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28.考えたくないことは後回し


 大量の資料を積んだテーブルに、わたしは突っ伏した。


「ライラにのせられてしまったけど、難しいじゃない、まったくわからない」


 中途半端な援助ではなく本格的に、と思い、事業の興し方などを調べ始めた。根回しをするにも、わたしが何を考えてどうやって行くのかをまとめないと話すこともできない。だから、必要な資料を集め、この国の法律とにらめっこした。


 貴族の家に嫁ぐことを前提に、家政を担えるようにと領地経営などの基礎は学んでいる。それなりにお父さまから出された課題をこなし、最低限の能力はあると自負している。でも、事業は初めて。

 事業目的、規模、想定される顧客、それから資金。

 とにかく考えたことを書き出すことをしているけれども、それだけ。その先どうしたらいいのか、さっぱりだ。商売をするからには、売らなくてはいけない。利益を上げなければ持ち出すお金が多くなる。

 満足できる形にならず、ぐしゃぐしゃになった紙だけが増えていく。


「そろそろ休憩なさってください。根を詰め過ぎです。散歩するのも良いかもしれません」


 モリーがゴミとなった紙をせっせと拾い集めながら、気晴らしを勧めてくる。


「でも」

「外の空気を吸えば、いい案が思い浮かぶかもしれません。それとも部屋にいた方が思いつきますか?」

「うっ、痛いところを」


 行き詰まっている自覚があったので、外出することにした。モリーは喜んでわたしの支度を手伝う。


「ちょっとその辺を歩くだけよ。簡単なドレスでいいわよ」

「わかっています。これなんてどうでしょう?」


 モリーが持ってきたのはピンクベージュの襟の詰まったドレスだ。生地は柔らかく軽いので、とても着心地がいい。


「それでいいわ。髪はハーフアップにして」

「わかりました」


 外出の支度をしていると、家令が来客だと告げに来る。来客と言われて、モリーと顔を見合わせた。約束があれば、モリーがちゃんと把握している。


「約束はなかったと思うけど」

「はい。奥さまがお嬢さまの相談相手としてお呼びしていたようです」


 家令の返事に、事前に話してくれないと困る、と眉をひそめた。でもお母さまが気遣ってくれているのだ。顔を出さなくてはいけないだろう。


「これから出かける予定なの。支度を終えたら、挨拶だけするわ」

「お伝えします」


 家令が一礼すると、静かに扉を閉めた。



「お母さまは誰をお呼びしたのかしら?」


 外出着に着替えて、応接室へと向かう。応接室からはお母さまの楽しげな声が聞こえた。その上機嫌な声の調子から、親しい人なのだと理解する。


「あら、ローズマリア。早かったわね」

「お待たせしました」


 お母さまに声をかけられて、中に入る。椅子に座っているエドモンド様を見て目を見開いた。


「ええ? エドモンド様?」

「やあ、ローズマリア夫人。ライラから、少し体調を崩しているようだと聞いていたが……顔色が悪いね」

「少し根を詰めてしまっているだけよ。でも、どうしてお母さまと?」


 エドモンド様がお母さまと親しくしている話は聞いたことがない。不思議に思っていれば、お母さまが自分の隣に座るようにと、手招いた。


「王妃様に紹介してもらったのよ。うちに招待したら、あなたがびっくりすると思って黙っていたの」


 悪戯が成功したような顔をしている。


「ライラに随分と発破をかけられたようだね。手助けできることがあれば、と思って招待を受けたんだ」

「ありがとうございます。本当に行き詰っているので」


 天からの助けのように、エドモンド様が輝いて見える。そんな気持ちでいたら、お母さまがパンと手を叩いた。


「外出する予定だったのでしょう? 丁度いいから難しい話をする前にまずは気晴らしに行っていらっしゃい」

「え!?」


 少しでも早く形にしたいと思っているのに、そんなことを勧める。明らかに不満そうに顔をしかめると、お母さまは笑った。


「行き詰った状態でいいアイディアなんて出てこないわよ」

「その通りですね」


 エドモンド様もお母さまの意見を受け、立ち上がった。そしてわたしに手を差し出す。自分とは違う大きな手に、オベット公爵の手が思い出された。息が苦しい。この手は傷つける手ではないのに、取ることができない。


