった。扉が開き、エドモンド様に手を貸してもらいながら降りれば、家令が出迎えていた。この家令は使用人がわたしに嫌がらせするのを静観していた男だ。信用はならないが、オベット公爵のこと大切にしているのは間違いない。
彼はエドモンド様を見ると、困惑した表情になる。わたし一人で来ると思われていたのね。
「ごきげんよう」
「本日はありがとうございます」
家令は紹介してほしそうにちらちらとエドモンド様を見るが、無視した。
「それで、助けてほしいとはどういうことかしら?」
玄関ホールで話すことでもないが、部屋に行くのも嫌なので言葉を飾ることなく切り出した。
「ここではちょっとお話は」
「部屋に入るつもりはないわ。オベット公爵はほんの少しだけ見直したけれども、先日のこともあったから信用していないの」
信用していないとはっきりと言えば、家令が肩を落とした。
「そうですね、では……」
気を取り直した家令が説明をしようとしたときに、けたたましい足音が聞こえた。乱暴な足取りでこちらに近づいてくる。
「出て行って!」
二階から怒鳴ってきたのは、レベッカだ。護衛の時とは違い、髪は下ろしっぱなし、シャツにロングスカート姿。顔色は悪く、目はギラギラとしている。怒りが前面に出ているものの、どこか精彩を欠いたように見えるのは気のせいだろうか。
「レベッカ様、落ち着いてください。さあ、こちらに」
レベッカに遅れてやって来た侍女が彼女を宥めて、部屋に戻そうとする。どうやらレベッカにとってわたしの訪問は不愉快なことで、それでも使用人たちはわたしを呼びたいという状態のようだ。
状況が呑み込めず、戸惑いしかない。前と違うのは、使用人たちがレベッカに迎合していないところか。
レベッカは乱暴に侍女を突き飛ばすと、ものすごい勢いで階段を降りてきた。モリーが咄嗟にわたしの前に立つ。
「おやめください。お嬢さまに八つ当たりしても、何もいいことはありません」
「うるさいわね! 邪魔よ、どきなさい!」
レベッカはモリーに怒鳴りつけるが、モリーはその程度では引かない。今にも暴力を振るいそうなほどの怒りに、思わずモリーの前に出そうになる。
レベッカは騎士科に通ってきた女性。鍛えていないわたしたちよりも、はるかに強い力だろう。モリーが傷つくことになるのは避けたい。
だが、わたしの行動はエドモンド様に防がれた。
「エドモンド様!」
「大丈夫。だからローズマリア夫人は前には出ないで」
「でも……!」
モリーは冷静に言い返しているだけだが、いちいちレベッカが突っかかる。
いつレベッカの手が出るのか。止めなければと、ハラハラしてしまう。
「あなたが大人しくお飾りの妻になっていないから、こんなことになったのよ!」
自分勝手な発言だ。わたしを平気で犠牲にするつもりでいるのに、自分たちが苦しいとわたしのせいにする。何ともやっていられない気分になる。
「何の騒ぎだ」
力のない声が二階の踊り場から聞こえた。顔を上げれば、そこにはげっそりとやせ細ったオベット公爵がいる。造形の美しさは損なわれていなかったが、目の下にはくっきりとしたクマ、肌はどことなく張りがない。見るからに、病み上がりというよりまだ病み中。
「ケイン! 寝ていないと駄目じゃない」
彼を見つけたレベッカは先ほどの歪んだ形相を消すと、ぱっと表情を明るくした。わたしたちの前から軽やかな足取りで彼に向かっていく。
ああ、いつものいちゃいちゃ劇場が始まる。
げんなりとした顔をすれば、モリーも渋い顔だ。
「ああ、ローズマリア、来ていたのか。会えて嬉しいよ」
オベット公爵は駆け寄るレベッカを避けると、わたしに微笑んだ。
何が起こっているのかと、目を丸くした。