 いつまでも動かないわたしに、エドモンド様は微笑んだ。


「どうぞ、お手を。今日のエスコートを務めさせてください」

「……わかりました」


 そっと自分の手を彼の手に置いた。優しく握られて、オベット公爵とは違うと全身で理解した。



 出かけた先は美術館。

 何代か前の国王が建てたもので、国が所蔵している美術品が展示されている。元々は宝物庫にあった物らしいが、そこに入れておくよりは見てもらった方がいいだろうと開放されることになった。

 絵画だけでなく、織物や彫刻、宝飾品など価値のあるものが多く展示されている。時には、過去の王妃の婚礼用ドレスや使われたティアラなどを飾ることもある。


 結婚前は定期的に来ていたが、ここしばらく足を運んでいない。


「彼女たちのパトロンになるぐらいだから、絵が好きかと思って」

「ええ、大好きですわ」


 美術館の敷地には、美術品を販売するギャラリーがある。ミリアたちの作品を持ち込んだことが何度かあるギャラリーだ。訪問するたびに彼女たちの素晴らしさを力説して、実際に作品を見てもらったものの、鼻で笑われて終わり。あまりいい思い出ではない。


「おや、その割には難しい顔をしているね」

「美術館は心が豊かになるので良いのです。ですが、ギャラリーの方は」

「ああ、なるほど」


 最後まで言わなくても、エドモンド様は納得したようだ。


「では、ギャラリーを見に行きますか?」

「……いい思い出がないのですが」

「今日は売込みじゃないだろう? 純粋に客として入ればいい」


 そういうものだろうか、と渋々彼と一緒にギャラリーに向かう。いつもならわたしの顔を見ると嫌な顔をするギャラリーのオーナーがエドモンド様を見て揉み手をする。その変化に呆れてしまった。感情が態度に出ていたのだろう、オーナーがちらりとこちらを見る。


「商売ですから」

「まだ何も言っていないわよ」


 オーナーがすました顔で言ってくるので、思わず突っ込んでしまう。


「そう言えば、ご結婚されたのですよね。おめでとうございます」

「まあ、ありがとう」

「良い貴族夫人として活躍することを願っていますよ」


 何様だと怒鳴りたくなったが、ここは笑顔だ。


「なるほど。随分と親しい仲のようだね」

「……そんなことありません」


 男尊女卑なオーナーと親しく見られたところで、嬉しくない。むっとして否定するが、オーナーは違った。


「ガッツはありますよ。この国で女流画家は受け入れません。それなのに、どんなに拒否しても定期的にやってきて、彼女たちの作品を押しつけていくのですから」


 押しつけていくというよりも、勝手に置いていく。

 その作品をどうしているか、今まで聞いていなかったことに気がついた。


「もちろん売りましたよ」

「え?」

「無名の新人画家の作品としてですけどね」


 それって、彼女たちの作品を認めているということかしら?

 オーナーは肩を竦めた。


「正直に彼女たちの作品とは言えませんから。聞いた相手がどう受け取るかは責任は持ちません」


 そう言いながら、オーナーは奥へと引っ込んだ。だがすぐに戻ってくる。


「こちらが代金です」

「……」


 受け取った布袋はずっしりと重かった。食べてはいけない金額かもしれないが、買い叩かれたわけではなさそうな重み。


「ありがとうございます」

「もし」


 オーナーがやや声を小さくした。顔を上げて、オーナーを見る。彼は迷いのない顔をしていた。


「国外で成功することがあれば、こちらにも融通してください」


 それは女性だということで認められていないだけで、彼女たちの実力は確かだと告げているようなもの。


 とても嬉しい言葉だった。

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